第73話 空いた席
第三王子は、西の戦から戻った後も、軽い咳が、なかなか抜けなかった。
「殿下、お加減は」
「大したことはない。心配するな」
周囲には、そう答えていたが、咳は、日を追うごとに、ひどくなっていった。英雄として帰還したばかりの自分が、弱った姿を見せるわけにはいかない——その意識からか、第三王子は、次第に、自室に籠もるようになっていった。
「最近、お姿を、あまり見ませんね」
「お休みになっているのだろう。お疲れも、出ているはずだ」
誰もが、そう思っていた。
ある朝、いつもより遅い時間になっても、第三王子の私室から、物音がしないことに、近侍の一人が、不安を覚えた。
「殿下、失礼いたします」
声をかけても、返事はなかった。意を決して、部屋に入った近侍は、そこで、言葉を失った。
第三王子は、すでに、息をしていなかった。
後の検分では、劇症型の肺炎のような症状が、体に進んでいたことが分かった。戦の疲労と、無理を重ねた結果だったのか——詳しい原因は、最後まで、はっきりとはしなかった。
王都は、再び、大きな衝撃に包まれた。
―――
第三王子の死により、王位継承の順位は、大きく塗り替えられた。
皇太子は、すでに、継承権を剥奪されている。残る王子たちの中にも、これといって、目立った者はいなかった。
結果、継承順位の最上位に立ったのは、第二王女だった。
「私が、王位を継ぐ、ということですか」
第二王女は、これまで、政治に深く関わろうとはしてこなかった。突然、その立場を与えられても、すぐには、実感が湧かなかった。
そんな中、いち早く動いたのが、オーレス伯爵だった。
「王女殿下を、私はお支えしたいと思っております」
伯爵は、王の前で、はっきりと、その意思を示した。
「殿下が、国王として立たれるには、お側に、相応しい方が必要かと。私から、一人、推薦させていただきたく」
伯爵が名を挙げたのは、これまで政治から距離を置いていた、ある公爵家の男子だった。
「あの方であれば、特定の派閥に深く与することなく、殿下を支えられるはずです」
伯爵の提案は、思いのほか、すんなりと受け入れられた。王女自身も、政治の表に立つことを避けてきた相手であれば、与しやすいと感じたのか、特に異論を挟まなかった。
―――
一連の人事の中で、辺境伯の処遇も、見直されることになった。
国境を守る戦で、大きな被害を出した辺境伯——その指揮の拙さは、すでに、周囲の知るところとなっていた。
「これ以上、国境の守りを、任せるわけにはいかん」
王の判断は、思いのほか、はっきりしていた。
「侯爵家の爵位が、空いている。辺境伯には、その爵位と、新たな領地を与える。代わりに、国境の守りからは、退いてもらう」
新たに与えられた役目は、農政——国内の農業政策を取りまとめる、地味だが、重要な仕事だった。
「……承知しました」
辺境伯は、深く、頭を下げた。戦下手であることを、自分自身、誰よりも、分かっていた。これ以上、国境に立ち続けることへの不安も、正直、抱えていた。
爵位は上がったものの、それは、名誉だけの話ではなかった。危険な前線から外され、得意とは言えない分野で、改めて、力を示さなければならない——その重みを、辺境伯は、静かに、受け止めていた。
―――
ここまでの一連の流れは、緒方の元にも、伝わってきていた。
「第三王子が、亡くなったらしい」
緒方は、拓也との通話で、それを伝えた。
「亡くなった……? 戦から、戻ってきたばかりなのに?」
「咳が、長く続いてたみたいだ。最後は、急に、悪くなったらしい」
拓也は、しばらく、黙っていた。
「それで、王位は」
「第二王女に、回ったよ。オーレス伯爵が、いち早く支持を表明して、公爵家の人間を、次の国王候補に、推薦したらしい」
「伯爵、随分、うまく立ち回ってるな」
「ああ。それと——辺境伯が、侯爵になった。領地も変わって、今度は、農政を担当するらしい」
「戦は、苦手だったから……それなら、向いてるかもね」
拓也の感想に、緒方も、同意するように、小さく頷いた。
「王都の方は、これで、一段落、ってことになるのかな」
「分からない。ただ——」
緒方は、そこで、少し、言葉を切った。
「オーレス伯爵が、ここまで一気に、力をつけてきてるのは、ちょっと、気になる」
その懸念は、まだ、形にならないまま、緒方の中に、残っていた。




