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異世界帰りの俺と、残された四人 ―テラ・マートは知っている―  作者: 山田村


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第6話 家族のための力




 訪問者が一通り来て、家の中にようやく静かな時間が戻ってきたのは、週末になってからだった。


 父が休みの日に家にいるのは、拓也にとってもひと月ぶりくらいのことだった。リビングのソファに座って新聞を読む父を見て、こんな顔をする人だったか、と妙に新鮮な気持ちになる。


「拓也、これからどうするんだ。剣道は……続けるのか」


 父がそう聞いてきたのは、朝食の後だった。直接的な聞き方だったが、責めるような響きはない。


「続けるよ。休んでた分、感覚戻すのに少し時間かかるかもしれないけど」


「そうか」


 父はそれだけ言って、また新聞に目を落とした。短い会話だったが、それで十分だったらしい。母のように何度も心配する言葉を重ねるわけではなく、必要なことだけを一度確認して終わる。それが父のやり方なのだと、今更ながら拓也は思い出した。


 そういえば、自分も似たようなところがある。ダンジョンで仲間が落ち込んでいる時、長々と声をかけるよりも、必要な一言だけを短く伝えて、後は黙って隣にいる方を選んでいた。柄にもなく気の利いた言葉を探すより、その方がずっと自分に合っている気がしていた。誰に教わったわけでもないその癖が、案外、この父親からの遺伝なのかもしれない。そんなことを考えたのは、初めてだった。


 昼過ぎ、母が買い物に出かけようとしていたのを、拓也は呼び止めた。


「今日の晩飯、俺が作ってもいい?」


 母が一瞬、虚を衝かれたような顔をする。


「拓也が? 大丈夫なの、火加減とか」


「やってみたい」


 半年の間、野営での料理を任されていたことは、もちろん言えない。ただ、包丁を握る手の感覚、火を扱う時の距離感、味を見るタイミング、そういったものが、以前よりずっと自然に体に馴染んでいるのは確かだった。


 母は半信半疑のまま買い物に出かけ、拓也は冷蔵庫にある材料を確認した。野菜と肉、ありふれた家庭の在庫だ。ダンジョンの野営で使っていたような限られた食材のやりくりに比べれば、むしろ贅沢すぎるくらいだった。


 大根と人参を切りながら、ふと笑いそうになる。野営の時は、薄暗い焚き火の明かりだけで、限られた調味料をどう振り分けるかに頭を使っていた。今は明るいキッチンで、好きなだけ醤油を使える。火加減を見ながら鍋を覗き込んでいると、台所の窓から差し込む午後の光が、湯気の向こうでゆらゆらと揺れて見えた。


 肉に火が通る匂いが部屋いっぱいに広がる頃、姉が一度だけ顔を出した。


「……何か作ってるの」


「晩飯。気になるなら味見していいよ」


 差し出した小皿を、姉は少し驚いた顔で受け取り、一口だけ食べた。


「……美味しい」


 それだけ言って、また自分の部屋に戻っていく。素っ気ない反応だったが、拓也にとっては久しぶりに、姉と何かを共有できた気がする時間だった。


 出来上がった煮込み料理を前に、夕食の席で母は最初、遠慮がちに一口だけ食べた。次の瞬間、箸を止めて拓也の顔を見る。


「……これ、本当に拓也が作ったの?」


「うん」


「いつの間に、こんな腕前に」


 母は半分呆れたような、半分嬉しそうな顔をしていた。父も無言で二杯目を頼んだ。それだけで、何かを誤魔化せた気がした。


 食卓の上で、湯気を立てる鍋を囲んで四人が黙々と箸を動かす。何の変哲もない、ただの夕食の風景だった。それでも拓也には、半年ぶりに取り戻した何かのように思えた。




 その晩、姉の静香がいつもより早く部屋に戻ってきた。リビングを通り過ぎる一瞬、拓也は何かを感じ取った。


 姉の足取り、視線の動かし方、ドアを閉める時の力加減。一つ一つは些細なことだったが、それらが一つの像として頭の中にまとまっていく。怖がっている。それも、ここ数日ではなく、もう何週間も前から。


 これまでなら気のせいだと思って終わっていたはずだ。だが今は違う。支援魔術師として身につけたスキルの中に、確かにこういう類のものがあった。仲間の状態を読み取り、弱っている部分を見つけるためのスキル。それが、現代に戻った今でも、まだ自分の中で動いている。


 試しに、もう少し意識を向けてみる。姉の表情の硬さ、声に出さない緊張、誰かを避けようとする無意識の仕草。読み取れる情報の精度が、以前より明らかに上がっていた。


 翌日、拓也は姉が通っている高校の最寄り駅で、それを見た。


 校門から少し離れた場所で、姉が一人の男に呼び止められていた。制服ではない、私服の男だ。歳は二十歳前後だろうか、髪を派手に染め、態度には妙な余裕がある。姉は明らかに迷惑そうな顔をしているが、強くは拒絶できていない。


 拓也は距離を置いて様子を窺った。会話の内容までは聞き取れなかったが、男が一方的に話し、姉が短く答えるだけのやり取りが続いている。やがて男は満足したように笑い、姉の肩に軽く触れてから歩いていった。姉はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動かなかった。


 帰宅後、拓也はそれについて姉に何も聞かなかった。聞いたところで、答えてもらえる関係ではないことは分かっている。


 代わりに、同期の伝手で少しだけ調べてみた。あの男は十九歳、定職にはついておらず、日雇いのバイトを転々としながら、その日暮らしを続けているらしい。学校という枠組みにはもう属していない分、年下の女子生徒に対しても遠慮がない。暴力と威圧で周りを黙らせることに慣れている、という評判だけが、断片的に集まってきた。


 話を聞きながら、拓也はどこかで既視感を覚えていた。力の差を見せつけて、弱い者から何かを奪うことに、何の躊躇いもない者。ダンジョンの周辺にも、似たような冒険者がいた。誰かを守るための力ではなく、誰かを従わせるための力を使う者たちが。


 どうするべきか、拓也はまだ決めていなかった。


 このまま黙って見過ごせば、姉はずっとあの男に絡まれ続けるかもしれない。だが、拓也自身が表立って動けば、半年の不在から戻ってきたばかりの自分に、何ができるのかという疑問が、必ず誰かの口から出るだろう。陰でこっそり片付ける方法もあるはずだ。今の自分の力なら、それは決して難しくない。


 ただ、それを使うことに、まだ迷いがあった。


 あの力は、人を傷つけるために身につけたものだ。それを家族のために使うことが、正しいのかどうか、拓也にはまだ判断がつかなかった。


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