第21話 お土産のケーキ
その日の午前、訓練場に王城の使者が再び姿を見せた。
前に、ロイを連れてきた時と同じ顔だった。
「先日提出された、斥候の増員についての提案、ご報告に参りました」
結城たちは、思わず互いに顔を見合わせた。
「結論から申し上げますと、許可が下りました。パーティ全体の生存率向上に直結する、というのが、上の判断材料になったようです」
使者はそう言って、後ろに控えていた男を一歩前に出した。
五十代に近いと見える、骨太な体格の男だった。陽に焼けた肌、無精髭、手の甲に残る古い傷跡が、長年の現場仕事を物語っている。
「ドルフだ。罠の解除と鍵開けを専門にやってきたが、斥候の仕事なら大抵は一通りこなせる」
愛想のない、ぶっきらぼうな口調だった。
「ただし、今回の契約は臨時雇いだ。長くは続けない」
「長くは、というのは」
結城が聞き返すと、ドルフは肩をすくめた。
「ベテランってのは、聞こえはいいが、要するに歳だ。長期の深い階層に何ヶ月も付き合うほどの体力は、もう残ってない」
ドルフは、ロイの方に視線を向けた。
「今回は、そっちの坊主の腕が、ある程度のところまで上がるまでの、繋ぎだ。教えられることは教える。それで十分だろう」
ロイは、一瞬だけ表情を硬くしたが、すぐにいつもの柔らかい笑みを取り戻した。
「よろしくお願いします」
「まずは、お前の腕を見せてもらう」
ドルフは、訓練場の隅に置かれていた古い錠前を一つ、無造作に拾い上げた。
「これを、開けてみろ」
ロイは、手元の道具を確認してから、丁寧な手つきで作業に取りかかった。
時間はかかったが、確実な手順で、最終的には開いた。
「悪くない。だが、遅い。力の入れ方にも、無駄がある」
ドルフは、淡々とそれだけ指摘した。怒っているわけでもなく、ただ事実を述べているだけのようだった。
「これから、その辺りを直していく」
ロイは、素直に頷いた。
結城は、その様子を少し離れた位置から眺めながら、内心で複雑な感情を抱いていた。
ロイが国の監視役なのかどうかは、依然として分からない。だが、ドルフという男が来たことで、最後尾の安全性そのものは、確実に上がるはずだった。
——紐の重みを、薄める。
その目的は、ひとまず果たされた形になる。
―――
数日後、結城は再び、隠密の術を使って緒方のもとを訪れた。
「提案、通ったそうですね。緒方さんの言った通りでした」
「ああ、聞いた。良かったな」
緒方は、ほっとしたような表情を見せた。
「新しく来た人は、どんな様子だ」
「ベテランです。臨時雇いで、ロイに技術を教える役目もあるみたいで」
「臨時、か。なるほどな。長く雇うほど、体が持たないってことか」
「そうみたいです」
結城は、そこで一度、言葉を切った。
「あの、もう一つ、話したいことがあります。中野くんから、何か聞きましたか。俺の家族や、皆川の家族……みんなの家族のことで」
緒方は、少し表情を曇らせた。
「ああ。前回の通話で、少しだけな」
緒方は、ゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「中野くんも、詳しいことまでは分からないみたいだが、聞いた範囲で、一通り聞かせてもらった」
「訪ねて来て、いろいろあったみたいだが、今はお前の母親は、前よりは落ち着いてきているらしい。皆川の母親も、表立っては何もしていないようだ。東條の実家は、相変わらず多くを語らないままだそうだ」
「……そうですか」
結城は、それだけ言って、しばらく黙った。
落ち着いてきている、という言葉に、安堵と、わずかな寂しさが、同時に湧いてくる。
「神崎の方は、どうですか」
結城が聞くと、緒方は一度、言葉を止めた。
「それが……神崎については、中野くんでも何も分からなかったらしい。家族の連絡先自体が、調べてもどこにも出てこないって話だ」
結城は、わずかに眉を寄せた。
神崎の家のことは、これまでも誰一人として訪ねてきたという話を聞いたことがない。今回もまた、同じだった。
「……変ですね、それは」
「ああ。中野くんも、同じことを言っていた」
「ただ……もう一つ、伝えておくことがある」
緒方の声が、少しだけ低くなった。
「俺の母親も、俺を探しているらしい。中野くんが、たまたま聞いたって話だが」
結城は、息を呑んだ。
「緒方さんも、行方不明者として、扱われてるんですか」
「考えてみれば当然だ。あの日、俺もあの場にいた。学校からすれば、職員が一人、突然消えたことになる」
緒方は、自分のことを話しているはずなのに、どこか他人事のような口調だった。
「中野くんに、何か伝えられないか、とも思ったが……あいつには、もう十分やってもらってる。これ以上、変な動きをさせるわけにもいかない」
「……俺たちは、何もできないんですかね」
「分からない。今のところは、できることがない、というのが正直なところだ」
二人の間に、しばらく沈黙が落ちた。
窓の外、王都の夜は、いつもと変わらず静かだった。
その沈黙を破ったのは、緒方の方だった。
「そういえば、一つ、見せたいものがある」
「何ですか」
「テラ・マートの取り寄せ品目が、最近増えててな。前は日用品くらいだったのが、食品まで頼めるようになってた」
緒方は、机の上に置いてあった小さな箱を、結城の前に差し出した。
「試しに、ポイントを使って、ケーキを取り寄せてみたんだ」
箱を開けると、小さなホールケーキが一つ、収まっていた。
地球の、ありふれた洋菓子店のものらしい。クリームの白さが、灯りの下で柔らかく光っていた。
「これを……」
「結城くんたちに、何かしてやれることが、これくらいしかなくてな。皆で食べてくれ」
結城は、しばらくその箱を見つめたまま、何も言えなかった。
「ありがとうございます」
それだけ言うのが、精一杯だった。
―――
宿舎に戻った結城は、神崎・東條・皆川を集め、箱を開けて見せた。
「緒方さんから、差し入れだ」
「ケーキ……?」
皆川が、目を丸くした。
「地球の食べ物が、こっちに届くなんて」
東條も、興味深そうに箱の中を覗き込む。
「とりあえず、食べてみよう」
神崎が、待ちきれないという様子で、皿を用意し始めた。
四人で切り分けたケーキを、それぞれの口に運ぶ。
「……うまい」
神崎が、ぼそりと呟いた。
皆川は、一口含んだまま、しばらく動かなかった。
「皆川さん?」
「……すみません。ちょっと、目に染みただけです」
そう言いながら、皆川は何度も目元を拭っていた。
地球の甘さは、こちらの世界の砂糖菓子とは、少しだけ違う種類のものだった。重くなく、しつこくない、それでいて確かに満たされる甘さだった。半年前まで、当たり前のように口にしていたはずの味だった。
東條は、何も言わずにフォークを置いた。
その手が、わずかに止まったままだった。やがて、目の縁から、一筋だけこぼれる。
「……埃でも入ったか」
いつもなら、誰よりも先に背筋を伸ばしている東條が、その時だけ、しばらく顔を上げなかった。
誰も、その言い訳を疑わなかった。誰も、それ以上は何も言わなかった。
「美味しいですね」
皆川が、それでも、震える声でそう言った。
結城は、小さく頷いた。
ロイの監視、国の思惑、それぞれの家族のこと——抱えているものは、何も減っていない。
それでも、この一切れのケーキを囲んでいる間だけは、誰の表情にも、確かな緩みがあった。
結城は、皿の上に残ったクリームを見つめながら、ふと思う。
緒方さんも、緒方さんの母親も、こんな小さな甘さを、いつか同じように味わえる日が来るのだろうか。
その答えは、まだ誰にも分からなかった。




