第56話 日常の方が手強い
南鳥島沖の海底資源を巡る方針は、すでに、国内精製を前提とするものとして固まっていた。
その流れに乗る形で、「悪魔の灰石」の精製も、既存の枠組みに組み込まれることが決まった。
「これなら、新たな許認可も、最小限で済みます」
神崎の報告に、倉持は、満足げに頷いた。
「赤いダイヤや、他の素材についても——業界向けの説明会を開いて、商品化に向けて進めたいと思っています」
「分かった。早めに、進めてくれ」
ーーー
洗浄のワンドについても、新しい動きがあった。
緒方との間で、安価な洗浄の魔道具を、定期的に購入する契約が結ばれたのだ。
以前、緒方が世話になっていた魔道具店の店主が、他の店にも声をかけ、増産に応じてくれたことで、ある程度の数を、安定して仕入れられるようになった。
市販はしていない。それでも、部署内の女性職員の間では、すでに評判になっていた。
「これ、本当に楽なんですよ」
「うちも欲しいんだけど、もう順番待ちで……」
奪い合うほどではない。だが、口コミだけで、確実に需要が広がっていることは、間違いなかった。
ーーー
新しい建物も、ついに完成した。
緒方の母——緒方静子と、警備・事務の在住スタッフが、次々と引っ越してくる。一階の事務所には、人の出入りが増え、二階の居住スペースにも、生活の気配が漂い始めた。
ただの宿舎ではなく、それなりの「職場」としての形が、ようやく整いつつあった。
ーーー
新年度になった。
拓也も、半年近く不在だった割に、無事、進級することができた。二年生になり、立場としては先輩だが、正直、あまり実感は無い。
最近は、大人との付き合いの方が、圧倒的に多い。学校での学年意識が、自分でも薄くなっているのが分かる。
三年生は、七月の玉竜旗で、引退となる。拓也は、レギュラーでもないので、気楽なものだった。
「中野」
ある日の稽古中、顧問の先生に呼ばれた。
「薮田から聞いている。今年はいいが——来年は、本気出せよ」
——先生、知ってるのかよ。泳がされてたのか。
「中野、東條師範の形、見せてみろ」
先生に言われ、拓也は、木刀を構えた。目の前に、敵を想定する。教わった速さで、丁寧に、仮想の敵を倒していく。
「ほう。何人殺した」
「えー……そんな例えなら、五人です」
「ふん、見事だ」
「師範が、よくしてくれますから」
「その通りだな。続けろよ。来年は——妹が入学するからな」
「はい!」
視線を感じていたが、それは全員が、自分の形を見ていただけだった。
稽古が終わると、先生が、手招きしている。
「中野くん。未成年が、酒を飲んではいけないよな」
「はい、飲んでません」
「薮田が教えてくれたんだが——例の、試飲用のワインが、余ってるんだろう? 詳しい話を、聞かせてもらえないか」
「はい、後で感想、聞かせてください。事務所の人に、先生宛に届けさせますから。今、電話すれば、十分以内に来ます」
「すまんな。感想は、シビアに書くぞ」
拓也は、苦笑いを返した。
一年生の面倒を見ながら、二年生の仕事もこなす日々が続いた。先生には、薮田から、学校を休むことがあるので主将には指名しないでほしい、という頼みが、すでに伝えられていた。
「中野先輩、かっこいいです」
「お前、男だろ。キモいぞ」
「中野先輩、形、教えてください」
「それは無理だな。師範の許可と、道場への入門が必要だから」
「ケチ」
数名の後輩たちと、たわいもない会話を交わしながら、拓也は道場を後にする。
「中野先輩、全然、汗かかないよね」
「手を抜いてるんだよ。二年の一番だから、余裕なんだよ。今年中に、追いついてやるよ」




