第41話 値踏み
その数日後、王都の片隅、いつもの一室で、ロイはヴァルド男爵と向かい合っていた。
「次の遠征の、日程が決まった」
ヴァルド男爵が、淡々と切り出す。
「……遠征、ですか」
「お前のパーティーが、王都を離れて、しばらく遠方のダンジョンに向かうことになる。期間は、短くても二月、長ければそれ以上、と聞いている」
ロイは、わずかに眉を寄せた。
「俺も、同行することになります」
「分かっている」
ヴァルド男爵は、革袋を机に置いたが、いつもよりわずかに軽い様子だった。
「正直に言えば——これを最後にしようと思っている」
「……これを最後に、というのは」
「お前との、この定期報告だ」
ロイは、しばらく黙っていた。
「遠征に出れば、王都を離れる。これまでのように、定期的に戻ってきて報告する、という形は取れなくなる。それに——」
ヴァルド男爵は、一度言葉を切った。
「今の俺の関心は、勇者パーティーそのものより、別のところにある。お前から得られる情報の価値も、以前ほどではなくなってきている」
ロイは、その言葉に、表情を変えなかった。
だが、内心では、複雑な感情が渦巻いていた。
——これで、終わりか。
安堵なのか、寂しさなのか、自分でもよく分からない感情だった。
「分かりました」
ロイは、それだけ答えた。
「これまでの仕事は、悪くなかったと思っている。世話になった」
ヴァルド男爵は、それだけ言うと、立ち上がった。
「ドルフは、どうなる」
「長期の遠征には、同行しません。元々、深い階層に長く付き合うだけの体力は残っていない、と本人が言っていました。遠征中は、近場のダンジョンの仕事だけを受けるそうです」
「そうか」
ヴァルド男爵は、それだけ頷いて、部屋を出ていった。
ロイは、一人残された部屋で、しばらく動かなかった。
——これから、誰にも報告しなくていい。
そのことが、思っていたよりも、重く響いた。監視という名目の下にあった日々が、形だけにせよ、ここで一つ終わりを迎えていた。
だが、それで、自分の中にある何かが、晴れるわけではなかった。
——俺は、結局、何のために、あの仕事を受けたんだったか。
答えは、すぐには出なかった。
ーーー
ロイとの報告を切り上げた、その足で、ヴァルド男爵は、城内の一角へと向かった。
目的地は、女性たちの間で評判になっている、あの小さな店だった。
オーレス伯爵からは、緒方について「続けて、調べさせろ」と言われている。ならば、遠回しに人を使うより、自分の目で確かめる方が早い。
——伯爵は、王家の血を引く家系だ。皇太子派からも、第三王子派からも、引き込みの誘いが絶えない立場にいる。どちらに転ぶにせよ、伯爵自身の手札は、多いに越したことはない。
緒方という男が、その手札の一つになり得るかどうか——それを見極めるのは、自分の役目だと、ヴァルド男爵は思っていた。
店に足を踏み入れると、棚に並んだ小瓶が、まず目に入った。
「いらっしゃい」
緒方が、いつもの調子で声をかけてくる。
貴族風の身なりに、わずかに目を細めたが、それ以上の反応は見せなかった。
「この店の主人は、お前か」
「そうですが——何か、お探しですか」
「これだ」
ヴァルド男爵は、棚から、例の『ゴアゴア』のヘアスプレーを一つ取り上げた。
「城の女たちが、これに夢中になっていると聞いてな。一体、どこから仕入れている品なのか、聞きたくなった」
「仕入れ先は、企業秘密にさせていただいてます」
緒方は、笑みを崩さないまま、淡々と答えた。
「企業、というのは?」
「言葉のたとえですよ。商売上の、ちょっとした言い回しです」
ヴァルド男爵は、わずかに目を細めた。
この男、表面上は朴訥そうに見えるが、言葉の選び方に隙がない。
「なるほど。では、別のことを聞こう」
「どうぞ」
「この店、税の方は、どうなっている。城内に店を構えるなら、相応の手続きが必要なはずだが」
緒方は、一瞬だけ笑みを消した。困った時に出る、あの癖が、わずかに顔を覗かせる。
「そちらは、王城の方から、正式に許可をいただいています。税についても、決められた分は、きちんと納めているつもりです」
「ほう」
ヴァルド男爵は、内心で、わずかに感心していた。
きちんと筋を通している——少なくとも、表向きはそう見える。隙を見せない男だった。
「お前、元はどこの出身だ」
「……それも、企業秘密です」
緒方は、今度ははっきりと笑った。困った時の笑みではなく、もう少し落ち着いた、商売人らしい笑みだった。
「気に入らない聞き方をした自覚はある。許せ」
「いえ、お気になさらず。男爵様にも、お仕事があるんでしょう」
その一言に、ヴァルド男爵は、わずかに眉を上げた。
自分の身分を見抜いた上で、あえて踏み込んでこない——その距離感の取り方が、妙に手慣れていた。
「また、来る」
「いつでも、どうぞ」
ヴァルド男爵は、それだけ言って、店を出た。
——脱落者にしておくには、惜しい。
その確信は、今日の短い対話で、むしろ強くなった。あの男は、何かを隠している。隠し方が、あまりにも自然だった。
一方、緒方は、男爵の後ろ姿を見送りながら、棚の小瓶を、無言で並べ直していた。
——本格的に、目をつけられたな。
これまでの、城の女性たちとの何気ない世間話とは、違う種類の緊張が、緒方の中に生まれていた。税の話を持ち出してきたのは、こちらの足元を探るための、ささやかな威嚇だったのだろう。
それでも、今のところ、向こうが踏み込んでくる材料は、何もない。
緒方は、小さく息を吐いて、棚の整理を続けた。
王都の片隅で、いくつもの思惑が、静かに、その輪郭を変え始めていた。




