第53話 見えない境界線
紙と、赤いダイヤ、エテリムの交換が終わり、その荷は、小山市へと送られていった。
厳重な梱包と、複数の検査を経て、荷物は、新設された施設の一室に運び込まれる。
新しい宿舎の工事も、着実に進んでいた。緒方の母と拓也が暮らすことになる建物の輪郭が、日々、はっきりとした形を見せ始めている。
―――
国家情報局の一室では、神崎が、倉持を含む数名の関係者を前に、報告を行っていた。
「王国内では、閣内の覇権争いが、激化しているようです。ワイン・砂糖を巡る派閥同士の対立も、報告に上がってきています」
「……緒方くんは、それに、どこまで関わっているんだ」
倉持が、眉を寄せて聞く。
「現場の指揮は、ヴァルド男爵という貴族が担っています。緒方は、あくまで、商品の提供者という立場です」
「だが、それも、いつまで保てるか分からん」
「ええ。現場の人間一人での対応には、限界があります」
神崎は、そう前置きしてから、本題に入った。
「国内側で、緒方を支援する体制を整える必要があると考えています。日本側が有利に立ちつつ、緒方が危険にならない範囲で——具体的な内容を、検討していただきたいのです」
倉持は、しばらく、資料に目を落としていた。
「それと、もう一つ。今回、持ち込まれた素材についても、鑑定・分析を進めています。魔物の素材、金、それから魔道具——それぞれ、専門の機関に回す予定です」
「分かった。それと——ワインの件は?」
「東ヨーロッパからの調達で、支援できる見込みです。緒方が向こうで流しているワインに、こちらから実物を回せれば、計画の継続性も上がります」
倉持は、小さく頷いた。
「……まさか、政府が、異世界の派閥争いの片棒を担ぐとは、思わなかったがな」
―――
その頃、拓也は、別の一室で、数名の研究者らしき人物の前に立っていた。
「では、実際に、魔道具の充填を見せてもらえますか」
拓也は、用意された古い魔道具を手に取り、露出した魔石に、軽く指を当てた。
「……できました」
研究者たちは、その様子を、食い入るように観察していた。
「素材についても、説明をお願いできますか」
「はい。魔石が、魔力を受け取って、増幅器を通すことで、効果が発生します。魔力の無い人は、充填済みの物を買うか、自分で修理できる人は魔石だけ買うことになります」
拓也の説明は、淡々としていたが、内容は、専門家たちにとって、十分すぎるものだった。
「拓也くんにも、ある程度の魔力がある、ということですね」
「みたいです。斥候の力と、関係あるのか、自分でもよく分かりませんが」
「充填だけでなく——もし、作り方も分かるなら、教えてもらえますか」
研究者の一人が、身を乗り出して聞いた。
「一応、緒方さんから聞いた範囲なら……洗浄のワンドの作り方、でいいですか」
拓也は、頷いて、説明を始めた。
「素材は、アッシュ——トネリコの木です。加工しやすくて、魔力が素直に流れる木らしくて。節があると魔力が詰まるから、まっすぐな部分を使います」
「インクは、清流水に、クリーン・スライムの核と、魔力草の汁を混ぜたものです。綺麗な水に、洗浄効果のあるスライムの核の粉を混ぜて、そこに魔力草の絞り汁を数滴垂らすと、魔力が定着するインクになるそうです」
研究者たちは、メモを取る手を止められないようだった。
「刻印は、等間隔に、同じ深さで。鉄筆で一本の溝を掘って、その中に——『汚れを浮かせる』『流す』『乾かす』の三つの魔文字を刻みます。深さにムラがあると、服が破けたり、汚れが残ったりするので、慎重にやる必要があるそうです」
「刻んだら、インクを溝に流し込みます。乾いたら、根本から先端へ、魔力をすっと一回通す——文字が、ほんのり青く光れば、成功です」
「……まさか、こんな構造になっているとは」
研究者の一人が、思わず声を漏らした。
「実際に使ってみると、面白いですよ。汚れが浮いて、流れて、乾く——その三段階が、本当に順番通りに起きるので」
「それと、魔石を固定する部分には、魔物の皮を使うことが多いそうです」
拓也は、補足するように、付け加えた。
「魔力耐性のある魔物の皮じゃないと、魔力が漏れてしまうとか。これも、緒方さんからの話です」
「……では、実際に、試してもよろしいですか」
研究者の一人が、そう言って、机の端に置かれた、汚れのついた布切れを手に取った。先ほど拓也が充填した、洗濯用の魔道具に、その布を通す。
起動すると、ワンドの先端が、ほんのりと青く光った。
数秒後、布を取り出した研究者は、思わず、声を上げた。
「……これは」
布は、見た目だけでなく、手触りまで、明らかに変わっていた。湿っていたはずの感触もなく、乾いて、さらりとしている。
「サッパリしますね……これは」
研究者は、その布を、何度も指でなぞった。理屈は分かっていても、実際に体感すると、別の感動があるらしかった。
「こんなものが、当たり前に使われている世界、というわけですか」
その場には、しばらく、感心したようなため息が、いくつも漏れていた。
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会議の最後に、もう一つの話題が上がった。
「保護者会から、要望が来ています」
藪田が、資料を差し出しながら、口を開いた。
「拓也くんのスマートフォンに転送された写真や映像を、家族会にも共有できないか、という話です」
「……それは」
「それと、政府が持っている現地の映像も、見たいという声が出ています」
神崎は、しばらく、何も言わなかった。
家族の気持ちは、痛いほど分かる。だが、機密として扱うべき部分と、家族に見せるべき部分の境界線は、まだ、はっきりと引けていなかった。
「……検討します」
神崎は、それだけ答えるのが、精一杯だった。




