第五十九章 泥
寒波は、何の区切りも告げずに去った。
暖を取る部屋の張り紙は、モロー・ハウスの引き出しに残った。貸し出したヒーターが一台ずつ戻り、ギャリックは緊急の依頼を段ボールの切れ端に書くのをやめ、いつもの修理予定表に戻った。
二月は、ふつうの寒さになった。
三月には、その寒さもいくらか緩んだ。
店の回収熱の灯について、誰も何も言わなくなった。採掘場から熱が届けばつき、届かなければ消える。足りないところはボイラーが受け持つ。オールデンは何か月もかけて、人の興味を引く仕組みを作った。
そのいちばんよい成果は、誰も気にしなくなったことだった。
四月には雪山が灰色に汚れ、地面を頼りに立っているものすべての下で、その地面が動き始めた。
運送の運転手は工業地区の道の入口で止まり、それ以上入ることを拒んだ。
オールデンはトラックの横から、ヴォス・アークティックへ続く道を見下ろした。
「どこが悪いんです?」
運転手が指した。
「動くところ」
もう一度見る。
木の下には汚れた雪が残っていたが、道そのものは軟らかくなっていた。両脇を雪解け水が流れ、わだちには一晩で茶色い水がたまっている。倉庫の入口近くは、掻き回した泥の帯になっていた。
「先週は、かちかちに凍ってた」
「そりゃ結構」
「その荷台に、うちの荷物がある」
「わかってる。だから車軸ごと埋めたくないんだ」
大げさな荷物ではなかった。交換用のファン、電源装置、電気部品、修理用の在庫、それにギャリックが待っていた客の部品。けれど建物へ届かなければ、何ひとつ役に立たない。
ギャリックに電話した。
「道、どれくらいひどい?」
「そこに立ってるだろう」
「そういうことを訊いたんじゃない」
「なら、運転手がおまえを呼んで、降りてこない程度にはひどい」
工場のほうを見る。
「こうなると知ってた?」
「春が来るとは知ってた」
「言ってくれてもよかった」
「何か月も前に、おまえの費用一覧に道路補修と排水を入れた」
覚えていた。
冬のあいだは氷や取水量、暖房負荷、予備部品、寒さで車を死なせないことのほうが重要だった。泥は、いずれ来る問題に見えた。
その「いずれ」が、トラックに乗って到着したのだ。
「どうやって運び込む?」
「ピックアップと平積みのトレーラー」
「何往復もするぞ」
「するな」
「重いパレットもある」
「固いところに下ろして、乾いてから動かす」
「非効率だ」
間があった。
「道にそう言ってやろうか」
オールデンは電話を切った。
二時間後、一度の納品が六度になっていた。
運転手は分岐のそばの、いちばん地面の固い場所まで後退した。ギャリックが小さなパレットをピックアップで運ぶ。オールデンはトレーラーに二度乗り、靴底が沈む深さの泥に立ち、ハンドリフトという道具が軟弱な地面では、信念でもあるかのように仕事を拒むことを学んだ。
四往復目には時計を見るのをやめた。
六往復目には、本来何分で済むはずだったかを言うのもやめた。
最後の箱が入ったのは昼前だった。ギャリックが彼のズボンを見た。
「転んだか」
「転んでない」
「じゃあ、道の勝ちだ」
泥のついた手袋を片方外す。
「整地が要る」
「いくらかな」
「砂利も」
「いくらかな」
「排水も」
「そっちは、もっとだ」
低くなったところを雪解け水が横切っていた。浅い側溝は凍ったごみと除雪で押し固められた雪に塞がれ、その先では何か月も同じ車輪の跡を踏まれた路面が軟らかくなっていた。
去年の夏、物件の値踏みをしていたころ、排水の問題には気づいていた。
〈排水に手直しが必要〉と書いた。
それから、もっと面白い問題へ移ってしまった。
今、そのメモに請求書がついた。
事務所でパソコンを開き、地元の道路業者に電話した。説明を聞き終えた相手に尋ねる。
「今週、直せますか」
「できるかもしれん」
「それでは日程にならない」
「雪解けの時期だ」
「トラックが入れないと困る」
「みんなそうだ」
「今できることは?」
「軟らかいところに重い車を入れない。路盤を壊さない範囲で、水の逃げ道を開ける。明日見に行く。今日あのスープに砂利を放り込んでも、高いスープになるだけだ」
オールデンは書き留めた。書くのは愉快ではなかった。
届いたばかりの電源装置を持って、ギャリックが通りかかった。
「道は手に入ったか」
「スープが手に入った」
「いい業者だ」
「知ってるのか」
「ああ」
「だろうね」
電源装置が作業台に置かれた。
保守予算を開く。取水口、凍結防止ヒーター、車両の寒冷地整備、除雪、緊急用の在庫。冬に必要な項目には、それぞれ欄ができていた。かつては、その多くを本業の周りにまとわりつく季節の厄介事だと思っていた。
新しく一行加えた。
〈春季の搬入路確保・排水〉
ギャリックが肩越しに見る。
「泥をエクセルに入れるのか」
「金を入れるんだ」
「そのほうが役に立つ」
道路補修の概算を入れ、次の納品を一週間延ばした。道が無事なふりをするより、安く済んだ。
翌朝、業者は二人と敷地を歩いた。
新しい道にしてやるとは言わなかった。低い箇所を示し、水の逃げ道を二つ開け、地盤が締まるまでトラックが通ってよい場所を教えた。
「そのあと、いちばん悪いところを作り直す?」
「水が抜けたら」
「どのくらいで?」
男は空を見、道を見た。
「場合による」
オールデンは黙って見返した。
ギャリックが笑う。
「気をつけろ。確率を訊かれるぞ」
業者は沢を指した。
「水は増えてるか」
「ええ」
「そっちは都合がいい?」
「水力には」
「じゃあ、春もひとつはくれたな」
発電所へ目を向けた。
一月より沢の水は多く、融雪とともに出力も上がっていた。その一方で、部品や客や燃料や荷物を運ぶ道は、頼りなくなっている。
同じ季節が、別の答えを出していた。
オールデンは携帯をしまった。
週の終わりにも道はひどい見た目だったが、支えられる重さを守れば通れた。採掘は続き、修理も進んだ。納品は二件、無理に通さず予定を変えた。客の整備車が重すぎた一件は、修理を終えた暖房機を分岐まで運んだ。
勝ったという気は、少しもしなかった。
ただ、何も止まってはいなかった。
金曜の午後、作業予定のボードから〈寒波〉を消し、その下に書いた。
〈泥〉
通りかかったギャリックはそれを見て、そのまま歩いていった。
オールデンは下の空白を見つめ、もう一行加えた。
〈次〉
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本作は、作者本人が海外の小説投稿サイトで発表しているオリジナル作品の日本語版です。
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――東川鬼面斎




