第73話 祭りの後
(顔が……熱い)
全身が鉛になったみたいだ。
指一本、動かせない。
俺は、倒れているのか?
(……立てない)
視界の端で、白い蒸気がまだ渦を巻いている。
誰かが叫んでいるのが聞こえる。
誰かの悲鳴か?
分からない。
遠くで、歌が途切れた。
ラクンの声か。
(……終わった、のか)
答えを確かめる力は、もう残っていなかった。
意識が、泥のように沈んでいく。
◇ ◇ ◇
「……っ」
身体が動かない。
長い夢を見てるみたいだった。
(俺の世界は、この白い部屋……)
「――じゃない!」
俺はガバッと身体を起こした。
白い天井じゃない。
天幕だ。
「ひゃっ!?」
すぐそばで看病していたらしいラクンが、ビクっと身体を震わせて飛び退いた。
「……ラクン?」
「ケル、起きたか」
(テントの中……?)
俺はぼんやりと周りを見渡す。
簡易ベッドが並んでいる。
包帯を巻いた怪我人たちが何人も横になっている。
鼻を突くのは、薬草と血の匂い。
頭が回らない。
記憶が断片的だ。
(……そうだ、女王は!)
「どうなった!? 戦いは!」
「終わった。女王は、倒せた」
ラクンはいつもの調子で、短く、淡々と言った。
その瞳が少し潤んでいるように見えた。
「タケル!」
テントの入り口から、バケツを持ったユラが飛び込んできた。
俺と目が合うなり、持っていたものを放り出して駆け寄ってくる。
「ユ――」
名前を呼ぶ間もなく、強く抱きしめられた。
ドサッと俺の体に彼女の体重がかかる。
きしむような痛みが走る。
「……っ」
「よかった……! 本当によかった……!」
震える声が胸に響く。
温かい。
生きているんだと、実感する。
「……心配かけてごめん」
「身体は大丈夫? どこか痛くない?」
ユラが顔を上げ、俺の頬を両手で包み込む。
その目は赤く腫れていた。
「ちょっと痛い。全身が筋肉痛みたいだ」
「あ、ごめん!」
そう言ってユラはパッと離れる。
その慌てぶりがおかしくて、俺は小さく笑った。
「起きたら顔だせって。アンジェラさんが言ってたわ」
「……うん。分かった」
◇ ◇ ◇
テントの外に出ると、景色は大きく変わっていた。
いや、戻っていた。
兵舎として使われていたテントの多くは畳まれ、元のオークの集落の姿を取り戻しつつある。
「……撤収してる?」
「まだ仕事が残ってる人も居るけど、帰った人も多いよ」
ユラが俺の肩を支えながら言う。
「俺は、どのくらい眠ってたんだ?」
「2日くらいよ」
「2日!?」
「ケルは、ずっと、起きなかった。ユラは、泣いてた」
「ちょっとラクン!?」
ユラが顔を真っ赤にしてラクンの口を塞ごうとする。
「違うのよ! タケルは血まみれになって倒れてて……もうダメかと思って!」
「血まみれ?」
自分の身体を見る。
傷は塞がっているようだけど、服には赤黒いシミが残っていた。
「ケルは、倒れた。顔から」
ラクンが地面にバタリと倒れる真似をする。
(マジか……)
「マナの枯渇で血を流したのか、倒れた衝撃で鼻血が出たのか、分からなかったのよ。とにかく顔中血だらけで……」
ユラが思い出して身震いする。
「それは……本当に心配かけたね」
恥ずかしさと申し訳なさで、俺は頭をかいた。
◇ ◇ ◇
作戦会議室として使っていたオーク族の族長の部屋も、机の配置などが戻され、日常の風景が戻りつつあった。
「おう。起きたかタケル」
部屋に入るなり、アンジェラが手を挙げる。
その腕には包帯が巻かれていたけど、声には張りが戻っている。
「すみません。なんか2日も寝てたみたいで」
「無茶させちまったな。マナが苦しいのは分かってたんだが、すまなかった」
アンジェラが深々と頭を下げる。
「いえ、そんな! 俺が自分でやったことですから!」
(アンジェラに素直に謝られると調子狂うな……)
「もうほとんどの奴らは帰ったぞ。報酬の分配も終わってる」
「そうみたいですね。夢から覚めたみたいに元通りになっていたので、ビックリしました」
そこへ、書類の束を抱えたピサロが入ってきた。
後ろにはシャンデも続いている。
「お呼びですか? アンジェラさん」
「ああ、状況の共有だ。リードル、頼む」
アンジェラの指示で、部屋の隅に控えていたリードルが一歩前に出る。
「分かりました。今回の蟲の女王、及びボーンイーター討伐作戦について、最終報告を共有します」
「ああ、ちょっと待ってください。記録に残しますので」
ピサロはそう言って、慣れた手つきで羽ペンと紙を用意する。
さすがは調整局と感心していると、リードルが淡々と読み上げ始めた。
「では……目標のボーンマトロンの討伐は成功しました。死体は確認済み、素材の回収も完了しています」
(よかった。ちゃんと倒せてたんだ)
あの瞬間の手応えは間違いじゃなかった。
「しかし、ボーンイーターの残存兵は、少なくとも数百体は取り逃がしてしまいました」
「女王が倒れた途端、奴ら一目散に逃げだしやがった。統率を失って散り散りになったようだ」
アンジェラが悔しそうに舌打ちする。
「深追いは危険ですし、広範囲に散らばった残存兵の殲滅は不可能と判断しました。これにてボーンイーターの討伐作戦は終了と致します」
「また数年後、奴らがやってくるのか」
シャンデが腕を組み、忌々しげに呟く。
「またここが狙われるとは限りません。女王が代替わりすれば、コロニーの場所を変えることも多いですから」
リードルが冷静に補足する。
「彼らは彼らの本能で生きているだけですからね。誰が悪いとかじゃないんですよ。災害のようなものです」
ピサロが書き留める手を止めずに言った。
「後処理についてだが、ドワーフの商人たちが残骸拾いを手伝ってくれてる。といっても有料だがな。奴ら、甲殻も素材として売る気満々だ」
アンジェラが苦笑する。
「騎士団の人たちも、危機が去ったのを確認して帰られたようです。あくまで"監視"という名目でしたが、実際には安堵しているようでしたよ」
(これで、本当に全部終わったんだな)
肩の荷が下りるのを感じる。
俺たちは、守り切ったんだ。
「――最後に、死傷者について報告します」
(死傷者……?)




