第27話 薄氷の上
神崎が手紙を受け取ったという話は、いつの間にか、皆川と東條の耳にも入っていた。
「ねえ、結城くん。私も……お母さんに、何か伝えられないかな」
夕食の後、皆川が、思い切ったように切り出した。東條も、何も言わずに、その横で結城を見ていた。
結城は、すぐには答えられなかった。
「分かるよ、その気持ちは。けど……」
神崎の手紙は、特殊な経路をいくつも重ねた末に、ようやく届いたものだった。緒方の専用の通信、拓也の存在、テラ・マートの返品処理——どれも、薄氷の上に成り立っている仕組みだ。一人増えるごとに、その薄氷の上に乗る人数が増える。
「今すぐは、難しい。ごめん」
皆川は、それ以上は何も言わなかった。ただ、その表情には、隠しきれない落胆が浮かんでいた。
結城は、自分の言葉の重さを、改めて思い知らされた。
「……そういえば、テラ・マートで、何か欲しいものってある?」
空気を変えるように、結城はそう切り出した。意図が見え透いていたかもしれない。
「えっ、いいんですか?」
皆川が、目を輝かせた。
「リップクリーム……あと、シートマスク欲しいです。あと、ポテトチップス、のり塩」
「のり塩は譲れません」
東條も、ぽつりと付け加えた。続けて、もう一つ口にする。
「それと、梅干し」
「分かった。緒方さんに、伝えておく」
重い空気は、いつの間にか、どこかに消えていた。
―――
翌日の訓練場、ロイは罠の模型を前に、慎重に手を動かしていた。
「小僧!それじゃ死ぬぞ!」
ドルフの怒声が、訓練場に響いた。ロイは、構えていた姿勢を、慌てて崩した。
「そんな半端な力加減で罠に触れてどうする。死ぬ時は、だいたいこういう中途半端な仕事の時だ」
「……すみません」
「謝るな。直せ」
ロイは、素直に頷くと、もう一度同じ作業をやり直した。今度は、先ほどより幾分か丁寧な手つきだった。
「……悪くない」
ドルフは、それだけ言うと、視線を逸らした。褒めるのに慣れていない様子が、見ているだけでも伝わってくる。
「次、行くぞ」
「はい」
二人の間に流れる空気は、いつの間にか、最初の頃よりずっと自然になっていた。
―――
拓也との通話は、神崎の話で終わるはずだった。
「あ、それと……これはついでなんですけど」
「ん?」
「あの金属、最近、研究機関がいくつか興味を持ってるみたいです。チタンとかタングステンの代替候補として、調べられてるって聞きました」
緒方は、思わず黙り込んだ。
「……まだ、研究段階ってことだよな」
「そうみたいです。商業化とかは、まだ先の話だって聞きました」
緒方は、小さく息を吐いた。
——隠し切れる範囲が、また少し狭くなった。
―――
数日後、結城は再び密会で緒方のもとを訪れていた。前回頼んだ品物の受け渡しを兼ねた、ちょっとした用事だった。
「あ、それと——聞いてくれよ。歯ブラシと歯磨き粉が、とんでもなく儲かるんだ」
密会の場で、緒方はそんな話を切り出した。
「歯ブラシ、ですか」
「こっちの歯磨き事情、知ってるか。塩を歯にこすりつけるとか、木の枝を咬んで終わり、とか、そういうレベルなんだよ」
「知ってますよ。俺も最初の頃、塩でやってましたから」
「だから、試しに歯ブラシと歯磨き粉を売ってみたら、貴族連中が飛びついてきてな。今、ちょっとした行列ができてる」
緒方は、心底楽しそうに笑った。
「日用品って、馬鹿にできないもんだな」
「緒方さん、本当に商売、向いてますよね」
「向いてるかはともかく、ここで普通に暮らせるだけの金は、もう十分に稼げてる」
その言葉には、安堵と、わずかな自負が、同じくらい混ざっていた。




