82、邪神アンラ
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瘴気と高温の地熱が混ざり合った混沌とした場所であった。呼吸をすると肺を焼き、眼球は干乾び、皮膚は発火し、爛れ焼け落ちる。通常の生物では生存そのものが困難な場所。
しかし、そんなことがどうでもいいと感じられるほどの凄まじい威圧がとある場所から放たれていた。もはや、それは神威とも呼べる絶対的畏怖の感覚。思わずひれ伏し、許しを請いたくなるような感覚。それが、とある場所から放たれていた。
ラース大陸の中央に縦に走る大山脈。その全てが1000mと超え、壁の様にそそり立っている山々。それは、大地を長大な鉈で立ち割ったようにラース大陸を東西に分断している。〝巨神の背骨”、この大陸の者はこの大山脈をそのように呼ぶ。すべてが活火山の為、地熱で雪も積もらず、噴火が頻発し、至る所から溶岩が流れ出している。
そんな〝巨神の背骨”の最高峰ともいえる場所に、1つの社が建てられていた。そして、その横には、この高熱地帯にも関わらず、青々とした葉を茂らせた巨木が存在感を示していた。噴石と火山灰と溶岩のみの世界に、これらの社と巨木は異質の存在であった。
そこへ、2つの影が舞い降りた。魔王クロウと元魔王のルシフェルである。ルシフェルは社の中へと入っていき、クロウも後に続く。鮮やかな朱色と黒で彩られた社は、日本の社の雰囲気がある。
「さぁ、ここからは神域です。下手な事をすれば魔王といえどもただでは済まないのでそのおつもりで。」
ルシフェルは入り口付近で、それだけをいつもの飄々とした顔で告げると、さっさと奥へと進んでいく。
クロウは無言で頷き、やや緊張した面持ちで後に続いていった。奥には地下へと下りる直径5mほどの穴が開いていた。真円で歪みのない人工的な穴、その表面は大理石のように光を反射している。
「この地下に、邪神がいるの?さすがに雰囲気ありすぎるよね?自分を魔力の膜で覆わないと立ってられないかも……」
クロウは軽口を叩くことで自らの平常心を維持しようとしたが、それでも、これまで体験した事のない、得も言われぬ恐怖がジワジワと体を蝕んでいった。
ルシフェルは無言のまま、ぽっかりと開いた暗闇の中に身を躍らせる。と、そのまま引力に引かれて穴の中へと落ちていった。それは身投げでもするようにも見える。続いて、クロウは魔術により浮かび上がり、穴へ中へと下りていこうとする。
「なっ!?」
凄まじい引力がクロウに襲い掛かり、浮遊の魔術がかき消されてしまう。そして、先ほどまで感じていた恐怖に心臓が締めあげられる。そして、クロウも落下していった。ほぼ、身動きが取れない状態で。
暗闇の中を落下していくと、上下の感覚が麻痺してくる。しかし、クロウの頬を打つ風の方向から下を理解した。その風は、徐々にその温度を上げていく。遠くに赤い光が見えてくる。マグマが赤く滾っているのだと解る。
と、不意にクロウの体が自由になった。そこでクロウは再び浮遊の魔術を発動させる。周囲を見ると広大なドームのような空間に自分が浮かんでいた。至る所からマグマが流れ出ている。
中央には、光り輝く何かが浮かんでいる。次第に距離が近づいてくると巨大な魔核のようなものだという事が解る。2mほどのそれからは圧倒的な神威が漏れ出ていた。そして、その傍らにはルシフェルが跪き、頭を垂れていた。
クロウも足元のマグマに気をつけながら着地するとその神威の元へと近づいていった。
【君が魔王クロウだね。ルシフェルから色々と聞いていたところさ。】
突然、周囲の空間が歪んだかと思うと、白い空間に包まれていた。そして、目の前にはルシフェルと小さな人間の女の子がこちらを出迎えるように立っていた。
【この方が私の上司である邪神、アンラ様です。まぁ、跪く必要はありませんが、できれば敬っていただきたいですね。】
ルシフェルは女の子の後ろに控えるように移動し、気軽にこちらに話しかけてくる。
【初めまして。魔王クロウ……です?……いや、ゾディアナを引き取るって話だったんだけどね。目の前には邪神様しかいない。これはどういうことだい?】
クロウは責めるような視線をルシフェルに投げかける。
【あぁ、それはこれから説明するよ。まずは、ゾディアナちゃんなんだけど、目の前いるよ。そうそう、目の前の女の子。今、喋ってるでしょ?その子がゾディアナちゃんだよ。】
目の前の女の子、邪神アンラが鈴を転がすような声で話し始める。しかし、それはどこか他人事のような口ぶりである。
【ビックリするのは当然だよね。ゾディアナちゃんはこんなに小さくはなかったし、見た目は人間っぽいからね。これまでちょうど良いものがなくてね。ルシフェルに無理行ってゾディアナちゃんの体をもらい受けたんだよ。】
さらっととんでもないことを目の前の邪神アンラが口にする。そして、父親であるルシフェルもさも当然といったように目を伏せ、満足そうな笑みを浮かべている。クロウは目を見開いたまま、しばらく動きを止めていたが少しの身震いする。
【くっくっく……ふはははははっ!!そうかい。なかなか面白い事をするんだね。ゾディアナの事は残念だけど、これはルシフェルに一杯食わされたね。】
ひとしきり笑うとクロウは、何気なく右腕を振るった。
すると、邪神アンラの後ろに控えていたルシフェルの頭がぼとりと落ちた。そして、一瞬の空白の後、血のシャワーが邪神アンラの上に降り注ぐ。ルシフェルは少し驚いた表情を残して、頭部がクロウの足元まで転がって来る。
【こんな趣向は嫌いじゃないよ。……でもね、騙されるっていうのも、好きじゃないんでね。】
魔力を全開放した魔王クロウが邪神アンラを睨み付ける。それは神威にも匹敵するほどの威圧がアンラに向けて放たれる。それは例え、三魔将であっても、命を脅かすほどの威圧。
【中々威勢がいいね。魔王クロウ。ルシフェルって邪仙の中でも強い方だと思ってたんだけど、ずいぶんあっさりと首を落とされたね。君には話があって連れてきてもらったんだよ。】
凄まじい威圧を涼しい顔で、話を続ける邪神。そして、怪訝な顔をするクロウ。
【話っていうのはね、君がなぜこのラース大陸にやって来たかってことなんだよ。それに、ホイホイとルシフェルの後についてここに来たことについても……どこか君の行動がおかしいんだよ。その事に君は気付いているかい?】
スタスタとクロウの近くにまで近寄って、覗き込む邪神。しかし、それはとても無邪気で年相応の少女のようだった。そして、クロウはふと考え込む。邪神の問いに対する答えを……
いったいいつからだ……単なる思い付き?……いや違う。ずっと計画していたんだ。ラース大陸へ渡る事を。
魔王として邪仙たちを統べるため?……これも違う。そんな面倒な事をやるつもりはなかった。
では、いったいいつ?
……
………
…………
…………そうだ。思い出した。
この身体だ。この身体を手に入れてからだ。
まさか……
僕がこの身体の意志に引っ張られて……このラース大陸へやって来た……
「そうだ。僕だよ!僕の意志でここへやって来たんだ!」
魔王の口が無意識のうちに動き、言葉が漏れる。動揺する魔王だが、口はさらに言葉が紡ぎ出す。
「僕はここで力を手に入れるんだ。強くなって、ユウマに会いに行くんだよっ!!」
魔王の表情が様々に変化する。しかし、そこには魔王とは別の人格が混じり合い、そして、太々しい笑顔を浮かべる。
【へぇ。強くなったら、そのユウマって人に会えるの?へぇ、どうやって?】
邪神アンラが面白そうにクロウへと質問する。
「僕にはその力があるからね。【時間跳躍】で会いに行くには圧倒的な魔力が必要なんだよ!このラース大陸で魔族をもっと殺して……それで……えと……あ、あれ?……なんで……なんでこんな事を僕は話してるんだよ……」
邪神アンラに聞かれた事になんの疑問を持たずにペラペラと話してしまう事に、クロウは顔を歪める。自らの意志に反して思ったことを素直に話してしまう。
【そうなんだぁ。だ、そうだよ?ルシフェル。君の能力に似てるね。時を操れるみたいだ。】
邪神は転がっているルシフェルの首に話しかける。すると、首はコロコロと転がり、切断面を地面に付け、見上げるようにクロウを見上げる。その表情は先ほどのモノとは異なり、穏やかな顔をしている。
【なるほど。そうですか。はぁ……それは悲しいですがゾディアナよりも優秀な身体ですね。魔王程度には勿体ない。】
ルシフェルの首は不意に浮き上がり、立ったまま固まった自分の身体へと近づいていく。首から無数の黒い触手が伸びていき、身体側の切断面へと滑り込んでいく。そして、首が何事もなかったように身体と1つになり、ビクリと身体が動き出した。
【ルシフェル!!な、何を言っているんだよ。この身体は僕のものだ。誰にも盗られるわけにはいかない!!】
魔王の顔には焦燥感に包まれ、ジリジリと後ずさりをする。
「くそっ!!どういうことだよっ!!」
クロウは殺気をまき散らしながら少女とルシフェルを睨み付ける。
感情が入り乱れる魔王とクロウの様子を楽しそうに邪神アンラが眺めている。
【全部説明しちゃうとね、君がラース大陸に来たいって思ってたのは、そうさせたからってことだよ。あぁ、ここでいう君っていうのはクロウの事ね。】
邪神アンラが腰に手を当てて、大げさに説明を始める。
【確かに、君の魔力を持ってすれば、時間移動が可能となるだろうさ。10年前だろうと10年後だろうと一瞬でね。さて、ここで問題です。では、なぜ、時間移動でユウマって人に会えると思ったんでしょうか?】
「そ、それは……」
クロウは口ごもる。そして、俯きながらぶつぶつと呟きだす。
「そうだ!!そうだよ!!僕は祖母さんに、ライカに言われたんだよ!!ユウマは10年後の世界に飛ばされたって!!だから……だから、もっと強くなったら会いに行けるって!!」
【あれあれ~?おかしいな?なんでそんな事、君のお祖母さんが知ってたのかな?不思議だよね?】
「それはライカのスキル……そうだ。ライカはスキルで何でも知ってたんだよ!!」
【へぇ~、それはすごいスキルだね。……でも、そのスキルに誰かが干渉し操作してたらどうなるでしょう?例えば悪い神様とかがさ。】
邪神アンラがニヤリと笑う。それはありとあらゆる邪悪なものを押し固めて形にしたような笑顔だった。
クロウは邪神の言葉に、表情が固まる。そして、一瞬にして、理解してしまった。すべては目の前の邪神の掌の上だったということに……
「そんな……僕は……そのために、一杯、殺してきたのに……異世界人を……いっぱい……いっぱい殺して……ユウマに会うためだって思って……力を奪って……いや、違う!!……僕は、魔王に操られて……操られていたんだ……」
クロウは蹲り、自らの体を抱くようにしてガタガタと震え始める。
【違わないよ。何も違わない。君は全部知っていて殺したんだよ。同じ人間を、同じ日本人を……人殺しだね。殺人者だよ。君は。それに、ほら……魔王の精神は君よりも脆弱だしね。】
邪神アンラは蹲るクロウの頭をポンと叩く。すると、クロウの背中から何かが抜けていく感覚に襲われる。
UGAGAGAGAGAGAGAGAGAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!
クロウの絶叫とともに背後に、黒い靄の様なものが浮かび上がる。それは、不定形な形のまま意志を持つように、邪神アンラから距離をとる。
Bbbbbbbbb………
【ほぅ……これが魔王クロウの正体ですか。なんとも、情けない姿をしていたのですね。】
ルシフェルは黒い靄を見て、鼻で笑う。
Bbbbbbbbb………
靄の様なもの、それはよく見ると極々小さい何かの集合体であることがわかる。それは羽虫であった。周囲に不快な羽音が響く。蝿、蜂、虻、蚊……それに名もない羽虫がひと固まりとなって、蠢いている。そして、その中央からは醜悪な魔力が放たれていた。
《な……何をしたのだ。これは我の身体だ……戻せ……我を戻せ!!》
蟲塊から意志が伝わって来る。しかし、それを邪神アンラとルシフェルは気にも留めずに、蹲っているクロウを注視している。
【君は勘違いしているよ。クロウ。君は魔王に操られていたんじゃない。君が逆に利用していたんだよ。すべての悪い事を魔王のせいにしてしまえるようにね。いや、最初は本当に操られていたのかもね。でも、そのうちに強い精神力の方が勝ってしまった。そう。クロウがね。あんなのでも弱っていた君くらいなら操ることができたのかも……。】
つまらない物を見るように、邪神アンラは蟲塊を見る。
【でも、案外、弱ったように見せかけて、君自身が悪意を引き寄せたのかもね。あ、無意識に悪意を呼び寄せたって線もあるか……。ま、どちらにしても、魔王クロウがやった事は君がやった事だよ。うわー、酷い事するよね。同じ人間なのに……家族とか大事な人なんかも居ただろうに……それをすべて君が奪ったんだよ。それに、君を魔王と崇めてた魔族たちもいっぱい死んでるね。あー、可哀想だなー。人間じゃないからって、魔族だってだけでこんな扱いされてさー。】
邪神アンラは、楽しそうにクロウに言葉を投げかける。その言葉、1つ1つに蹲ったクロウはビクンビクンと反応する。それを面白そうにルシフェルも眺めている。
「…………ろ………めろ……やめろ……やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろっ!!!」
クロウは蹲ったまま呟く。それは次第に絶叫に近いものになっていく。
「これ以上喋るな!邪神!!黙れ!!黙れよっ!!!」
【黙らないよ。やったことを受け入れなよ。じゃないと浮かばれないよ?君の中に生きている異世界人のスキルたちが。ぷぷっ、結局、君がやったことは全部無駄だったんだけどね。どんな気持ち?ねぇ、今、どんな気持ちぃ~?】
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!」
クロウは頭を抱えて天を仰ぎ、絶叫する。
【あ、堕ちたね。】
邪神アンラはニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。
Bbbbbbbbb………
次の瞬間、クロウの背後にいた蟲塊が、再びクロウの支配を試みようと、クロウへ向かっていく。ぶわっと様々な蟲たちが広がり、クロウを一気に押し包む。クロウの鼻、耳、口へ蟲たちが入り込んでいく。そして、最後に拳大の黒い塊がクロウの口へと吸いこまれるように入っていく。
ゴクリ……
クロウの喉が鳴る。
【ふははははっ!!油断したな!邪神よ!!今の我ならこの身体を完全に支配できる!!】
先ほどとは打って変わった醜悪な雰囲気を持つ魔王クロウ。魔王はいち早くこの場から脱出しようと【時間跳躍】を試みる。
パリィン…
何かが割れる音とともに、周囲の時間が凍結する。
【邪神よ……この恨み。必ず晴らしてくれる……】
魔王は、動かない邪神とルシフェルに向かって捨て台詞を吐くと、遥か上方に見える落ちてきた穴を見上げる。
【安い台詞ですね。】
不意に魔王の背後から声が聞こえる。振り向くとルシフェルが何事もないようにこちらを向いている。
【時間を操れるというのは本当だったのか。だが、お前1人なら……】
魔王はルシフェルに向き直り、臨戦態勢を取る。
【いやいや、なんで邪神は時間を操れないと思うかな……。本当につまらないね。素直に身体だけ渡してくれたら生かしてあげようと思ってたんだけど、どうしようもないね。蟲。】
魔王の耳に、絶望の声が聞こえてきた。邪神は目を細めながら掌を魔王に向ける。
!!
魔王はそれだけで身動きが取れなくなった。そして、クロウの胸にズブズブと邪神は手を挿し込んでいく。しかし、声を出すこともできない。手を引き抜くと、先ほどの拳大の黒い塊が握られていた。
【これが蟲の本体か……臭いな。ルシフェル。食べていいよ。】
邪神はそう言って、黒い塊をルシフェルへと放る。
【邪神アンラ様……これは本当に臭い。これを食べるのですか?はぁ……解りました。食べます。食べて見せましょう。】
ルシフェルは鼻を摘みながら、一気に黒い塊を飲みこむ。それを見て、邪神は楽しそうにパチパチと手を叩く。
【うわっ!?すごーい。本当に食べた。後で、お腹壊しても知らないからね。】
無邪気に笑う邪神は、一通り笑い終えると、ピクリとも動かないクロウへと向き直る。
【さて、ようやく手に入ったよ。最高の肉体に……。】
クロウの頬を愛おしそうに撫でる邪神は、恍惚とした表情でクロウの瞳を覗き込んだ。
〝巨神の背骨”の頂上にある社から、天に上る光が立ち昇った。それは、雲を突き破り、太い光の柱となった。しかし、それに気づいた者は魔族のほんのわずかな者しかいなかった。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
※次回の更新は11/12を予定しております。




