(2)
フェンリルが、僕とナーガの夕食迄食べてしまってから四日が立ち、僕らは海にほど近いところを飛んでいた。
「フゥ~アフゥ」
ナーガの背中で、欠伸を堪えて変な声が出る。
一生懸命僕を乗せて飛んでいるナーガや、ずっと走りっぱなしのフェンリルには悪いと思いつつも、最初ははしゃいでいた高い場所から見る景色も、慣れてしまうと退屈と感じてしまう。
楽を覚えるとろくな大人にならないって、この事なのかな?なんにせよ平和っていい事だよね。
目前にはマラカナン山脈が連なり、山の上部には夏だというのに白い雪が、今だに積もっている。
山脈を迂回しても、二日もあれば海に出れるはず。
海って生まれてから一度も見た事がないから楽しみ。
「予定では、そろそろ村が見えるはずだけど」
地図には山脈の麓付近に、村を示すマークが記されている。
ここから先、それ以外に目的地まで人がいそうな場所はない。
食料を仕入れるのにいくら必要かなんて、寂しくなってきた鞄のお金を数える。
「少し先に、家らしき建物が見える。あれがそうだろう」
僕の目には、その建物らしきものがわからなかったけど、ナーガの視力は物凄くいい。
空を翔ける者なら当たり前だなんてナーガは言ってたけど、そろそろ夕飯の時間だしグッドタイミングだよね。
「フェンリルの姿が見えないけど、ちゃんとついて来てるのかな?」
いつもより難所が多かったせいか、下に狼の姿は見えない。
「奴なら夕飯の時間には、遅れはしないさ」
フェンリルが、食事の時間に居なかった事は一度もない。
そうだねなんて二人で笑って、本当に平和な時間が流れてた。
僕もナーガも、平和な時間に慣れてしまっていたのかも知れない。
地方の村には召喚獣は少ないから、村人を驚かせないように僕らは近くに降りて、何の警戒もせずに徒歩で村に入っていった。
村の端から端まで、見渡す事が出来るぐらいの小さな村。
一歩踏み込んでから、何とも言えないような胸騒ぎが湧いてくる。
「どうしてだかわからないけど・・・嫌な感じがする」
僕だけじゃなくてナーガも感じているみたいで、体の大きさをいつもみたいに小さくしてじゃなく通常の大きさにしていた。
何処かで、嗅いだ事があるような臭いが鼻をつく。
「人の姿が見えないな」
ナーガが、胸騒ぎの正体を言い当てる。
小さな村だけど人の気配がしない。
夕食の時間が近づいているのに、どの家からも食事の準備をする煙が上がっていない。
その時、何かに突然弾き飛ばされて僕は地面に転がり、ナーガの翼から鮮血が舞う。
パンッパンッパンッパン!
家の陰から拍手が聞こえ、手に大きな弓を持って出てきたのは、赤毛に赤い鎧をつけた男。
「いや~すげ~なぁ、完全に不意を突いたのにマスターを守るなんて大したもんだ」
。
「マスター下がっていろ!」
ナーガの翼は、夥しい出血で赤く染まっている。
男が射った矢は、ナーガの翼を貫通して遥か後方で地面に突き刺さっていた。
何がなんてわからないけど、この赤毛の男はヤバい。
「ナーガ逃げよう」
盛んに本能が、逃げろと警鐘を鳴らしている。
「私が時間を稼ぐ、マスターだけでも逃げろ!」
倒すでも戦うでもなく、時間を稼ぐというナーガに驚きを感じる。
「少しは俺を楽しませろよ」
弓を捨て剣を抜いた赤毛の男が、ナーガに向かって駆けて来た。
ナーガが負けるはずない!心の底からそう思っていたから・・・目の前で繰り広げられている光景は、夢でも見ているようにふわふわして、まるで現実感が無かった。
赤毛の男は、ナーガの放った氷の槍を余裕を持って最小限の動きだけでかわし、一瞬でナーガとの間合いを詰めて剣を振るうと、新しい鮮血がナーガの胸から舞い散る。
赤毛はとんでもなく強いけどそれだけじゃない。
ナーガの動きが明らかにいつもより鈍くて、その後の攻撃も赤毛は笑みを浮かべたまま全てかわして、手に持った剣を振るう度にナーガの白く美しい身体が赤に染まっていく。
赤毛は距離を取って「その程度か?」と馬鹿にした笑みを浮かべる。
ナーガが傷ついた翼を広げ、僕は何をしようとするかの意図を感じ取り、赤毛が捨てた弓に向かって走る。
空から攻撃すれば、剣は届かない。
弓を奪えば、活路が見出だせるかも知れない。
僕は弓を拾って、ナーガは空に向けて飛び立つ。
赤毛は笑みを張り付けたままその場を動く事なく、口笛を吹くと家の屋根を突き破り飛び出してきた緑の竜が、宙に飛び立ったばかりのナーガの背に鋭い鈎爪を突き立て地上に叩きつけた。
「いけると思っただろ?」
ナーガよりも流線型の身体をした飛竜が、ナーガを地面に組み伏せている。
わざと希望を見せてそれを潰すのが、この赤毛は好きで僕らで遊んでいるんだ。
いつでも殺せるのに、猫が捕まえた鼠をいたぶるみたいに・・・
「飽きた。お前は後で遊んでやるから楽しみに待ってな」
赤毛はナーガに近づいていき、僕は弓を抱えたままガタガタと震えている。
底知れぬ強さの赤毛の男に、そしてナーガが殺される恐怖に。
「やめて!」
やっと絞り出した叫びに、赤毛は満足したように笑みを浮かべる。
「やっぱ弱者はそうじゃなきゃいけねーよな」
侮蔑の笑みを僕に向けた瞬間、何かを察知して赤毛はその場から大きく横に飛びのく。
耳をつんざく爆音が響き、熱風が髪をチリチリ焦がす。
ナーガを組み伏せていた飛竜が空に飛び立ったのを見て、僕はナーガに駆け寄る。
「おめぇらの鼻は飾りじゃねえのか?」
聞き慣れた声。
漆黒の狼が、赤毛の男との間に割って入る。
「こんだけ血の臭いがしてんのに、ノコノコ踏み込むなんざ大馬鹿としか言いようがねーぜ」
村に入った時は、ナーガも怪我をしていない。
これだけ騒ぎになっても、誰も出て来ない村人。
頭に浮かんだ情景を必死で振り払う。
きっと想像は間違っていないから。
「うほっ!犬が喋るなんざ珍しいね。お前、ペットになるなら生かしてやらない事もないぜ」
フェンリルの毛が逆立つ。
「ヘドがでらぁ、てめぇから懐かしい臭いがするぜ」
「懐かしいだ?俺に犬の知り合いなんていないぜ」
「俺様も変態の知り合いなんざいねえよ」
フェンリルは目と首の動きだけで、僕に逃げろと合図を送ってくる。
「ナーガ辛いだろうけど小さくなれる?」
今の大きさでは、僕に運ぶのは無理だ。
うめき声を上げながら、小さくなったナーガを抱え脱兎の如く駆け出す。
「フェンリルあいつ物凄く強いから気をつけて」
「俺様を誰だと思ってんだ?生まれてこのかた無敗のフェンリル様だぜ」
フェンリルならきっと大丈夫。
湧き上がる不安を押し殺して、僕は赤毛がいる反対方向に逃げ出した。




