第97話 繋がった
その日、練習を終えて道場を出たところで、拓也は、見覚えのある男に声をかけられた。
「中野くん、少し、いいかな」
あのフリーランス記者だった。
「……何でしょうか」
「単刀直入に聞くよ。最近、専門家らしき人が、学校に出入りしてるよね。それと、国スポの、あの妙な優遇措置。何か、関係あるんじゃないか」
記者は、これまで集めてきた断片を、一気にぶつけてきた。
拓也は、内心で、小さく息を整えた。以前の自分なら、動揺を隠しきれなかったかもしれない。だが、今は、少し違った。
「専門家、というのが、何のことか分かりませんが」
拓也は、努めて平静な声で答えた。
「国スポの件は、単純に、これまでの実績を評価していただいただけだと思います」
「それだけかな」
「それだけです」
記者は、しばらく、拓也の顔を観察するように見つめていた。
「……そうか。まあ、今日は、これくらいにしておくよ」
記者は、それ以上、深追いはせずに、その場を離れていった。
拓也は、記者の背中を見送りながら、小さく息を吐いた。核心には、触れさせなかった。それでも、この程度で終わる相手でないことは、拓也自身、よく分かっていた。
ーーー
その夜、拓也は、緒方への通話とは別に、神崎(父)にも、この一件を報告した。
「記者が、直接、接触してきました」
「……そうか。ついに、本人に来たか」
神崎(父)は、報告書に、その旨を書き加えながら、小さく唸った。
翌日、佐伯・倉持を交えた、急な会議が開かれた。
「このまま放置するのは、危険です」
佐伯が、資料を示しながら言う。
「対応、どうしますか」
「いくつか、手はある」
神崎(父)が、資料に目を落としながら、答えた。
「一つは、記者本人に、非公式に接触して、報道を控えるよう働きかける。もう一つは——」
神崎(父)は、少し、間を置いた。
「当たらずとも遠からずの情報を、こちらから、意図的に流す。矛先を、別の方向に逸らすやり方だ」
「後者は、リスクもありますね」
倉持が、慎重な表情を見せる。
「分かっている。だが、何もしないことも、リスクだ」
神崎(父)は、そう言って、しばらく考え込んだ。
「まずは、前者から動こう。様子を見て、必要なら、後者も検討する」
「分かりました」
佐伯が、頷きながら、資料にメモを加えた。
ーーー
電源の目処が立った後、大塚のネット構築は、次の段階へと進んでいた。
「よし、次は通信網——要するに、電波塔の設置な」
大塚と拓也は、建物の最も高い場所、建物の頂上へと登っていた。息を切らし、膝を笑わせているのは、もちろん大塚だけだった。
「はぁー……二十代の体力が欲しいわ、マジで……」
文句を垂れつつも、大塚の背中には、ミリタリー仕様の重いバックパックがあった。中身は、軍用の「バックパック型・移動式携帯基地局」と、防水仕様の「メッシュWi-Fiルーター」だ。仕事自体は、手際がいい。伊達に、年を食っていない。
「よし、ここに置くか」
建物の梁に、小型のWi-Fiルーターを、ボルトでがっちりと固定する。電源は、さっき地下室で溜めたポータブル電源から引っ張ってきた。
スイッチを入れると、LEDが、緑色に優しく点滅を始める。
その瞬間、目に見えない電波の網が、時計塔を中心に、半径数キロメートルの円を描いて、小山市の夜空へと広がっていった。
大塚は、ポケットから、使い古したスマートフォンを取り出した。
「これからは、想定でな」
そう前置きしてから、大塚は、圏外のままただの文鎮だった画面を、拓也に見せた。
「本来なら、この右上に、『4G LTE』のアンテナマークが、力強く点灯するはずだ」
「なるほど……」
拓也は、まだ実感の湧かないまま、その画面を覗き込んだ。
ーーー
一連の作業を撮影した動画を見終えた緒方は、屋敷の塔の頂上に上るという工程を前に、恐怖に襲われていた。
気持ちを切り替えて、自分で上ろうと決意はしたものの——結局、ダメだった。高いところが、根っから苦手なのだ。
緒方は、ロイドに、そっと尋ねてみた。
「高いところでの作業、できるか」
「平気です。屋根の上の鳥の巣でも、片付けるのですか? 屋根の修理でしたら、職人に頼むと良いと思いますが」
緒方は、地上でロイドに動画の作業内容を見せ、あの塔の右側に、これを取り付けられるか尋ねてみた。
「簡単です。任せてください」
ロイドは、あっさりと屋根に上がり、塔に、しっかりと固定した。
「光が、点滅してます」
屋根の上から、ロイドの声が響く。
地上にいた緒方のスマートフォンの画面に、「4G LTE」の表示とともに、アンテナマークが灯った。
「……繋がった」
「これで、この電波が届く範囲なら、お互いどこにいても、連絡が取れる。もう、使い走りのお使いを、走らせる必要もないな」
緒方は、安堵の息を吐きながら、屋根の上のロイドを見上げた。
これは、あくまで、異世界の中だけで完結する、ローカルなLTE網だった。地球の通信網と直接繋がっているわけではない。それでも、拠点間で音声や文字のやり取りができるようになったことは、これまでの業務の在り方を大きく変える一歩だった。




