第92話 王家、滅ぶ
拓也の部屋に、佐伯から、分厚い書類の束が届いた。
「これを、緒方さんに渡してほしい。正式な国交樹立の、書類の骨格だ」
「国交樹立、ですか」
「そうだ。日本政府として、これで大枠はまとまった。もちろん、表立って公表できる話ではない。あくまで、秘密裏の国交、という形にはなるがな」
拓也は、その重みのある書類の束を、受け取った。
「それと、この書類を詰める過程で、一つ、新しい案が持ち上がったんだ」
「新しい案、ですか」
「情報のやり取りを、もっと確実に、太くできないか——そういう話だ。今は、お前と緒方さんの、音声通話だけが頼りだからな」
佐伯の言葉に、拓也は、小さく頷いた。確かに、これまでの綱渡りのようなやり取りには、拓也自身も、限界を感じ始めていたところだった。
「そのための人材が、こっちから向かうことになった。ネット構築の、専門家だ」
「分かりました。緒方さんにも、伝えておきます」
その夜、拓也は、緒方との通話で、書類の内容と、新しい計画のことを、かいつまんで伝えた。
「国交樹立の、書類が届いたんですね」
緒方が、確認するように言った。
「はい。詳しい中身は、これから政府の方で詰めるみたいですけど、大枠はもう固まってるそうです。城の方にも、追って共有されると思います」
「分かった。それと、さっき言ってた、通信の方の新しい人っていうのは」
「はい。ネット構築の専門家だそうです。俺の方には、もう来てるんで、近いうちに、作業が動き出すと思います」
「そうか。楽しみにしてる」
こうして、正式な国交樹立という大きな枠組みの中から、通信インフラの整備という、もう一つの計画が、静かに動き出すことになった。
―――
数日後、地球側では、拓也の前に、無精髭の生えた、どこかしょぼくれた雰囲気の男が現れていた。
「大塚っす。よろしく」
男は、そう名乗ると、気だるそうに頭を下げた。
「ネット構築の、専門家の方、ですよね」
「専門家っつうか……職人、かな。国から派遣されて、来た」
大塚は、四十二歳。国から派遣された技術職人だという。
「正直言うと、半ば押し付けられて来たようなもんでね。上の官僚に、『お前なら適任だろ』って、ほとんど問答無用でさ」
数日間の詰め込み作業で、すでに疲れ切っている様子だった。大塚は、深くため息をつきながら、手元の缶コーヒーを一気に煽った。
「大塚さん、本当にこの箱が、異世界の未来を変えるんですか」
拓也が、機材の入った箱を指しながら、素直に尋ねた。
「若いってのは、それだけでエネルギーがあって羨ましいよ、本当に」
大塚は、そうぼやいてから、ふと、顔を上げた。
「変える変える。っていうか、変えてくれないと、俺の骨折り損だからさ」
大塚は、ボリボリと無精髭の生えた顎を掻きながら、スニーカーの踵を、トントンと地面に打ち付けた。
「四十過ぎてからの立ち仕事は、腰にくるんだよなあ」
ぼやきながらも、大塚は、機材の梱包を解き始めた。
「ま、とりあえず、死んでる機械どもを起こすか。腰上げるのも億劫だけど、やんなきゃ帰れないしね」
こうして、めんどくさがりな四十代のおっさんによる、異世界を塗り替える「ゼロからイチ」の挑戦が、静かに始まった。
―――
作業は、思いのほか、地道なものだった。
「あー、これ、配線からやり直しだわ」
大塚は、ぶつぶつと文句を言いながらも、手だけは、確実に動かし続けていた。
「手伝います、何か」
「じゃあ、そこの工具、取ってくれる? そう、それそれ」
拓也は、言われるがまま、大塚の作業を手伝った。専門的なことは分からなかったが、傍らで見ているだけでも、機材が少しずつ形になっていく過程は、なかなか面白いものだった。
「腰、大丈夫ですか」
「大丈夫なわけ、ないだろ。でも、やるしかないんだよ、これが」
大塚は、そう言いながら、額の汗を拭った。
その日の作業風景は、一連の様子として撮影され、緒方のもとへ送られることになった。
―――
城の一室で、緒方は、届いた映像を、興味深く眺めていた。
無精髭の男が、機材に囲まれながら、ぼやきつつも黙々と作業を続けている——その光景は、これまでの音声だけのやり取りとは、また違う実感を伴っていた。
——これが、本当に形になれば、伝えられることも、また変わってくるのかもな。
緒方は、そんな期待と、まだ実感の湧かない戸惑いを、同時に抱えながら、映像を最後まで見届けた。
―――
その数日後、緒方のもとに、レナートから、ガラニア国の最新の情報が届いた。
「王家が、滅んだそうです」
「……そうか」
緒方は、その一言を、静かに受け止めた。
「国は、二大貴族による、南北の分割統治という形に落ち着いたようです。一部の海岸地帯は、隣国に占拠されたままだと」
「王家滅亡、か」
緒方は、その事実の重さを、改めて噛み締めた。
これで、クロエたちが迷っていた「戻るべきかどうか」という問いは、事実上、答えが出たことになる。もう、彼女たちが帰る場所としての「国」は、少なくとも、以前と同じ形では存在しない。
——伝えなければ。
緒方は、この重い事実を、どう、いつ、クロエたちに伝えるべきか、その段取りを、頭の中で静かに組み立て始めていた。




