第80話 メスター
都市の中に入ると、そこは活気に満ち溢れていた。
移動しているとは思えないほど、多くの人と獣が行き交い、市場の呼び込み声が響いている。
「ムームー!」
「ムッ、ムッ!」
どこからか、不思議な鳴き声が聞こえてくる。
声のする方を見ると、広場のようなスペースに、白いモフモフした塊が大量に集められていた。
「なんだあれ、綿あめ?」
俺が目を凝らすと、その綿あめにはつぶらな瞳と、小さな口がついていた。
〈メスター/風属性/レベル:1〉
「あれがメスターか!」
遊牧都市ヘグムの名産品、ヘグム絨毯の原料となる家畜だ。
草原で見かけたときは遠くてよく分からなかったけど、近くで見ると破壊的な愛くるしさだ。
「かわいい……!」
ユラが目を輝かせて駆け寄ろうとする。
しかし、ラクンがユラの手を引っ張った。
「ユラ、気をつけろ。……空気が、尖ってる」
その警告と同時だった。
ヒュンッ!
鋭い風切り音が響き、メスターの目の前の草がスパッと切断された。
「えっ!?」
ユラが慌てて足を止める。
「おっと、危ないよお嬢ちゃん! 今は毛刈りの最中だ!」
革のエプロンをつけた男が注意を飛ばす。
見ると、男たちは盾のようなものを構えながら、慎重にメスターに近づいていた。
「毛刈り……っていうか、討伐に見えるんですけど」
「ははは! 似たようなもんだ。こいつら、ストレスで風魔法で真空刃を飛ばすんだよ。レベル1だから威力は低いが、服が切れると厄介だからな」
(レベル1で真空刃!?)
どんな防衛本能だよ。
「それに、毛が伸びすぎると暑がって機嫌が悪くなるんだ。ほら、ムームーって鳴くのは『早く毛を刈れ』って合図なのさ」
男が指差す先で、モコモコのメスターが「ムームー!」と必死に鳴いている。
たしかに、見てるだけで暑苦しそうだ。
「手伝ってくれるかい? 今、人手が足りなくてね」
「面白そうですね。やります!」
俺たちは毛刈りを手伝うことになった。
「俺が魔法で守るから、2人は刈るのをやってみるか?」
「任せて!」
「……やる」
俺が〈ウォーター・シェル〉を展開し、飛んでくる真空刃を防ぐ。
水膜が風の刃を吸収し、無効化する。
「おお! あんた魔法使いだったのかい。いやあ、便利だよね魔法って。羨ましいよ!」
(こういう生活に根ざした褒められ方が、一番嬉しいかもしれない)
安全が確保されたところで、ユラとラクンがバリカンを手に近づく。
メスターが警戒して身を固くする。
「よしよし、怖くないわよ~」
ユラが慣れた手つきで顎の下を撫でると、メスターがうっとりと目を細める。
その横で、ラクンが小さくハミングを始めた。
穏やかなリズム。
すると、強張っていたメスターの力が抜け、だらりと脱力した。
「すごいわラクン! 大人しくなった」
「音を、合わせる、落ち着く」
(何それ凄いじゃん。もしかして、俺の魔法別に要らなかった?)
ジョリジョリ……。
2人の連携で、分厚い毛がみるみる剥がれていく。
中からスリムな本体が現れると、涼しくなったメスターは「ムッ!」と満足げに鳴いて走り去っていった。
「うわぁ……すごい手触り」
刈り取ったばかりの毛の山に、ユラが顔を埋めるようにして触れている。
「タケルも触ってみて! これ、すごいわよ」
「触りたい! ……うわっ、なにこれ、雲!?」
ふわふわで、しっとりとしていて、温かい。
これがヘグム絨毯になるのか。
そりゃあ「これじゃないと眠れない」って人が続出するわけだ。
「ラクンもほら」
「……うむ。これが、ふわふわか」
ラクンも恐る恐る触れ、その柔らかさに目を丸くしていた。
「ありがとう! 助かったよ。これ、報酬代わりの干しチーズだ」
男から、カチカチに乾燥した白い塊を渡された。
(……なかなか臭いな)
俺とユラが顔をしかめる横で、ラクンだけが鼻をひくつかせ、目を輝かせていた。
◇ ◇ ◇
労働のあとは腹が減る。
俺たちは屋台が並ぶ通りへやってきた。
漂ってくるのは、獣の脂の匂い。
でも、焼けた香ばしい匂いじゃない。
「いらっしゃい! メスター肉、茹でたてだよ!」
大鍋から湯気が上がっている。
中には骨付きの肉が豪快に放り込まれていた。
(茹で肉か……)
「焼かないんですか?」
「焼く? なんでせっかくの脂を落とすんだい? もったいない!」
店主のおばちゃんが目を丸くする。
どうやらここでは、煮るか茹でるかが基本らしい。
俺たちは「塩茹でメスター」を注文した。
ドン、と出された皿には、白っぽく茹で上がった肉塊。
味付けは塩のみ。
「いただきます」
かぶりつく。
ホロホロと崩れる柔らかさ。
そして、口いっぱいに広がる強烈な脂の甘み。
「うまっ! ……でも、濃い!」
臭みはないけど、獣の味がダイレクトに来る。
俺は慌てて、一緒に出された飲み物を煽った。
「ん? これミルクティー?」
「メスター茶だ。脂を流してくれるぞ」
お茶の渋みと乳のまろやかさが、口の中の脂をさっぱりさせてくれる。
なるほど、セットで食べるのが正解か。
「おいしい……。私、これ好きかも」
ユラは夢中で肉にかぶりついている。
肉食獣の本能が喜んでいるようだ。
口の端についた脂をペロリと舐める。
一方、ラクンは肉よりも報酬でもらったチーズに夢中だった。
「チーズ、サクサク、うまい」
「ラクンは肉、食べないの?」
「脂が、多い。こっちが、好きだ」
カリカリと音を立ててチーズをかじり、スープを啜っている。
(ラクンはあまり肉を好まないみたいだな)
「じゃあ、俺はこっちに挑戦してみるか」
俺は追加で頼んだ「メスター酒」を一口飲んだ。
シュワッとした微炭酸。
その後に来る強烈な酸味と、独特の乳臭さ。
「……うぐっ」
鼻に抜ける発酵臭に、思わず顔が歪む。
ラクンが「ヒッヒッヒ」と笑う。
「タケル、変な顔だ」
(ラクンの笑い声がちょっと癖になってきた)
「ちょっと……これは、人を選ぶ味だわ」
ユラが匂いを嗅いで、あからさまに嫌そうな顔をして顔を背けた。
「酒は、ウマイ」
俺とユラの分のメスター酒は、ラクンが美味しそうに飲み切った。
風を追って移動し、家畜と共に生きる。
定住しない彼らの暮らしは、シンプルで、力強い。
俺たちは腹を満たし、この不思議な移動都市での夜を迎える準備を始めた。




