第二十章 電力
アルデンが初めてオーソンに連れられてモロー・クリークへ来たのは、十四歳のときだった。
そのころ、工場はまだなかった。
倉庫も、受電設備も、トウヒの斜面を下る水圧鉄管もない。
そうしたものの大半は、アルデンがアラスカを離れ、父親が故郷で何をつくっているのか気にしなくなってから、何年もかけて増えていった。
当時そこにあったのは、砂利の退避所と、濡れた藪と、蚊だった。
それから、十四歳のアルデンには「何をするにも遠すぎる」としか思えない土地。
オーソンはピックアップを停め、エンジンを切った。
「降りるぞ」
アルデンは助手席に座ったままだった。
「何もないじゃん」
「だから買える」
「安いからって、いい土地とは限らないだろ」
オーソンが息子を見る。
「お前、十四歳だぞ」
「不動産くらい分かる」
「文句なら何種類にも分類できるな」
アルデンは渋々、車を降りた。
オーソンは折り畳んだ地図を脇に抱え、測量杭を越えて低い丘へ登っていく。
アルデンは蚊を叩いた。
「工業団地のほうが近い」
「ああ」
「道も舗装されてる」
「ああ」
「会社も多い」
「ああ」
「電気だって、向こうのほうがいい」
オーソンが足を止めた。
「違う」
アルデンは道路の方向を指した。
「向こうには電気が来てるだろ」
「この電気じゃない」
「どんな電気だよ」
オーソンは答えず、ピックアップのボンネットに地図を広げた。
指を置く。
「道路」
「見れば分かる」
「電力会社」
「それも見える」
「川」
アルデンは木々の向こうを見る。
「だから?」
「落差」
「何?」
「水は下へ流れる」
「水の仕組みくらい知ってるよ」
少し得意げになった息子に向ける、いつもの目だった。
「よかった。説明が一つ減った」
オーソンは区画のさらに奥を指した。
「土地」
「向こうにも土地はある」
「足りない」
「何に?」
「あとで使う」
アルデンは、その答えが嫌いだった。
「あとで何するんだよ」
「まだ分からん」
「分からないのに、なんでそのための土地を買うの?」
「分かったころには高くなるからだ」
十四歳のアルデンには、目の前の藪しか見えなかった。
当時の彼は、父親が安いからという理由で、条件の悪い土地を選んでいるのだと思った。
だから、そう言った。
「安いから、悪いほうを買うんだろ」
オーソンは地図を畳んだ。
「違う」
「でも安いじゃん」
「それとこれは別だ」
「何が?」
オーソンは一度、土地を振り返った。
「安さは、払うときの話だ」
アルデンは黙った。
「価値は、払ったあとに何が残るかだ」
十四歳のアルデンは目を回した。
オーソンは運転席のドアを開ける。
「そのうち、お前も建物だけを商売だと思わなくなる」
「じゃあ商売って何?」
父親は、何もない土地へもう一度目を向けた。
「建物を働かせ続けるものだ」
記憶は、そこで途切れていた。
そのあと何もなかったからではない。
十四歳のアルデンが、そこで話を聞くのをやめたからだ。
今。
三十二歳になったアルデンは、オーソンの事務所で、あの土地比較表を前にしていた。
LAND.
WATER.
POWER.
土地。
水。
電力。
窓の向こうの工場は、相変わらず古びていた。
外壁は直すところだらけだ。
製造事業も、ほとんど息をしていない。
そこは何も変わっていない。
変わったのは――
これまで別々だと思っていたものが、ひとつにつながって見えるようになったことだった。
アルデンは売却用のワークブックを開いた。
BUILDING.
建物。
LAND.
土地。
WAREHOUSE.
倉庫。
TOOLS.
工具。
INDUSTRIAL SERVICE.
産業用受電設備。
HYDRO.
水力発電。
PENSTOCK.
水圧鉄管。
INTAKE.
取水設備。
INTERCONNECTION.
系統連系。
ROAD ACCESS.
道路アクセス。
REPAIR CAPABILITY.
修理能力。
そこで指が止まる。
もう一行、追加した。
OPTIONALITY.
選択肢。
「それは会計科目じゃないぞ」
ギャリックがコーヒーを持って、入口に立っていた。
アルデンは顔を上げた。
「いつからいた?」
「カリフォルニアが土地を発明するあたりから」
アルデンはノートPCを少し回した。
「父さんは、電力を見てここを選んだんだ」
「それだけじゃないがな」
「水力発電をつくるって、最初から決めてた?」
「つくれる余地を欲しがってた」
「それは同じじゃない」
「ああ」
アルデンはまた画面を見る。
「俺、ずっと父さんは慎重すぎて、先のことを考えない人間だと思ってた」
「オーソンは、いつも先を見てた」
「ただ、やるのが遅かった」
ギャリックがコーヒーを飲む。
「違う」
アルデンが見る。
「自分の金でやってたんだ」
画面に視線を戻す。
シリコンバレーで、アルデンの会社は未来の一部を売りながら成長した。
出資を受ける。
権利を渡す。
その代わり、時間を買う。
オーソンは違った。
待って、自分で持てるものを増やしていった。
どちらが正しい、という話ではない。
だが片方だけが、家族に川と、水圧鉄管と、発電機と、産業用受電設備と、修理できる工場と――
何か馬鹿なことを試せる余地を残した。
机の上に携帯がある。
エヴェレットとのやり取りは、まだ開いたままだ。
アルデンは清算品ASICの写真までスクロールした。
使い古された筐体。
埃。
ばらばらの状態。
危険なくらい安い値段。
資産台帳の横に、採掘モデルを開く。
Bitcoin価格は上げない。
稼働率も良くしない。
「四百五十キロワット使える」とも入力しない。
水力発電は保守的な出力で置く。
運賃も。
死着も。
修理損失も。
予備費も。
そのまま残した。
それでも結果は、黒字だった。
大儲けではない。
黒字。
ギャリックが画面を覗く。
「買うのか、それ」
アルデンは答えた。
「スプレッドシートが嘘をついてるか確かめられる分だけ買う」
「高そうな確認だな」
「信じ込むより安い」
アルデンは携帯を取った。
エヴェレットに打つ。
ロット全部はいらない。
返信はすぐに来た。
怖くなったか。
無視する。
試験用の少量が欲しい。故障傾向が偏らないなら、混載でいい。シリアル番号、実際に持ってる状態記録は全部。汚い機械をきれいなふりして混ぜるな。
返事まで一分近くかかった。
その注文、前よりずっと面倒だな。
いい。
どれくらい小さく?
アルデンはオーソンの比較表を見た。
LAND.
WATER.
POWER.
そして採掘モデル。
間違っても、破産じゃなく授業料で済む程度。
エヴェレットから返る。
それはまだ数字じゃない。
アルデンは少し笑った。
輸送効率が成立する中で、最小の混載ロットを組んでくれ。状態基準は前に話したとおり。勝手な差し替えはなし。
少し間。
数字はつくれる。
送ってくれ。
携帯を置く。
これまでASICは、写真と、マニフェストと、スプレッドシートのセルでしかなかった。
今初めて、アルデンは自分が何を賭けるのか決めた。
倉庫全部ではない。
八百台でもない。
小さな一ロット。
運賃も。
故障も。
修理も。
アラスカも。
全部通したあとで、モロー・クリークの「安いワット」が本当に残るのか。
それを確かめるためだけの量。
携帯がまた震えた。
エヴェレット。
機械リスト、着地原価、条件を送る。
アルデン。
了解。
さらに一通。
普通の人間なら、ここでちょっと興奮するんだけどな。
アルデンは事務所の窓越しに修理区画を見た。
ギャリックがポンプを直している。
その向こうに、古い受電設備。
さらにその先、トウヒの向こうでは、水圧鉄管が父親の発電所へ落ちている。
二十年近くかけて、オーソンが残したもの。
アルデンは返信した。
先に数字を送れ。
エヴェレットから返ってきた。
やっぱりお前だな。
お読みいただき、ありがとうございます。
本作は、作者本人が海外の小説投稿サイトで発表しているオリジナル作品の日本語版です。
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――東川鬼面斎




