第五十章 まだ、ここにいるから
ギャリックが失敗した接続部を持って帰るころには、水はもう増えていなかった。
ただし、床のほぼ全部にあった。
オールデンとマレンは、部屋の両側からモップをかけた。
聞こえるのは、
ボイラー。
冷蔵設備のコンプレッサー。
濡れた床を擦るゴムの音。
マレンの靴はヒーターのそば。
中にはペーパータオルが詰められている。
オールデンはまた見た。
「やっぱり、靴は弁償する」
「しないでいい」
水を押し返しながら、マレンが言う。
「その分、早くモップかけて」
オールデンは従った。
十分ほど、二人とも話さなかった。
バケツの水を捨てて戻る。
「床は?」
「今のところ平気」
「壁」
「濡れてる。でも傷んでない」
「下の棚」
「中身はもう全部移した」
頷く。
マレンが手を止めた。
「頭の中で損害一覧作ってるでしょう」
「作ってる」
「顔に出てる」
「何を壊したか把握するべきだ」
「壊したのはシールと、私の朝」
オールデンはモップを壁へ立てかける。
「ギャリックには中止って言った」
「聞いた」
「今日だけじゃなく、全部」
「それも聞いた」
マレンはタオルを絞る。
オールデンは待った。
「反対なんだろ」
「恥ずかしくなってるだけに見える」
「店を水浸しにした」
「うん」
「俺が持ち込んだ設備で」
「うん」
「俺の主張を補強してる」
「事実を確認してるだけ」
オールデンはまたモップを持つ。
「工場試験は通った」
「知ってる」
「現場接続は通らなかった」
濡れた床を見る。
「問題は、次に何が壊れるかわからないことだ」
マレンがバケツを指した。
「聞いたことある台詞だね」
オールデンが見る。
「今週ずっと、“試験って、知らないことを見つけるためにやるもの”って言ってたでしょう」
「ヴォス・アークティックでやる試験とは違う」
「自分の床だから?」
「ああ」
「感動的」
マレンはタオルを置いた。
「ここは私の店。試験をやるって決めたのも私」
「これに同意したわけじゃない」
「失敗するところまで同意する人はいないよ」
「だから止めるべきなんだ」
「なんで?」
「君の商売に、俺の失敗のコストを吸収させる権利はない」
マレンは少し考えた。
「そこは同意」
オールデンの手が止まる。
「ただ、次をやるなら、今回より良くする」
「次?」
「接続。支持。隔離。漏れたときの受け。止め方。全部」
「“次”って言った?」
「言った」
「床、水だらけだけど」
「だから意見が増えた」
マレンはまたモップを持つ。
「勘違いしないで。あなたが賢くなった気になるまで、店で好き放題実験していいとは言ってない」
「わかってる」
「次のバージョンがあるなら、“これで十分”を決める場に私もいる」
オールデンには、予想していなかった答えだった。
モップの柄にもたれる。
「まだ、やりたい?」
「暖房費を下げたい」
「同じ意味じゃない」
「そのほうがいい」
少し笑いそうになる。
マレンが見逃さない。
「ほら。回復してきた」
また水を押す。
数分後。
外の空が少しずつ灰色になる。
サービス扉の横には、外した仮設設備。
「今夜は組み直さない」
「よし」
「接続。支持。隔離。全部見直す」
「よし」
「数字か施工が合わないなら、その時点でやめる」
マレンが頷いた。
「それは、“今日失敗したからやめる”とは違う」
最後の水を入口側へ寄せる。
マレンは部屋を見回した。
「たぶん、次はうまくいくよ」
オールデンが止まる。
「わからないだろ」
「わからない」
「じゃあ、なんで言う」
マレンはモップの柄に両手を置いた。
少しだけ笑った。
「だって、まだここにいるでしょう」
オールデンは返事をしなかった。
ただ、濡れた床の上に立ったまま、その言葉をしばらく聞いていた。
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本作は、作者本人が海外の小説投稿サイトで発表しているオリジナル作品の日本語版です。
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――東川鬼面斎




