第六章 売る
翌朝十時になるころには、オールデンはオーソンの机を、売却のための地図に変えていた。
ノートパソコンには三つの一覧が並んでいる。
設備。
不動産。
稼働資産。
四つ目だけは、まだ“不明”のままだった。
コーヒーを手にしたギャリックが、戸口に立つ。
「問題に名前をつけ直したのか」
「検索できるようにした」
「お前らしくなってきたな」
オールデンはファイルキャビネットから出した敷地図を広げた。
最初の意外な点は、土地だった。
記憶では、工場を囲む一つの工業用地だけだったはずだ。
だが記録を見ると、同じ名義の隣接地がいくつもある。
倉庫の向こうまで続き、さらに進入路沿いにも伸びていた。
「どこまでうちの土地なんだ?」
ギャリックが机の後ろへ回る。
「網掛けされてる区画は全部」
「フェンスの中より広いじゃないか」
「フェンスは工場用だ。土地はその先にもある」
「なんで?」
「隣が売りに出るたび、お前の両親が買った」
オールデンはもう一度、地図を見た。
「会社が縮んでる時期に、親父は空き地を買ったのか?」
「もっと前に買ったのもある。あとからのもある」
「理由になってない」
「ああ」
オールデンは“不動産”の欄に新しい項目を足した。
隣接地一式。
二人で敷地を一周した。
工業道路は他人の土地を横切らず、そのまま搬入口までつながっている。
倉庫の裏には大型トラックが切り返せるだけの余地もあった。
排水には手を入れる必要があるが、アクセスそのものは生きている。
そして、電気設備の区画でオールデンは足を止めた。
古い受電設備。
開閉装置。
分電盤。
電線管。
建物へ引き込まれた太い幹線。
「昔、ここで何にこんな電気を使ってた?」
「製造ライン。溶接機。工作機械。ヒーターの試験。倉庫。事務所」
オールデンは導体を目で追った。
「今の稼働量に対しては大きすぎる」
「人がいなくなれば、だいたい何でも大きすぎるようになる」
「まだ使える?」
「生きてる系統もある。点検が要るものもある」
「容量は?」
ギャリックが首を振る。
「表計算に数字を入れる前に、電力会社へ聞け」
「入れようとはしてない」
「してた」
オールデンは設備を何枚か撮影した。
古い産業用電気設備が中古市場でいくらになるのかは知らない。
だが、これをゼロから造り直せばいくらかかるかなら、想像できた。
“不明”に置いていた産業用電力設備を、“稼働資産”へ移す。
価格未定。
再構築コスト高。
それで十分だった。
修理工場まで見れば、全体像はさらに変わった。
計測器。
試験機器。
溶接設備。
工作機械。
部品保管棚。
空っぽの箱ではなく、まだ仕事のできる床がある。
そして、何がどこにあるかを知っている男が、一人いる。
オールデンは工場内を見渡した。
「設備をばらして個別に競売へ出したほうが、高く売れるかもしれない」
「かもな」
「事業ごと一式で売るなら、買い手は減る」
「確実に」
「でも、相手さえ合えば、ここを一から造り直さなくていいこと自体に金を払う」
ギャリックが頷いた。
「今のは、少し敬意が混じってたな」
「値付けしてるだけだ」
「もちろん」
昼までに、オールデンはフェアバンクスの産業機械ブローカーと、商業不動産の知人へ連絡を取った。
ブローカーが欲しがったのは、型番、写真、状態の記録。
不動産側が欲しがったのは、区画ごとの登記資料。
どちらも値段は言わなかった。
代わりに宿題を増やした。
オールデンは表計算を見つめる。
サンドイッチを食べながら、ギャリックが訊いた。
「何だ?」
「俺は死んだ会社を清算しに来たんだ」
「それで?」
「本当に死んでてくれたほうが楽だった」
「悪かったな」
「悪いと思ってる声じゃない」
「食ってるからな」
オールデンは画面へ視線を戻した。
昨日まで見えていたのは、古びた建物と古い設備だった。
今、見えているのはひとつの“場所”だった。
ひと続きの土地。
トラックが入れる道路。
倉庫。
産業用の電力設備。
まだ動く修理工場。
そのどれも、ヴォス・アークティックを優良企業に変えるわけではない。
だが、ばらばらに売れば、まとまっているからこそ生まれている価値まで壊すことになるかもしれない。
面倒な話だった。
オールデンはノートパソコンを閉じた。
「明日は、今動いてる修理案件を全部出してくれ。顧客所有の機械も全部。それから、間違って売ったら法的にまずいものも」
ギャリックはサンドイッチを食べ終えた。
「強い分類だな」
「本気で言ってる」
「俺もだ」
「それが終わったら、敷地一式で売れる形にまとめる」
ギャリックは一度だけ頷いた。
反対はしなかった。
その晩。
レノラは台所のテーブルにつき、怪我をした脚を高く上げていた。
手の届くところには歩行器がある。
オールデンは彼女の横にファイルを置いた。
オーソンの死後、ヴォス・アークティックと土地の所有権はレノラへ移っていた。
オールデンにできるのは、棚卸しをし、値段をつけ、買い手と話をするところまで。
実際に何かを売るには、母の署名が要る。
「工場を一通り見た」
レノラがファイルへ目を落とす。
「それで?」
「無価値じゃない」
「知ってる」
「土地は記憶より広かった。進入路も問題ない。工場にはまだ産業用の電気設備がある。倉庫も、修理設備も。一部の在庫も使える」
「知ってる」
オールデンは向かいの椅子に座った。
「売る前に、ちゃんと整理する」
レノラは脚の上のアイスパックを直した。
「そう」
オールデンは待った。
母はファイルを開いた。
「それだけ?」
「何を期待してた?」
「反対」
「反対したら、考えを変える?」
「変えないでしょうね」
「じゃあ、なんで一回分の喧嘩を無駄にするの?」
そう言って、レノラは資料を読み始めた。
一枚目。
二枚目。
オールデンは、その指先を見ていた。
反発されると思っていた。
何も言われないほうが、かえって落ち着かなかった。
「本当に、何も言わないのか?」
レノラはページから目を上げなかった。
「ひとつだけ」
「何?」
「あなたのお父さんも、昔まったく同じことを言ったわ」
お読みいただき、ありがとうございます。
本作は、作者本人が海外の小説投稿サイトで発表しているオリジナル作品の日本語版です。
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――東川鬼面斎




