第91話 持ち帰れないもの
その記者は、緒方の母が暮らす支援施設の近くで、それとなく声をかけてきた。
「失礼、少し、お伺いしたいことが」
「……どちら様でしょうか」
緒方の母は、警戒を滲ませながら、それだけ返した。
「拓也くんのご活躍、いつも拝見していまして。ご家族としては、どんなお気持ちですか」
「……あの、拓也くんとは、家族ではありませんが」
緒方の母は、そう返しながら、内心、少し呆れていた。この記者は、自分と拓也の関係を、何か思い違いをしているらしい。息子の勤が拓也と関わりがあることまでは掴んでいても、その先の詳しい繋がりまでは、正確に把握できていないようだった。
「あ……そう、でしたか。失礼しました」
記者は、わずかに動揺した様子を見せたが、すぐに、質問を切り替えた。
「では、その——緒方さんとの関係で、何か」
「特に、何も。ただ、応援しているだけです」
母は、それだけ答えて、逃げるように、施設の中へと戻っていった。
記者は、その後ろ姿を見送りながら、小さくメモを取った。
「……まあ、今日はこんなもんか」
決定的な収穫はなかった。それでも、彼の中の勘は、まだ、静かに燻り続けていた。
―――
城の一室で、緒方は、侯爵に、ガラニア国の詳しい状況を尋ねていた。
「結城くんたちから、頼まれまして——ガラニア国の、その後の情勢を、詳しく知りたいのですが」
「そう簡単な話じゃないぞ」
侯爵は、書類を一枚、緒方に示した。
「隣国は、すでに、国境沿いのいくつかの町を、制圧しつつあるらしい。ガラニア国側は、内紛のせいで、まとまった防衛線を張れていない」
「王家は……」
「まだ、生きているという情報はある。だが、いつまで持つかは、分からん」
緒方は、その言葉に、重い息を吐いた。
「これを、あの子たちに、伝えるべきでしょうか」
「事実は事実だ。隠しても、いずれ分かる」
侯爵の言葉に、緒方は、しばらく考え込んだ。伝えるべきかどうかより、どう伝えるべきか——その方が、今の自分には、難しい問題に思えた。
―――
地球側では、インターハイ全国個人が開催されていた。
拓也が会場に姿を見せると、観客席から、小さなどよめきが起きた。
「あ、中野だよ! 玉竜旗の……!」
「本物だ、本物!」
中には、手作りの応援ボードを掲げているファンの姿もあった。ボードには、なぜか「五人抜き応援団」という文字が、やや不揃いな筆致で書かれていた。
「……あれ、俺の名前、間違ってないか」
ボードをよく見ると、「中野拓哉」と、微妙に誤字が入っていた。周囲の選手たちが、その光景に、小さく吹き出す。
拓也は、苦笑しながらも、気を取り直して、会場へと向かった。
―――
試合は、拍子抜けするほど、あっさりと決着がついた。
一回戦、二回戦と、拓也は、相手の初太刀を軽くいなし、ほとんど時間をかけずに一本を決めていった。
強豪と呼ばれる選手たちも、拓也の一瞬のスピードには、ついていけなかった。反射的に竹刀を合わせようとするが、その動きが完成する前に、勝負が終わっている——そんな試合が続いた。
「速すぎて、逆に、盛り上がりに欠けるな」
観客の一人が、そんな感想を漏らすほどだった。
決勝も、同様の展開だった。拓也は、危なげなく一本を決め、インターハイ個人、全国優勝を果たした。
表彰式の後、拓也は、荷物をまとめながら、小さく息を吐いた。派手さはなかったが、確かな結果を、また一つ、積み重ねることができた。
―――
その夜、小山市の支援施設、大ホールでは、家族会の定期上映会が開かれていた。
参加者は、全員、事前に守秘義務契約を交わしている。撮影、録音、映像の持ち出しは、一切禁止。持ち帰ることができるのは、自分の記憶だけだった。
スクリーンには、緒方の屋敷の様子、そして、ケインの元仲間たちの姿——虎系獣人のガルム、エルフのシルヴィアの映像が、初めて映し出された。
「うわ、本当に、獣人っているんだ……」
「エルフの人、耳、本物なんですね」
参加者たちが、口々に、感嘆の声を上げる。
「この屋敷、すごいですね。中世のお城みたいで」
「緒方さんの拠点、随分立派になったんだな」
最近は、これまで参加していた両親・きょうだいだけでなく、親戚筋にあたる人々にも、少しずつ参加の範囲が広がっていた。守秘義務契約の重さを理解できる、ごく近しい身内に限られてはいるが、それでも、上映会に集う顔ぶれは、以前よりも賑やかになっていた。
「あの、虎の人の毛並み、写真、撮ってもいいですか」
参加者の一人が、興奮気味に、そう尋ねた。明らかに、オタク気質を隠しきれない様子だった。
「申し訳ありませんが、撮影は、契約で禁止されておりまして……」
スタッフが、苦笑しながら、やんわりと断る。
「そうか、そうですよね……。じゃあ、目に焼き付けます」
その参加者は、残念そうにしながらも、素直に頷いて、スクリーンに向き直った。
異世界の光景が、少しずつ、地球側の日常に溶け込んでいく——そんな空気が、上映会の会場には、確かに漂っていた。




