第51話 見えない戦線
「テラ・マートのことは、知っていても、知らぬことにする。この闘争が終わるまでは——不問だ」
オーレス伯爵は、そう言い切った。
緒方は、わずかに肩の力を抜いた。今、この場で全てを暴かれるわけではない、という意味だった。
「では——本題に入ろう」
伯爵は、卓上に、一枚の地図を広げた。
「皇太子派の筆頭侯爵は、ワインで利を得ている。第三王子派の筆頭辺境伯は、砂糖だ。お前には、両方を、大量に用意してもらいたい」
「大量に、ですか」
「ああ。ただし、出し方には、工夫が必要だ」
伯爵は、地図の上を、指でなぞった。
「新興のワインとして、市民の間に、じわりじわりと浸透させていく。砂糖も同じだ。上質な砂糖を、安く流す。表向きは——皇太子派と第三王子派が、直接やり合っているように見せたい」
緒方は、その狙いを、すぐに理解した。
二つの派閥の主力商品が、それぞれ別の場所から、安く、しかも品質の良いものとして出回り始める。互いの利権を、互いの足元から崩していくように見せかける——その裏に、自分という一人の人間がいることは、誰にも気づかれない形になる。
「窓口は、ヴァルド男爵に任せる」
伯爵は、そう告げた。
「お前との繋がりは、男爵が一手に引き受ける。現場の指揮も、男爵だ」
ヴァルド男爵は、その言葉に、無言で頷いた。
―――
数日後、緒方の店に、ヴァルド男爵がやってきた。
「紙の件、確認しに来た」
いつもと同じ、何の変哲もない口調だった。だが、それが、今は計算された芝居であることを、緒方は知っていた。
「ええ、ちょうど用意できております。では——奥で、領収書の発行をいたします」
緒方は、商人らしい所作で、男爵を奥の部屋へ案内した。
表向きは、紙とエテリム、赤い石の重量交換——ただの取引だった。だが、奥の部屋では、別の品が、すでに用意されていた。
「これが、例のワインと砂糖です」
緒方は、ボトルに詰めた試供品を、卓上に並べた。
ちょうど、オーレス伯爵も、別の入口から、その場に姿を見せていた。
「……ほう」
伯爵が、ワインを一口、口に含む。
「悪くない。これが、安価に出回るのか」
「はい。砂糖も、同様です」
ヴァルド男爵も、白い粒を、指先で少し舐めてみた。
「……これは、白い砂糖か! 確かに質がいい」
その後、緒方は、地図を広げ、販売の順序と、最初に流す地域を、二人に説明していった。
「明日、伯爵様の手の内の商人が、こちらに参ります。品は、その方に渡し——各地に、散っていただく流れになります」
「分かった。手配しておく」
ヴァルド男爵が、短く答えた。
―――
その夜、緒方は、結城たちを呼び、これまでの経緯を、一通り話した。
オーレス伯爵とのやり取り、皇太子派・第三王子派の利権構造、そして、ワインと砂糖を使った、今回の計画——緒方は、隠すことなく、すべてを共有した。
「……それ、結構、危ない話じゃないですか」
皆川が、心配そうな声を出す。
「危ないのは、分かってる。でも、テラ・マートのことまで見抜かれてる以上、もう、断る選択肢は無かった」
「ヴァルド男爵が、現場の指揮なんですよね」
結城が、確認するように聞いた。
「そうだ。窓口は、男爵が一手に引き受けてる。俺は、商品を用意するだけだ」
結城たちは、しばらく、それぞれの表情で、その話を受け止めていた。
―――
翌日、結城たちは、町の食堂で、遅めの昼食をとっていた。
その時、見覚えのある顔が、店に入ってきた。
「……あれ、店主さん?」
皆川が、思わず声をかけた。
「おお、お前たちか」
果物店主は、軽く片手を上げて、笑った。
「ちょうど、昨日、こっちに着いたところだったんだ」
「どこに、行ってたんですか」
「色々と、な」
店主は、はっきりとは答えなかった。それから、声を落として、続けた。
「それより——聞いたか。とんでもない話があってな」
「……何ですか」
「勇者パーティーの、脱走。行方不明だ」
その一言に、結城たちは、揃って、息を呑んだ。




