第77話 望むもの・恐れるもの
「これを、王女様に」
差し出されたのは、小さな箱だった。中には、赤い石のネックレスが収まっている。
「……これは?」
「皆様がよくご存知の、あの赤い石です」
赤い石——硬く、量も多く採れるために、庶民の装飾として古くから親しまれている、ごくありふれた石だった。この国の職人の手にかかっても、せいぜい丸く整える程度が限度で、それ以上の加工は誰にも為し得ないとされている。
「ですが、この磨き方だけは、私どもの職人にも、手が出せません」
王女は、箱からネックレスを取り出し、掌の上に乗せた。
石の中で、光が、いくつもの形に分かれて躍っていた。ハートの形、そして、矢を構えた小さな天使の輪郭——見る角度によって、その光がくるくると入れ替わる。
王女は、しばらく、その光から目を離せなかった。
「……これが、あの石、なのですか」
「はい。原石の段階で、日本という遠い国の技術によって、このように磨かれております。私どもの職人が、それを台に仕立て、ネックレスとして整えました」
「庶民の石を……」
「はい。けれど、この輝きは、貴族の中でも、誰も見たことがないはずです。同じ石でも、磨き方一つで、こうも変わるものかと」
王女は、ネックレスを、もう一度、光に透かして見た。
庶民の誰もが知っている、ありふれた石。それが、この国の誰にも為し得ない輝きを纏っている——その落差に、王女は確かに心を動かされていた。
「国民と共にある——そのお姿を、皆に見ていただきたいのです」
伯爵は、丁寧に頭を下げた。
貴族たちが、財を尽くしても手に入らない輝きを、王女が、庶民と同じ石で身につける。その構図が、どこまで思惑通りに動くかは、まだ分からない。それでも、王女の指先は、しばらく、その小さな光から離れなかった。
伯爵は、その様子を、静かに見届けていた。
子爵家・男爵家からの接近は、もはや珍しい話ではなくなっている。どちらの家も、今となっては、伯爵の傘の下にあることを疑う者はいない。その一点に関しては、もう確かめる必要すらなかった。
王女が部屋を辞したあと、伯爵は一人、窓辺に立った。
——緒方の国の事情、か。
あの男に投げた問いは、まだ、答えを聞いていない。何を望み、何を恐れているのか——それを知らなければ、こちらも、本当の意味では動けない。
伯爵は、しばらく、外の景色を眺めたまま、その答えを待つことにした。
ーーー
その夜、緒方は拓也との通話を繋いだ。
「伯爵から、一つ、問いを渡された」
「問い、ですか」
「日本が、何を望んでいて、何を恐れているのか——それを聞かなければ、向こうも、本当の意味では動けないらしい」
拓也は、しばらく黙っていた。
「……俺が答えられる話じゃ、ないですよね」
「だろうな。俺にも、無理だ」
緒方は、正直に答えた。
「これは、上に判断してもらうしかない。神崎さんに、そのまま伝えてくれ」
「分かりました」
通話は、それだけで終わった。短いやり取りだったが、伝えるべきことは、十分に伝わっていた。
ーーー
拓也からの報告は、その日のうちに、神崎(父)のもとへ届いた。
翌日、急遽招集された会議室に、神崎・倉持・佐伯の三人が顔を揃えた。佐伯は、異世界関連プロジェクトの立ち上げ当初から関わっている、神崎の後輩だった。
「向こうから、こちらの事情を聞きたいと言ってきた、ということですね」
佐伯が、資料を整理しながら確認する。
「そうだ。何を望み、何を恐れているのか——それを、答えろということらしい」
神崎が、淡々と答えた。
「望むもの、ということなら……」
倉持が、口を開く。
「まずは、安全な交渉相手としての関係です。資源や技術の面で、互恵的な関係が築けるなら、これ以上の話はありません」
「恐れるもの、は」
神崎が、続きを促す。
「情報の漏洩。王国内部の政争に、こちらが巻き込まれること。それと——」
倉持は、一度、言葉を切った。
「勇者たちの身の安全、でしょうね。今、向こう側にいる子供たちです」
佐伯が、小さく頷いた。
「家族会の方にも、進捗としてどこまで伝えるか、という話もありますが……それは、また別に詰めましょう」
その一言だけで、東條の家や、他の家族たちの顔が、神崎の頭に浮かんだ。だが、今は、それより先に詰めるべきことがある。
「望むもの、恐れるもの——どちらも、まだ、言葉が固まっていない」
神崎は、資料に目を落としながら、そう言った。
「今日は、ひとまずの方向性だけ、決めておこう。文言は、持ち帰って、もう一度練る」
「分かりました」
佐伯が、頷きながら、手元のメモに何かを書き加えた。
会議室の空気は、結論に至らないまま、それでも、確かに一歩、前へ進んでいた。




