第五章 門
モロウ・クリークに戻った翌朝。
ギャリックは再び、オールデンをヴォス・アークティックへ連れていった。
今度は、そのまま門をくぐった。
チェーンは錠をかけられず、柱に巻きつけてあるだけだった。
南京錠そのものは、ギャリックのカップホルダーに転がっている。
オールデンはそれを見た。
「防犯は?」
「去年の冬、錠が凍った」
「交換しなかったのか?」
「二回した」
ギャリックは主工場の脇に車を停めた。
「交換した二つは?」
「凍った」
オールデンは車を降りた。
昼の光の中で、しかもフェンスの内側から見ると、敷地は昨日よりひどく見えた。
ヤードには鋼鉄ラック、ヒーターの筐体、配管、骨組みだけになったトレーラーが二台。
そして、オールデンが頭の中で重量当たりのスクラップ価格を計算したくなるほど、正体不明の金属が転がっていた。
主工場の外壁は色褪せているが、歪んではいない。
搬入口の扉には下端に錆。
小さな倉庫は、危険というより単に疲れて見えた。
オールデンはスマートフォンのメモを開く。
売却。
スクラップ。
不動産。
撤去費。
ギャリックが画面を覗いた。
「中に入る前から分類したのか」
「あとで変えられる」
「安心だな」
脇のドアは、途中で引っかかった。
ギャリックが取っ手を少し持ち上げ、もう一度引く。
今度は開いた。
オールデンは垂れた蝶番を見た。
「ドアを交換」
「蝶番を調整」
「曲がってる」
「曲がってるのは枠だ。ドアは平気だ」
オールデンはメモを一行追加し、すぐ消した。
工場の中には、鉄と古い油と埃の匂いがあった。
それに、何かが少し焦げたような匂い。
製造フロアは、ほとんど空だった。
床には、かつて作業区画を分けていた塗装線が残っている。
溶接用カーテンは壁際に畳まれたまま。
天井にはオーバーヘッドホイスト。
奥には大型ヒーターが三基。
部品カートが一列。
そして、明るい作業灯の下にワークベンチ。
そのうち一灯だけが点いていた。
オールデンはギャリックを見る。
「今も一人でここで作業してるのか?」
「だいたいな」
「効率はいい」
「いや。寂しいだけだ」
オールデンは一度、スマートフォンから手を離した。
ギャリックは一番近いヒーターへ歩いていった。
外装には傷が入り、留め具の周りは塗装が擦れている。
オールデンは筐体を軽く叩いた。
「スクラップ?」
「客のだ」
「三十年物に見える」
「十八年」
「それは助かる」
「燃料ポンプと制御基板を替える。終わったらフェアバンクス郊外の倉庫へ戻す」
オールデンはもう一度その機械を見る。
「修理する価値がある?」
「客にとってはな」
「新品に替えるより?」
「新品は今のダクトに合わん。新しい機械を入れるなら、設備の半分をやり直す」
オールデンはメモの“スクラップ”から、その一台を外した。
二人は列に沿って進む。
パネルに亀裂の入った移動式ヒーター。
「スクラップ」
「部品取り」
前面パネルが半分外されたボイラー制御盤。
「スクラップ」
「リレー待ち」
防水シートの下に積まれたモーター。
「スクラップ」
「二つはな」
オールデンは足を止めた。
「死んでるやつに印を付ければ早いだろ」
ギャリックは二台のモーターに貼られたオレンジ色のテープを指した。
「付いてる」
オールデンはテープを見る。
「……わかった」
「いい仕組みだろ」
「そうは言ってない」
「言うところだった」
二人は修理エリアへ入った。
ここだけは、建物がまだ生きているように見えた。
工具には置き場所がある。
電気計測器はフックに掛けられ、ベアリング、コンタクタ、リレー、継手、ボルト類はラベル付きの引き出しに収まっていた。
万力には新しい傷。
一台の作業台には、分解されたバーナー部品が順番どおりに並べられている。
オールデンは小さな金属製ハウジングを手に取った。
「まだ、これだけ在庫を持ってるのか?」
「必要な分はな」
「在庫額はいくら?」
「仕入れ値で数えるか、一月にトラックが二時間先で止まったときに、それがどれだけ助けになるかで数えるかによる」
オールデンは部品を戻した。
「仕入れ値」
「なら、その数字は間違う」
「それでも買い手が最初に見る数字だ」
「どこの買い手だ?」
オールデンは彼を見る。
ギャリックは肩をすくめた。
「フェアバンクスの買い手なら古い部品を見る。マイナス四十度で機械を動かしてる人間なら、“火曜の夜を救う部品”を見る」
オールデンは何も入力しなかった。
次は倉庫だった。
ギャリックが鍵を開ける。
こちらは一度で開いた。
中にはパレットラック。
箱入り部品。
ダクト材。
バーナー部品。
ポンプ。
配線。
古い制御盤。
それから、カバーを掛けられた完成品のヒーターが何台か。
オールデンは最初の通路をゆっくり歩いた。
「多すぎる」
「お前の親父は先に買う人だった」
「溜め込んでたんだろ」
「冬に部品を三週間待つのが嫌いだった」
「動かない在庫は、棚に寝てる現金だ」
「道が閉じるまではな」
オールデンはラックを見上げた。
ギャリックは反論しているような口調ではなかった。
それが余計に言い返しづらい。
「このうち、もう使えないものはどれくらい?」
「ある」
「どれくらい?」
「今も現場で何に合うかなら言える」
「聞いたのはそこじゃない」
「そっちが役に立つ答えだ」
オールデンは反射的に言い返しかけた。
そして止まった。
最近、よく似たことを言われた気がする。
二人は先へ進んだ。
正午になるころには、最初の四分類は八つに増えていた。
完成品として売却。
部品として売却。
修理案件が終わるまで保管。
スクラップ。
不明。
建物。
土地。
撤去費。
オールデンがいちばん嫌ったのは“不明”だった。
すでに、スクラップより“不明”に入るもののほうが多い。
工場の奥で、ギャリックが別の扉を開けた。
事務所へ続く廊下は、記憶より狭かった。
手前の事務室には空の机と、何年分もの仕事名が貼られた書類棚。
昔の配車ボードには、消しきれないマーカーの跡が残っている。
壁には、駐車場のほとんどが車で埋まっていたころの工場写真が掛かっていた。
オールデンは立ち止まらなかった。
廊下のいちばん奥。
オーソンの執務室。
扉は閉じていた。
ギャリックはポケットから鍵束を出した。
そして、そのままオールデンへ差し出す。
オールデンは彼を見た。
「鍵は持ってるんだろ」
「今からは、お前もだ」
オールデンは受け取った。
鍵は少し渋かった。
だが回った。
部屋は、故人を祀るように保存されてはいなかった。
そのことに救われた。
机には埃。
脇のテーブルには壊れたプリンター。
一つの棚は、バインダーの重みでたわんでいる。
オーソンの古い上着はない。
コーヒーマグもない。
死んだ男の部屋というより、必要とする者がいないまま放置された仕事場だった。
オールデンは机の後ろへ回る。
壁際に金属製のファイルキャビネットがあった。
「会社の記録?」
「一部は」
「残りは?」
ギャリックがドア枠にもたれた。
「開けろ」
一段目。
設備マニュアル。
二段目。
仕入先のファイル。
古い修理記録。
電力会社との往復文書。
不動産関係書類。
敷地図。
許認可。
道路使用関係。
電気図面。
保守記録。
それから、オーソンの角ばった字でラベルを付けられたフォルダーが何冊も。
三段目を開ける。
さらに出てきた。
オールデンは分厚い敷地関係のバインダーを抜き、机に置いた。
もう一冊。
その奥から、丸めて保管されていた図面も引き出す。
ギャリックを見る。
「暖房機屋一軒に、どれだけ書類が必要なんだ?」
ギャリックは開いたキャビネットへ目をやった。
「お前の親父は、ここを“暖房機屋一軒”だとは思ってなかった」
オールデンは、父の机に広がったものを見る。
電力関係の書類。
土地図。
敷地図面。
許可証。
電気系統図。
「じゃあ、何だと思ってた?」
ギャリックはドア枠から身体を起こした。
「売るのはお前だろ」
机の上の書類へ顎を向ける。
「自分で確かめろ」
オールデンはスマートフォンへ目を落とした。
新しいメモを開く。
VOSS ARCTIC — SALE INVENTORY
ヴォス・アークティック――売却資産一覧
最初に打ち込んだのは、「売却」ではなかった。
不明。
お読みいただき、ありがとうございます。
本作は、作者本人が海外の小説投稿サイトで発表しているオリジナル作品の日本語版です。
続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。
――東川鬼面斎




