第42話 遠征の夜
遠征の出発は、思っていたより、呆気ないものだった。
王都の門をくぐり、馬車に揺られながら数日。やがて、訓練場の比較ではない、本格的な遠方のダンジョンへと足を踏み入れることになる。
ドルフの姿は、当然のように無かった。
「これからは、最後尾、俺一人でやることになります」
ロイが、出発前にそう言った時、誰も特に異論を挟まなかった。表向きは、当然の引き継ぎだった。
だが、実際に潜り始めると、その負担の大きさは、すぐに分かった。
罠の解除、奥の確認、撤退時の最終チェック——これまでドルフと分担していた作業のすべてが、今はロイ一人の肩にかかっている。
「……今日も、お疲れ」
ある日の攻略を終えた後、結城は、地面に座り込んでいるロイに、そう声をかけた。
「いえ、これくらいは」
ロイは、いつもの調子で答えたが、目の下の隈は、以前よりも濃くなっていた。
「無理してないか。ドルフがいない分、お前にかかる負担、相当なはずだ」
「平気です。慣れてきました」
結城は、それ以上は踏み込まなかった。ロイの本当のところは、未だに測りきれない。だが、こうして実際に肩を並べて戦っている間は、その不信感も、いくらか鈍る。
遠くの壁に、灯りが反射して揺れている。誰もいない、静かなダンジョンの一室だった。
「……なあ」
結城が、特に誰に向けるでもなく、ぽつりと呟いた。
「俺たちは、最終的に、誰と戦うことになるのかなー」
独り言のような、軽い調子だった。
ロイは、少し意外そうな顔をしたが、すぐに肩をすくめた。
「分かりませんね。魔王、ってことになってるんでしょうけど」
「そうなんだけどさ……正直、実感が無いんだよな。魔王も、魔族も、誰も見たことがない」
「俺も、似たようなもんですよ。教えられた話を、そのまま受け取ってるだけです」
ロイの返事には、特別な含みはなかった。世界の脅威というものを、彼自身、まだどこか遠いものとして捉えている——その距離感が、結城には、むしろ意外なほど自然に映った。
——この男も、結局、俺たちと同じところに立ってるのかもしれない。
その夜、宿営の灯りの下で、結城は一人、これまで聞かされてきた説明を思い返していた。
召喚された当初——魔王は、古い歴史の中の脅威として語られていた。すでに人類が幾度となく相対し、辛勝を重ねてきた、という体の話だった。だが、実際に魔物の数がここまで増えている理由と、魔族の王そのものとの因果関係については、誰も、はっきりとした説明をしていなかった。当然のように繋がっているものとして、ただ知識だけが刷り込まれていた。
——もう一度、ちゃんと聞き直す必要があるのかもしれない。
誰に聞けばいいのか、まだ分からない。それでも、その違和感は、ロイへの何気ない問いかけと共に、結城の中で、小さな芯になって残っていた。
―――
その夜、野営の焚き火を囲みながら、皆川は、見張りの順番を待っていた。
神崎と東條は、すでに眠りに落ちている。結城も、少し離れた場所で、何かを考え込むように黙っていた。
皆川は、揺れる火を見つめながら、ぼんやりと考えていた。
——自分たちは、一体、何のために戦っているんだろう。
魔王、魔族——どちらも、まだ実体のない言葉だった。聖女としての役目をこなしながらも、その先に何があるのか、皆川自身、はっきりとした像を持てていない。
ふと、果物店主から聞いた話が、頭の奥から浮かび上がってきた。
——盗賊の彼の出身国には、魔族がいる。割と普通に暮らしてる。
あの時は、聞き流してしまった一言だった。だが、こうして改めて考えてみると、何か、引っかかるものがあった。
「……あれ?」
皆川は、思わず声に出していた。
「皆川? どうした」
近くにいた東條が、目を開けて、こちらを見る。
「ガラニア国の店主さんが言ってたこと、覚えてますか。盗賊の人の、出身の国の話」
「ああ……魔族と一緒に暮らしてる、みたいな話だったか」
「それって——」
皆川は、自分の考えを、まだうまく言葉にできないまま、それでも続けた。
「地球以外の、惑星のことなんじゃ……」
東條は、しばらく黙っていた。
「……それ、本気で言ってるのか」
「分かりません。ただ、何となく、そう思ったんです。あの人、ガラニア国とは別の国から来た、って言ってましたよね。地球とも、グレーカレコ王国とも、違う場所から」
東條は、火を見つめたまま、何も言わなかった。すぐには、その可能性の大きさを、上手く飲み込めないようだった。
「……結城くんに、話した方がいいかもしれません」
皆川は、そう言って、少し離れた場所に座る結城の方を見た。
まだ、誰も、その言葉の重みに、正面から向き合えていなかった。それでも、小さな違和感は、確かに、一つの形を取り始めていた。
焚き火の灯りが、静かに揺れていた。




