第70話 指揮官
地鳴りのような羽音が、ビリビリと肌を震わせる。
(ひでえ音だな)
まだ遠くに見える程度だが……。
この距離で虫どもの音が届くってことは相当な数だ。
こりゃあ、近距離になったらゴブリンの歌どころか、隣の奴の声すら掻き消されちまうだろうな。
メイナードの毒。
『虹の花』の持続効果は、地形や環境によって変わる。
風向きは悪くねえが、早撃ちして無駄にするわけにはいかねえ。
ボーンイーターの本隊がキルゾーンに入って来るまでは我慢だ。
「アンジェラさん! ボーンイーター、第一目標ラインを越えました! 先発隊かと思われます!」
情報班のリードルが、すぐ後ろから叫ぶ。
広範囲に配置された情報班は、エナックなど使ってリードルに情報を集める。
その中から重要度、優先度の高いものをリードルが俺に伝える。
山の稜線が、黒い染みのように蠢き始めた。
「……弓隊! 放て!」
俺の号令に、部下たちの怒声が続く。
「弓隊! 放てぇぇぇ!!」
ヒュルルルルッ!
風を切る音と共に、無数の矢が空を覆う。
黒い絨毯と化した斜面に、矢の雨が突き刺さる。
(虫どもの先発部隊か。それでも結構な数だぜ)
羽音と虫たちに突き刺さる嫌な音が混じり合う。
(今は俺も、マナは温存しとかねえと)
「狙いをつける必要はねえ! 数で押せ! どんどん放て!」
言いながら、俺も剛弓を引く。
スキルが付与された極太の矢を放つ。
数匹まとめて串刺しにし、斜面を転がり落ちていく。
「投石部隊はまだ我慢してくれよ」
俺はチラリと横目でオークたちの配置を確認する。
アヤドの案で、各パーティにオークをばらけて編成させたのは正解だった。
血気盛んなオークも、少数で人間の中に混ざれば、周りを見て冷静に動こうとするらしい。
(頼むぜオークたち。まだ突っ込むなよ)
俺のやることは、戦線を広げすぎないこと。
『虹の花』が発動すれば実質勝ち確だ。
できるだけ奴らを中央の谷間に集めて、一網打尽にする。
これほどの大規模レイドは、俺も経験がねえ。
(だからこそ、誰も死なせねえ!)
「第二目標ライン、突破してきました! 速度、落ちません!」
リードルの声に焦りが混じる。
矢の雨を物ともせず、屍を乗り越えて黒い波が押し寄せてくる。
「よし! 投石、始め!」
俺の号令と同時に、オークたちが咆哮した。
「投石! 始めぇぇぇ!」
巨大な岩塊が唸りを上げて宙を舞う。
ドゴォォォン!!
着弾の衝撃で地面が揺れる。
虫どもがひしゃげた音を立てて潰れる。
その中で、一際巨大な岩を軽々と投げ飛ばす影があった。
(シャンデか。恐ろしいね、全く)
彼女は大剣を背負ったままだ。
敵陣に突っ込んで大暴れしたい欲求に耐え、鬼のような形相で岩を投げ続けている。
その一投ごとに、斜面がえぐれるほどの破壊力だ。
(よく耐えてくれている)
視線を中央に移す。
そこには、冷静に杖を振るうタケルの姿があった。
『上級魔法は禁止だ。中級の範囲魔法を要所にぶち込め』
おそらく、俺が言わなくてもタケルならそうしただろうが、あいつは素直に「はい」と答えた。
レベルはせいぜいアカデミー上がり程度だ。
それなのに、あいつの戦いぶりは異常なほど落ち着いている。
まるで、常に奥の手を隠し持っているかのような底知れなさだ。
「来ました! 本隊です!」
リードルの叫び声。
地平線を埋め尽くすほどの黒い波。
それが、怒涛の勢いで押し寄せてくる。
(女王はどこだ?)
さすがにまだ見えねえな。
でも、予想通りだ。
進軍速度も、反れずに真っすぐ向かってくることも!
「メイナード! 予定通りだ!」
俺は背後の高台に控える男に合図を送る。
メイナードは優雅に立ち上がる。
戦場を見下ろして、ふっと笑った。
「虫たちにも、花の美しさが分かれば、争わずに済んだのかな? ふふ、無理か。人間同士ですら、争うんだから」
独り言のように呟く。
そして、メイナードは杖を指揮棒のように振るった。
「言葉が通じないなら、せめてこの色で語り合おう。……さあ、僕の『虹の花』。この地を、君の庭園に変えてしまえ!」
戦場の中央。
敵の進軍ルート上に一本の青い薔薇が突き刺さった。
次の瞬間。
それは爆発的に増殖した。
毒々しいほどに鮮やかな青い花。
荒涼とした岩場を一瞬で埋め尽くす。
花弁から青い粉が霧のように舞い上がる。
辺り一面を幻想的な青の世界へと変えていく。
その中を、何も知らぬボーンイーターたちが突っ込んでいく。
(おっかねえ兵器だぜ)
あまりに美しく。
あまりに残酷な。
生き物を殺すためだけの武器。
毒の霧を抜けたボーンイーターの様子がおかしい。
真っすぐ進めず。
千鳥足のようにふらつき。
飛び上がろうとしては墜落する。
甲殻の継ぎ目から泡を吹いていた。
次々と動かなくなっていく。
明らかに毒の影響を受けていた。
(それでいい)
できれば、その霧の中で永遠に眠ってろ。
「身体を休めてもいいが、気を抜くなよ! もうすぐ本隊が来るぞ!」
俺は兵たちを鼓舞する。
(これで虫の本隊が霧の中へ突っ込めば、俺たちの勝ちだ!)
「本隊、来ます! 本隊が、第一防衛ラインを越えました!」
リードルの報告と共に、さらに巨大な黒い塊が押し寄せる。
奴らは怯むこともなく、青い霧の中へと突入していく。
自らの仲間を踏みつけにしてでも進むその姿は、狂気じみていた。
(だが、所詮は虫だ)
「毒には勝てねえ」
次々と霧の中に消えていく虫たち群れ。
それを見て俺は、なぜか胸の奥に拭えない違和感を覚えていた。




