第81話 レンズの向こうで
拓也から届いた小さな機材を、緒方は、家の柱や戸口に、一つずつ取り付けていった。
「これは?」
フィアが、興味津々に覗き込む。
「防犯装置だ。センサーみたいなものだと思ってくれ」
「センサー……」
ピンと来ていない様子だったが、それ以上は聞いてこなかった。ノルドは、一瞬だけ視線を向けただけで、すぐに自分の作業に戻った。ロイドとミラも、特に気にする様子はなかった。
取り付けは、思いのほか、あっさりと終わった。
―――
その頃、地球側では、別の作業が、静かに本格化していた。
緒方から送られてきた映像と音声に、これまでとは違う種類の手が加えられるようになっていた。言語学者を含む専門チームが組まれ、王国の言葉を体系的に解析する作業が始まっていたのだ。
その中心に据えられたのが、拓也だった。
異世界から戻った者には、言語の加護がある。文字も言葉も、向こうでは自然に読み書きできていた——その仕組みを、地球側の言語として再現するための、生きた手がかりとして、拓也の存在が必要とされた。
三月、その作業は、ピークを迎えていた。国から学校へ正式に話が通り、拓也は授業時間の一部を潰して、別教室で専門家たちの聞き取りに応じることになった。
「この発音の揺れは、方言なのか、それとも個人差なのか」
「文字の崩し方に、何か規則性は感じますか」
次から次へと飛んでくる質問に、拓也は、半分うんざりしながらも、できる限り答えていった。
緒方も、その作業を後押しするように、グレーカレコ王国の基本的な歴史書を、数冊まとめて地球側に送っていた。文字資料が増えるほど、解析の精度も上がっていくらしい。
「正直、剣道の方が、よっぽど楽です」
拓也は、ある夜の通話で、緒方にそう愚痴をこぼした。
「お疲れさん。まあ、お互い様だな」
緒方は、苦笑しながら、それだけ返した。
―――
その日、緒方は、いつも通り、伯爵との定例の会談に臨んでいた。
胸元に隠した小さな機材のことを、意識しないようにしながら、緒方は、いつも通りの態度を保とうとした。
「正式な交渉の場の準備は、進んでいる」
伯爵は、机に広げた書類を見ながら、淡々と話す。
「王家への根回しも、思ったより、すんなり進んでいる。ただ——」
伯爵は、そこで、一度、言葉を切った。
「第三王子の周辺で、少し、想定外の動きがあってな。詳しくは、まだ話せる段階じゃないが」
「想定外、というのは」
「いずれ、必要になれば話す。今は、気にしなくていい」
伯爵は、それ以上、踏み込ませなかった。それでも、今のやり取りは、確かに機材の中に収まっている。
緒方は、表情を変えないよう努めながら、内心で、複雑な感覚を抱えていた。
——これを、撮っていいんだろうか。
信頼を裏切っているという感覚と、これも仕事のうちだという割り切り——どちらか一方には、まだ落ち着けずにいた。
「今日は、これくらいにしておこう」
伯爵の一言で、会談は終わった。
帰り道、緒方は、胸元の機材の重みを、いつもより強く意識していた。続けられるかどうか、まだ自分でも、はっきりとした答えは出ていなかった。
―――
その頃、王城の一室で、第二王女は、一人の側近に、声をかけていた。
「オーレス伯爵について、少し、聞きたいことがあるの」
「私に、ですか」
「あなたの家は、昔から、伯爵家とも付き合いがあったでしょう。表に出ない話を、何か知らないかしら」
側近は、わずかに戸惑った様子を見せたが、すぐに頭を下げた。
「分かる範囲で、調べておきます」
「大げさにしなくていいの。ただ——少し、自分でも、知っておきたくなっただけだから」
王女は、それだけ言って、窓の外に視線を戻した。
まだ、何かを決めたわけではない。それでも、報告を待つだけの立場から、自分で確かめようとする立場へ、ほんの少しだけ、足を踏み出していた。
―――
地球側では、五月の栃木県高校総体兼関東大会県予選が、すぐそこまで迫っていた。
「次は、本番だぞ」
顧問の先生の声に、部員たちが、一斉に頷いた。
拓也もまた、言語解析の作業の合間を縫って、防具に袖を通していた。政治の駆け引きとも、専門家たちの質問攻めとも違う、ただ純粋に、勝つか負けるかだけの時間が、もうすぐやってくる。




