第85話 隔離教室
地球側では、別の動きがあった。
神崎(父)のもとに、外務省からの問い合わせが入っていた。
「外交は、我々の領分だ。なぜ、国家情報局だけで進めている」
強い口調の申し入れに、神崎は、淡々と応じた。
「現地に、直接行ける人間が、向こうにはいません。実務は、すでに緒方くんと拓也くんに頼らざるを得ない状況です」
外務省側の担当者は、その説明に、しばらく言葉を失った。自分たちが現地に出向けるわけではない、という現実を、改めて突きつけられた格好だった。
「……分かった。では、せめて、こちらの知見を活かせる形にしてほしい」
「ちょうど良い案があります」
神崎は、すぐに切り返した。
「交渉術のレクチャーや、外交問題の顧問として、こちらの部署に、人を出向させていただけませんか。直接、現地には行けなくとも、緒方くんや拓也くんの判断を後ろから支える形でなら、お力を借りられます」
外務省側は、しばらく沈黙した後、その案を持ち帰ることになった。
「現地に行けない以上、それが、できる範囲の最善か」
担当者は、悔しさを滲ませながらも、頷いた。
―――
外務省からの返答は、思ったより早く届いた。
「出向、お受けします。当方から一名、交渉術と外交儀礼の顧問として、貴部署に」
神崎(父)は、報告書に目を通しながら、小さく頷いた。
「歓迎する。緒方くんと拓也くんの判断を、後ろから支える形で、力を貸してほしい」
「承知しております」
数日後、外務省から出向してきた人物が、神崎のチームに正式に加わった。これまで二人だけだった現場と、霞が関の知見が、ようやく繋がる形になった。
―――
その頃、明郅館高等学校の一角では、ある教室が、いつの間にか「拓也の教室」と呼ばれるようになっていた。
もとは、使われていなかった空き教室だった。今では、言語学者や官僚が、入れ替わり立ち替わり出入りし、机の上には、書類や資料が積み上がっている。
「次は、この単語の活用形について——」
「すみません、その前に、先週の続きを」
拓也は、間に挟まれた休み時間にも、質問攻めに遭うのが、もう当たり前になっていた。
学校側は、それに対して、何一つ、不満を漏らさなかった。空き教室の使用も、授業時間の融通も、何の問題もないかのように、淡々と受け入れられていた。
三年に上がってから、拓也の生活は、はっきりと変わっていた。クラスメイトとの距離は、いつの間にか開き、休み時間も放課後も、誰かに時間を取られることが、当たり前になっていた。
——もう、普通の高校生活なんて、望んでないけどな。
拓也自身、その諦めには、とっくに慣れていた。周囲の方も、同じだった。最初こそ気にしていた様子の生徒たちも、今では、拓也の事情に深く立ち入ることなく、距離を保ったまま、淡々と日常を送っている。
そんな中、顧問の先生が、職員室で、拓也に声をかけた。
「六月の関東大会だが——出られそうにない、という話が来てる」
「……ですよね」
拓也は、特に驚いた様子もなく、それだけ答えた。覚悟は、ある程度していたことだった。
「外務省の件で、向こうの作業が立て込んでるらしい。学校としては、何も言えない」
「分かってます。仕方ないですよ」
先生は、それ以上、何も言わなかった。ただ、少し間を置いてから、付け加えた。
「インターハイ予選の方は、何とか出られそうだ、とは聞いている」
「それは——良かったです」
拓也の声に、わずかに、安堵の色が滲んだ。完全に何もかも失うわけではない——それだけが、今の自分にとって、小さな救いだった。
―――
城の一室で、緒方は、伯爵から、公爵家の一件の決着を聞かされていた。
「あの男も、ようやく腹を括ったようだ」
伯爵は、書類を一枚、机に置いた。
「王女様直々に手紙をもらって、観念したらしい。婚約の話を、正式に受け入れると、返事が来た」
「それは——良かったです」
「ハーレン子爵家をはじめ、横から割り込もうとしていた連中も、これで、おとなしくなるだろう。今さら、決まった話に文句をつける度胸は、あいつらにもない」
伯爵は、軽く息をついた。
「これで、しばらくは、落ち着く。お前にも、世話になった」
「お役に立てて、何よりです」
緒方は、それだけ答えて、小さく頭を下げた。
一つの懸念が、ひとまず、収まりを見せた。だが、王国の中には、まだ、いくつもの火種が、形を変えて残っていることを、緒方も、伯爵も、どこかで分かっていた。




