第57話 需要と供給の壁
業界向けの説明会は、経済産業省の大会議室で開かれた。
精密機器メーカー、寝具・アパレル各社、宝飾業界の関係者——招かれた企業は、事前に厳しい守秘義務契約を結んだ上で、席に着いていた。
神崎が、資料を配りながら、説明を始める。
「まず、こちらの鉱石です」
ネオジムを多く含む原石の分析結果が示されると、精密機器メーカーの担当者が、身を乗り出した。
「……これが、本当に、安定供給できるんですか」
「南鳥島沖の精製ラインに組み込む予定です。量については、追ってご相談を」
寝具メーカーの担当者は、ハーピーの羽毛のサンプルに、何度も指を通していた。
「これは……今までの羽毛とは、全く違いますね」
魔力草のサンプルを前にした、サプリメント業界の担当者も、資料を黙々と読み込んでいる。
最後に、神崎が、赤いダイヤを取り出すと、会場の空気が、明らかに変わった。
「一点、一カラット以上です。地球側で——レッドダイヤモンドとして取引すれば、一点で数億円の価値になります」
「……数億、ですか」
宝飾業界の担当者が、声を震わせた。隣に座る同僚と、思わず顔を見合わせる。
「サンプルを、見せていただくことは」
「数量に限りはありますが、検討します」
会議の終わりまでに、各業界の担当企業は、ある程度絞られていった。正式な契約には至っていないが、サンプル製作に向けた段取りは、確実に一歩進んでいた。
「いずれ、特許や知財の扱いも、詰めていく必要があります」
「分かった。ただ……これだけの反応を見ると、思っていたより早く、形になるかもしれんな」
倉持は、満足げに頷いた。
―――
洗浄のワンドについては、別の悩みが、神崎たちの間で浮かび上がっていた。
部署内の口コミから始まった人気は、他部署にも広がっていた。総務、人事——あちこちから、「うちにも回してほしい」という声が、藪田の元に届くようになっている。
ワンドそのものは、緒方経由で、ある程度の数を仕入れられるようになった。問題は、その先にあった。
「充填済みの魔石が、足りなくなってきています」
藪田の報告に、神崎は、資料に目を落とした。
「今は、使い切った魔石を回収して、まとめて拓也くんに充填してもらっている形だな」
「はい。ですが、その都度、拓也くんの手を借りる形では、追いつかなくなってきました」
洗浄のワンドは、平均でおよそ二百回の使用で、魔力が切れる。回収から充填、再配布までのサイクルが、需要の増加に追いつかなくなっていた。
「ストック用の魔石を、緒方くんに頼めないか」
「向こうで、未充填の魔石を、多めに確保してもらう、ということですね」
「拓也くんが、まとめて充填しておけば、足りなくなる前に、補充できる」
神崎は、その方針を、報告書に書き加えた。
ただ、その裏には、別の問題が見えていた。
地球側の需要が増えるほど、緒方が異世界側で確保しなければならない量も、増えていく。緒方一人の手で、どこまで対応できるのか——その限界は、まだ、誰にも分からなかった。
―――
新しい建物は、広い敷地を、高いフェンスで囲まれていた。出入口には、警備員の詰め所がある。トラック用と人用の出入口は別々に分かれ、車両用のフェンスは、リモコン操作で開閉する仕組みになっていた。
敷地の左側には倉庫が並び、その脇に、トラックの搬入口が完備されている。内外部合わせて、四百台分の駐車スペースも確保されていた。
右側には、食堂、会議室、応接室、所長室、大ホール、仮眠室、休憩待機室、警備部の事務所、管理部の事務所——様々な施設が、一棟の中に詰め込まれている。食堂だけは、民間の業者に委託されており、職員以外の人間が厨房に立つことはない。さらにその奥には宿舎があり、職員、拓也、静子、そして保護対象となる家族たちが、そこで暮らしていた。
施設の運営には、民間警備会社の人員も含めて、最大二百名体制が組まれている。清掃・食事・総務関連の業務は、民間業者への委託で動いており、警備についても、一部は民間の警備会社が担っていた。一番奥には、武道場とジムまで完備されていた。
ただの宿舎ではなく、もう一つの小さな町のような規模になりつつある。
その中で、緒方静子と拓也の生活も、少しずつ形になっていた。
最初の頃、警備スタッフとは、すれ違う際の挨拶だけで終わっていた。それが、今では、ちょっとした世話のやり取りに変わっている。
「静子さん、今日の夕飯、多めに作ったので、お裾分けです」
事務スタッフの一人が、タッパーを手に、静子の部屋を訪ねてくる。
「あら、いつも悪いわね。今度は、こちらからも何か」
静子は、気負いなく、笑顔で受け取った。一人暮らしの不安は、もう、ほとんど感じていないようだった。
拓也が、学校帰りに顔を出すと、警備員の一人が、軽く手を挙げる。
「お疲れ。今日は、稽古、何時までだった?」
「七時くらいです」
「飯、食ったか? まだなら、食堂、まだやってるぞ」
拓也は、軽く頭を下げて、食堂に向かった。
特別な出来事は、何もない。それでも、誰かが、誰かの様子を気にかける——そんな空気が、この建物の中に、少しずつ根付いていた。
―――
道場では、別の話が、続いていた。
「中野」
稽古の後、顧問の先生が、拓也を呼び止めた。
「来年、お前が三年になったら——な」
先生は、そこで一度、言葉を切った。
「うちの代で、一回くらい——全国、狙えると思ってるんだ」
「先生、そんな本気で言ってるんですか」
「お前の実力、本当はもっと上だろう。出し切ったら、どうなるか——一度、見てみたいと思ってる」
拓也は、苦笑いを浮かべた。三割に抑えている力を全開にすれば、それこそ、収まりがつかない結果になるだろう。
「東條の妹も、来年こっちに入ってくるらしい。お前が引っ張ってくれれば、心強い」
——あの子が、もう、高校か。
宿舎ができるまで、東條師範の家に居候していた頃、まだ中学生だったはずの妹の顔が、拓也の頭に浮かぶ。今、異世界で剣を振っているはずの雪乃の顔と、その面影が、頭の中で重なる。
「考えておきます」
軽く答えながらも、拓也の頭の中では、別の懸念が浮かんでいた。
——本気を出したら、絶対に目立つ。
先生の夢を壊すつもりはない。だが、その夢と、自分が抱えている事情との間には、簡単には埋まらない距離があった。
「進路の方も、そろそろ考えておけよ。学校休んでた分、フォローはするから」
「ありがとうございます」
先生は、それだけ言うと、道場の隅で雑談している一年生たちに、「お前ら、さっさと片付けろ」と一声かけてから、職員室の方へ歩いていった。
拓也は、その背中を見ながら、来年の自分が、どんな立場に立たされるのか、まだ想像がつかなかった。




