第32話 まだ十六歳なのに
家族会の後、神崎は、それぞれの家族に、一つの提案をしていた。
「手紙を書いてみませんか。届けられる保証はできませんが、可能性はあります」
結城の母親は、最初、その提案に強く反発した。
「手紙なんて悠長なことより、まず、責任の所在をはっきりさせるべきじゃないですか」
それでも、何日か経った後——
結城の母親は、一枚の紙を前に、ペンを握ったまま、長い時間動けなくなっていた。
法的措置、責任、組織への追及——頭の中では、まだそういう言葉が渦巻いていた。それでも、紙に向かうと、出てくる言葉は、まるで違うものだった。
——あの子は、まだ十六歳なのに。
結局、書き上げた手紙には、怒りも、要求も、何も書かれていなかった。ただ、無事でいてほしいという、シンプルな言葉だけが並んでいた。
皆川の家からは、両親そろっての、短い手紙が届いた。安堵の気持ちを、率直に綴ったものだった。
東條の家からも、一枚の手紙が用意された。多くは語られていなかったが、それでも、確かに、その家族の言葉として書かれていた。
緒方の母も、震える手で、一枚の便箋に向き合っていた。高齢の体に、ペンを握る作業は、決して楽ではなかった。それでも、最後まで、自分の手で書き上げた。
ーーー
その数日後、倉持との面会が、ひっそりと行われた。
倉持は、資料を手に、開口一番に切り出した。
「この金属、チタンやタングステンの代替として、研究者の端くれとして、このデータを見るからに有用です。——入手元は、どの県のものですか」
神崎は、表情を変えなかった。
——どの県、か。
神崎は、これまで多くの政治家を見てきた。その大半が、突き詰めれば、手柄を欲しがる人間の集まりだった。倉持が、研究者としての視点を強調するのも、半分は本心、半分は、自分の実績にするための足がかりを探しているように見えた。
「申し訳ありませんが、入手経路については、現時点でお答えできる段階にありません」
「県名だけでも、教えてもらえませんか。さすがに、それくらいは」
「それも、まだお答えできる段階にありません」
倉持は、わずかに不満げな顔を見せたが、それ以上は踏み込まなかった。
神崎は、常に、二歩分だけ下がった位置から、相手と向き合うことを心がけていた。一歩近づかれたら、二歩離れる。それくらいの距離感でなければ、政治家という生き物とは、安全に付き合えないと思っていた。
「また、何か分かれば、ご連絡します」
神崎は、それだけ言って、会話を切り上げた。
ーーー
訓練から帰ったら、緒方から連絡が入っていた。
「手紙、何件かまとめて届いてる。今からそっちに転送する」
結城は、密会の手はずを整え、その夜、緒方のもとへ向かった。
届いた手紙は、四枚。母からのもの、皆川の両親からのもの、東條の家からのもの、そして——緒方の母からのもの。
「……結構な数だな」
緒方は、それを一枚ずつ確認しながら、苦笑した。
「中身は見てないから、安心してくれ」
結城は、その手紙を一枚一枚、丁寧に受け取った。
翌日、結城は、それぞれの手紙を、本人たちに手渡していった。
神崎は、受け取った手紙を、しばらく無言で見つめていた。前回ほどの動揺は見せなかったが、それでも、開く前に、深く息を吐いていた。
皆川は、両親からの手紙を受け取ると、その場で泣き出してしまった。東條は、自分の家族からの手紙を、何も言わずに、上着の内側にしまった。
結城は、最後に、自分の母からの手紙を開いた。
——あの子は、まだ十六歳なのに。
そんな言葉は、書かれていなかった。それでも、行間から、似たような気持ちが、確かに伝わってくる気がした。
無事でいてほしい。それだけが、何度も繰り返されている、シンプルな手紙だった。




