約束
「いやだー!」
開口一番、別れを告げられたシレナの反応は強い拒絶だった。彼女もまたいくらか大人に近づき、最近は表情などにもその片鱗が見られるようにもなった。少しクセのある赤髪を伸ばし後ろでひとつ結びにしている。瞳や口元もかわいらしさと美人よりの要素が半々というくらいで、つまるところずいぶん綺麗になった。身長こそ変わっていないが体つきも段々と大人らしい風にとなって胸の膨らみなどにあらわれているが、本人はいまだ童心から抜け出せないようにも見受けられる。前になんとなしに綺麗になったと若干遠回しに伝えたところ、面白いぐらい顔を赤らめていた。彼女の感情を知りながらも、こうしたからかいをやめれないのも森でやることが無いせいだと自分に言い聞かせながら時に自戒している。
そんな大人になりつつあるはずの彼女の顔は大きく見開かれ、口がポッカリと開いている。理知的な顔も見られるようになってきたが今はその一片すら見当たらない。
こちらからの簡潔な言葉を咀嚼し、飲み込んだ直後に思考よりも先に口が動いたようにすら見える。つまりめちゃくちゃ嫌らしい。
「嫌と言われてもなぁ」
「どーして出てっちゃうの!」
「することないし……」
衝撃を受けた表情に変わるシレナ、その発想はなかったと言いたげだがそんなはず無いだろう。木の実集めと小動物を狩り続ける生活が飽きないわけがない、少なくとも自分はそうだ。スローライフを否定はしないが今は外への興味が圧倒的に強い。
「た、たしかにいつも同じところをうろうろしていつも同じことをしてる毎日だけど……」
ちなみに彼女に限って言えば同じところをうろうろはしていない。方向音痴はなかなかに手強く目を離すとすぐに明後日の方向に消えていこうとする。
「わかってくれたか」
「……じゃあ私も行く!」
「嫌だよ」
先程よりもさらに目が大きく開かれ、わなわなと震えだした。瞳のふちには涙が滲んでいる。ちゃんとした理由があるのでそれだけは言ってあげよう。
「外には多くの危険が待っている。それは森の中にいる動物よりもずっと、もっともっと危ないことがたくさんあるんだ」
「そんなに?」
「そんなに」
森に入らないだけで無事なのだからこれ以上の平和など無いと言ってもいい。災害や飢饉など恐れるべきものは数多くあるが、それについては世界中で起こりうることでもある。だが世界にもそれよりも遥かに恐ろしく、唾棄すべき邪悪が存在する。
「君を護りながら、旅をすることは出来ない」
「それは……」
「はっきり言おう、「お荷物」を抱える余裕は僕にはないんだ」
涙が大きくなる。半端に期待をもたせるような言い方も、下手な慰めもすべきでない。そもそもここに戻ってくることももう無いかもしれない。ならば言葉を濁すような真似はすべきでない、これは彼女への自分なりの誠意だ。
「……」
俯いたまま彼女は何も言わなくなってしまった。申し訳ない気持ちは少なからずあるが、掛ける言葉はもうない。翻って離れようとすると、彼女が何かを話そうとする気配を察した。
「じゃあ、私も行く!」
「……?」
気のせいだろうか、ついさっき同じ文言を耳にした覚えがある。聞こえなかったことにして仕切り直そうとしているのだろうか。
「二年後に!」
「あー」
そう来たか。
「あと二年で強くなるから!」
「いや、そういう問題じゃ……」
そもそも二年で彼女が自分の身を守れるほど強くなれるのだろうか、手ほどきをしてくれる相手もツテも無いだろうに。
「お父さんの魔法を勉強する!」
それがあったな、でも……。
「駄目って言われてたんじゃ?」
「それは、そうだけど……、でも」
「でも?」
「お父さんもういないし! 怒られないし!」
それは間違いないが、今まで真摯に守ってきてたのによいのだろうか。父親のことは尊敬しているようだし、母親も何も言わないのだろうか。
「お母さんにはバレないようにする!」
まだ何も言っていないのに察したのかそこにも言及してきた。家庭のことをとやかく言う気はないが、だからといって彼女の言うことを聞く義理もないわけで。
「うーん……」
悩んでいるのは是非ではなく、断り方だ。強さの基準を示すことは難しいうえ、腕っぷしで解決できることだけが脅威ではない。山でずっと暮らしてきた少女(今年で十四歳らしい)が欲望渦巻く人間社会にすんなり適応できるとは思えない。
「法律とか、政治とか。大きな国には難しいことも多いんだよ」
「クロムはそういうのわかるの?」
わかるかと言われればノーではある。そういったことを知りたいが故に山を降りたいわけで、頭の中に残っている知識がどれほど役に立つかはその時にならなければわからない。それでもいくらかは、彼女よりはマシな自信はある。
「そういうのも勉強していくのも目的だからさ」
「じゃあ私も……」
「計算とか、読み書きとかできる?」
読み書きに関しては正直自分も自信がない。知らない言語が待っている可能性が高い以上、学び直しになるのはまず間違いない。それも前提知識があれば多少はスムーズに出来るはずだ。とりあえず会話ができるのだからなんとでもなるだろう。
「できる!」
「へえー」
それは知らなかった。二年間で尋ねることもなかったが、そういえば会話の中で数字が出ても躓くことがなかった気がする。それに読み書きも出来るのはかなり優秀に思える。現時点では自分よりも賢いとすら言える。
「それもお父さんが?」
「お母さんもちょっとできるから」
魔法使いの父親とその母親。なんとなく思っていたが彼女の両親はかなり優秀な人物なのではないだろうか、それを思うと彼女の母親に嫌われているのが残念になる。
一度、彼女と遊んでいることがバレてしまいひどく怒ったらしい。それでも彼女は会いに来るのだから母親も苦々しく思っていることだろう。父親のことなど聞いてみたかったが、家にあげてはくれないと思って諦めていた。
ひょっとしたらそれなりの身分にあったのかもしれないが、彼女が知らないのだからそれ以上はわかりようもない。
「お願い!」
「……もし付いてきたとして、それっていつまで続くの?」
「!」
ぎょっとしたシレナ、まさかそこまで考えていなかったのだろうか。
「それは、そのぅ……」
急にもじもじしだした。つまりそういうことだろうが、それこそ叶わぬ願いである。
「駄目だとわかったら諦めて家に帰るから、一度だけ! お願い!」
「そうだなぁ……」
そうはいっても大きな国であった場合、二年という月日はその土地を知るにあたって決して多い時間ではない。そのまま留まっても大きな問題にはならない。それは確かだ。
「じゃあもし、ここから一番近い国の首都に僕が無事にたどり着けたら、そこで二年間過ごすことにするよ」
「それって……」
「その間に君が僕と出会うことが出来たら、その後どうするか改めて考えることにしても……いいよ」
安請け合いしてもいいのだろうか、彼女に甘すぎないか、むしろ彼女を危険に晒す身勝手な約束ではないのか。
「ただし! 必ずお母さんには許可をもらうこと」
「うん! わかった!」
「それともう一つ」
指を一本立てる。
「森を降りても大丈夫かどうか、おっさんに聞くこと」
「それって、クロムくんの家の?」
「そう、緑色の肌の大きなおっさん」
別に彼は武人でも狩りの腕前に覚えがあるわけでもない。ただ贔屓目なしに客観的に判断できる人物を増やしたかっただけだ。それに気難しいおっさんが素直にうなずくかもわからない(興味ないことなので適当に返事するかもしれないが)。
「あの人実は凄腕の傭兵だったんだ、簡単に認めてはくれないよ」
「知らなかった!」
適当言ってハードルを上げておく、こうしたら彼女も多少は訓練に身が入るかもしれない。
「お父さんの持ってる本の中に、縄の編み方とか罠の仕掛け方とかそういうのもあった気がするからそういうのも勉強しておくね」
ずいぶんいろいろな本を所有しているらしい、ほんとうに見れなかったのが惜しい。
「それじゃあ、改めて」
「うん、またね!」
最初とは打って変わって力強い返事。心配でならないが、後は野となれ山となれ、彼女の努力次第だろう。
「ただし人の国には「お金」が必要だから、それも気をつけるんだよ」
「それは……、どうにかする!」
どうにか出来るものだろうか、わからないがいざとなったら母親が止めるだろう。むしろ止められる気しかしない。そう祈ろう。
そそくさとその場を離れる、これ以上下手なことを言わないように。次はおっさんだが、特に話すことがあるだろうか。
そう思って小屋に入り、珍しく休んでいたおっさんに旅立ちを告げると、返事は一言。
「そうか」
まあこうなるとは思っていた。親代わり、とも違う一方的に話しかけ家に居座り続けた存在。こちらとしては命の恩人なわけで、思うことはあるが向こうはそんなこともないのだろう。
だがこちらも見ずになにかを投げてきた、小さな袋の中には硬貨がいくつか入っていた。
「それと爺さんの斧も持っていけ、俺には使えんし使う予定もない」
「……ありがとうございます」
背中を向けたままのおっさんにぺこりとお辞儀する。斧は自分にとっても小振りで、おっさんからしたらナイフみたいなものだろう。だが作りはかなりしっかりしており、護身の頼もしい武器となるだろう。
「じゃ! 今までありがとう!」
大きくそう言い放ち、小屋を後にする。日はまだ昇りきっていないが山を降りるのにどれだけかかるかわかったものではない。途中で野宿もするだろう、できるだけ明るいうちに出発したかった。シレナとの交渉に思っていたよりも時間がかかったが、とにかくここでやるべきことはもう無い。
おっさんとの約束により今まで入ってこなかった(二度あるが)森の奥、さらにその先に待っているであろう広大な世界に逸る気持ちを抑え、一歩踏み出した。




