第81話 命の速度
朝。
テントの中で、俺はエナックを睨みつけていた。
「……減ってる」
画面に表示された数字は、予想以上に心もとないものだった。
所持金の残高だ。
このエナック、不思議なことに財布の中身を正確に把握している。
どういう仕組みなのかは未だに分からない。
マナで紐づいているから、俺が所有権を主張している硬貨を自動でカウントしているのか?
(……便利な機能だけど、減っていく数字を見るのは胃が痛いな)
山岳地帯でドワーフから高値で物資を買ったこと。
そして、毎月支払っているエナックの高額な維持費。
「本格的にサイフが軽くなってきたな……」
「えっ? あんなに報酬もらってたのに?」
身支度を整えていたユラが驚いた顔をする。
「物価の違いと、維持費がね……。それに、これから王都へ向かう旅費も必要だ」
「むぅ。食べるのを、減らすか?」
ラクンが心配そうに朝食のパンを半分こにしようとする。
「いや、食事を減らすのは最後の手段だ。まずは稼ごう」
俺は立ち上がった。
幸い、ここは移動"都市"だ。
仕事ならあるはずだ。
◇ ◇ ◇
ヘグムの冒険者ギルドは、巨大な車輪がついた馬車型の建物だった。
揺れるカウンターで職員に相談すると、すぐに一つのクエストを紹介された。
(三半規管の弱い人は、ここに住めないだろうな)
『メスターの群れ管理・選別補助』
「選別?」
「ええ。メスターの状態を確認する仕事です。人手が足りなくて」
職員が取り出したのは、片目だけの眼鏡のような魔導具だった。
「これをつけてメスターを見ると、状態が分かるようになっています。『足の怪我』『内臓疾患』『老衰』……そういった異常を見つけてください」
(へえ、〈鑑定〉スキルの魔導具版か)
ありそうだとは思ってたけど、そういう魔導具はやっぱりあるんだな。
「ただし、使用には大量のマナを消費します。なので魔法使い向けのクエストなんですが……」
「マナなら自信があります。やります」
常に募集しているクエストらしい。
それだけメスターの数が多く、処理が追いついていないということだ。
◇ ◇ ◇
指定された放牧エリアは、白い絨毯を敷き詰めたような光景だった。
数千、いや数万はいそうなメスターの群れ。
「すごい数……」
「これ、全部見るのか?」
ユラとラクンも圧倒されている。
俺は渡された眼鏡を装着し、マナを流し込んだ。
視界が少し歪み、メスターの上に文字が浮かぶ。
〈メスター/状態:健康〉
〈メスター/状態:軽度の打撲〉
(なるほど、これなら誰でも分かるな。マナ消費は……うん、結構重いけど、今のところ問題ない)
俺たちは牧畜民の男の指示に従い、群れの中を歩き回る。
ふと、メスターたちが特定の草だけを避けて食べているのに気づいた。
足元には、食べ残された紫がかった草が点々と残っている。
(同じような草に見えるけど、メスターにも好き嫌いがあるんだな)
「好き嫌いがあるのは、ラクンと一緒ね」
ユラが食べ残された草を摘まみ上げながら笑う。
「肉は、臭い。チーズは、ウマイ」
「チーズの方が臭いだろ……」
ラクンが頬を膨らませる。
そんな他愛のない会話をしながら、俺たちは作業を続けた。
そして、見つけた。
〈メスター/状態:右後脚骨折・治癒不全〉
〈メスター/状態:老衰・内臓機能低下〉
「あそこに、状態の悪い個体がいます」
俺が指差すと、牧畜民たちが慣れた手つきでそのメスターを捕獲し、別の囲いへと連れて行く。
「治療するんですか?」
俺が何気なく尋ねると、男は首を横に振った。
「いや、処理する」
俺の足が止まった。
「……え?」
「移動について来れない奴は、ここで肉と皮にするんだ」
男は淡々と言った。
俺の背筋に冷たいものが走る。
「待ってください! 怪我なら俺の魔法で治せます!」
「……数頭ならな。だが、見てみろ。この数を」
男が指差した囲いの中には、すでに数十頭のメスターが集められていた。
そのすべてを、毎日治療し続けることなんて不可能だ。
「それに、老いた奴や、病気の奴はどうする? 魔法でも寿命は治せないだろう」
「それは……」
「ヘグムは止まれないんだ。群れ全体の速度が落ちれば、平原のモンスターの問題や、メスターたちの食料の問題。色んなところで支障をきたす」
俺は言葉を失った。
脳裏に、白い病室の天井がフラッシュバックする。
動かない体。
点滴の管。
ただ時間を浪費するだけの毎日。
(もし俺がメスターだったら……とっくに"処理"されていた側だ)
群れの足を引っ張る存在。
かつての俺は、まさにそれだった。
病院で"生かされていた"俺にとって、効率のために命を切る行為は、あまりにも残酷で、受け入れがたいものだった。
「置いていくわけにも……いきませんよね」
「そうだな。モンスターに生きたまま食われてしまう。それは慈悲にはならない」
男の言葉が重くのしかかる。
「苦しませずに一撃で逝かせてやる。そして、肉にし、皮にし、俺たちの血肉に変える。それが、飼う者としての責任だ」
数千頭の命と、この都市で暮らす数万人の生活。
それらを守るために、彼らは毎日この決断をしている。
(色んな人の生活がかかっているんだ)
俺みたいに、無責任に甘いことを言ってられないんだ。
俺は拳を握りしめ、そしてゆっくりと開いた。
「……作業を、続けます」
「ああ、頼む」
俺は再び眼鏡にマナを込める。
今まで以上に真剣に、丁寧に。
見落としがないように。
苦しみを長引かせないために。
ユラとラクンも、何も言わずに手伝ってくれた。
ラクンが小さな声で、歌を口ずさんでいるのが聞こえた。
オークの集落でも聞いた歌。
ラクンは「送る歌」だと言っていた。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時。
作業を終えた俺たちは、報酬の銀貨と、現物支給された肉を受け取った。
今日、選別された命の一部だ。
テントに戻り、鍋を囲む。
昨日ほど浮かれた気分にはなれない。
けれど、鍋から立ち上る湯気は、どうしようもなく食欲をそそる。
「……いただきます」
俺は深く頭を下げてから、肉を口に運んだ。
柔らかくて、甘くて、美味しい。
その味が、今日は少しだけ切なく感じた。
生きるということは、誰かの命を背負うこと。
そして、俺はもう"生かされる側"ではなく、"選んで生きる側"に立っているんだ。
その重さを噛みしめながら、俺たちは黙々と食事を続けた。




