第四十四章 彼女も、出たかった
夜九時半。
マレンが入口を施錠すると、オールデンはまだ隅の席にいた。
「閉店したけど」
「照明半分消した時点で気づいた」
「食べ終わって二十分だよ」
「待ってた」
「嫌な言い方」
「君を」
「もっと嫌」
片づけが終わった厨房で、二人は卵とトースト、それにイベント客が残したパイを食べた。
マレンが卵を一口。
「まあ、食べられる」
「ありがとう」
「褒めてない」
「危険度が高いから褒め言葉に聞こえた」
しばらく無言。
採掘場は安定。
水力も冬の出力で落ち着いている。
一時間くらい、自分がいなくても何も起きない。
そのことが、まだ少し奇妙だった。
マレンがパイを細く切る。
「見すぎ」
「考えてる」
「見てるだけのほうがましだった」
暗い窓の向こうへ目をやる。
「子どものころ、君はこの町が好きなんだと思ってた」
「好きだったよ」
「俺みたいに“出たい”って言わなかった」
マレンはナイフを置いた。
「あなたが二人分言ってたから」
「答えになってない」
「史実にはなってる」
少しして、彼女は向かいへ座った。
「急にどうしたの?」
「昨日」
「暖房費から、私の少女時代に飛んだ?」
「違う」
「よかった。気味悪いから」
オールデンは続けた。
「冬が店にどう効くか全部わかってた。市場が小さいことも。上限も」
「その話、前にもしたね」
「それでも選んだ」
「そう」
「俺は選ばなかった」
マレンが見る。
「昔の俺は、戻ることを負けだと思ってた」
「知ってる」
「君は、そう思ってないように見えた」
マレンが笑った。
「本当に覚えてないんだ」
「何を?」
「私のほうが先に、ここを出たがってた」
オールデンは言葉を失った。
「十三歳のころ、ベッドの下にパンフレットのファイル隠してた」
「何の?」
「大学。街。あとで料理学校。スーパーより高い建物がある場所なら何でも」
「見せてもらってない」
「あなたが会う人会う人にカリフォルニアの話してたから」
「行ったことなかったけど」
「そこは全然問題にしてなかったよね」
マレンは笑う。
町中が親のことを知っているのが嫌だった。
学校をさぼれば、帰宅する前にヴェラへ知られている。
食べる店は三つ。
二つは早く閉まる。
冬は嫌い。
「今も嫌いだろ」
「今は仕事として嫌ってる」
オールデンがサーモスタットを見る。
「やめて」
両手を上げた。
高校最後の年。
学校の前でオールデンのトラックが壊れた。
フェアバンクスの工学プログラム見学に行けなくなり、彼は二日間、モロウ・クリークそのものに将来を邪魔されたような顔をしていた。
「燃料ポンプが壊れたんだ」
「だから」
マレンはパイを食べる。
「私、あのとき羨ましかった」
「燃料ポンプが?」
「あなたが」
オールデンは止まった。
「あなたには予定があった。大学。工学。遠い場所。周りも、あなたが出ていくって知ってた」
「君も出た」
「あとでね」
「アンカレッジへ」
「そのうち」
マレンは腕を組む。
「あなたが出たとき、みんな誇らしかった。心配もした。でも驚かなかった」
「親父は驚いた」
「オーソンは、感情出すの下手だっただけ。知ってたよ」
コーヒーへ視線を落とす。
マレンはそれ以上、父の話を掘らなかった。
「私が出たいって言ったときは、“なんで?”って聞かれた」
仕事もある。
家族もいる。
友達もいる。
何が不満なのか。
「実際、何が不満だった?」
「何も」
「理由として弱いな」
「そう。そこが困った」
安全な町。
名前を知っている人たち。
帰りを気にする親。
それを欲しくても持てない人がいる。
自分には全部あった。
それでも、誰も自分を知らない街へ行きたかった。
「幸運に閉じ込められてる感じだった」
冷蔵庫のコンプレッサーが動き始める。
「狭いアパートに住みたかった。夜遅くまで開いてる店。渋滞。失敗しても母親に電話されない職場」
「最後のはわかる」
「最高だった」
「失敗した?」
「何度も」
「見たかった」
「嘘」
「うん」
オールデンは、記憶の中のマレンを修正しようとした。
この町に馴染む人。
ここにいるのが当然の人。
そうではなかった。
彼女も、同じ出口を見ていた。
「残る側が好きなんだと思ってた」
マレンは首を振る。
「ここにいるのが上手だったから、“ここにいるべき人”に見えたんでしょう」
「同じじゃない?」
「違う」
食器を片づける。
オールデンは布巾を持った。
「出たかったんだな」
「うん」
「俺より?」
「あなたより早く」
「記憶に都合が悪い」
「あなたの記憶、昔から要編集だから」
最後の皿を拭く。
外では、最後の車の跡も雪に埋まり始めていた。
「出たあと、どうなった?」
マレンはコートを着る。
裏口を開くと、冷気が流れ込んだ。
「続きは明日」
「それだけ?」
「今日はここまで」
彼女は雪の中へ出た。
オールデンは厨房の灯りを落とし、そのあとを追った。
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本作は、作者本人が海外の小説投稿サイトで発表しているオリジナル作品の日本語版です。
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――東川鬼面斎




