第185話 祝福
あの記者会見から、数か月が過ぎていた。
反対派が仕掛けた違憲訴訟は、地裁の審理を経て、一つの判断が下されていた。
「契約魔法による宣誓そのものは、合憲」
判決文の、その一文が、報道各社の一面を、飾った。
ただし、判決には、一つの条件が、付されていた。運用にあたっては、独立した審査機関による、事後的な検証を義務づける——それが、司法からの、注文だった。
「まあ、妥当なところだろうな」
鷲尾は、判決文に目を通しながら、そう漏らした。
「完全な白紙委任じゃない。それで、いい」
世論工作の方も、思ったほどの効果は、上げられなかったらしい。「魔法で内心を支配する」という主張は、これまでの摘発——放送局の不正、数々の汚職事件——という、目に見える成果の前では、説得力を持たなかったのだ。
「膿出し」という言葉は、いつの間にか、世間に、すっかり定着していた。
判決を受け、法務省は、新たな枠組みづくりに着手した。
数日後、官房長官による、定例記者会見が開かれた。
「まず、契約制度監査委員会の設置について、進捗を報告します」
官房長官は、手元の資料に目を落としながら、続けた。
「契約魔法による宣誓制度が、公正に運用されているかを、外部の目で検証する機関です。委員には、裁判官経験者、弁護士会からの推薦者、学識経験者など、行政から独立した立場の方々に、名を連ねていただきます。任期は数年、再任は一度まで。運用の実態を定期的に調査し、必要があれば国会に是正を勧告する権限を持たせます」
「監視する側が、監視される側と馴れ合っては意味がない——これは、人選にあたって、総理が、あらかじめ釘を刺した言葉です。身内で固めるな。多少、煙たい人間を、あえて入れろ、とのことでした」
その一言に、記者席から、小さな笑いが漏れた。
続けて、官房長官は、別件の報告に移った。
「黒滑菌液の培養についても、進捗がございます。研究段階から、量産に向けた成長が軌道に乗り、来年から、本格的な採取が可能になる見通しです」
この発表は、会場を、大きくざわつかせた。
「これに伴い、ガソリン価格についても、今後、緩やかな下落が見込まれます」
「さらに、太陽光パネルの有毒成分の分解技術についても、実証段階で、一定の成果が出ています。廃棄パネルの処理コストが、大幅に削減できる見通しです」
立て続けの発表に、記者たちは、忙しくペンを走らせていた。
ーーー
その頃、契約認証庁は、着実に、体制を整えつつあった。
資格を取得した弁護士や、司法書士、行政書士たちが、各地の相談窓口に、立ち始めている。
「思ったより、早く、軌道に乗ったな」
鷲尾の側近が、報告書を見ながら、そう呟いた。
「まだ、始まったばかりだ。気を、抜くなよ」
鷲尾は、そう返しながらも、その表情には、確かな手応えが、滲んでいた。
ーーー
一方、小山の家では、拓也と葵が、ささやかな準備を、進めていた。
「式は、挙げないんだったよね」
「ああ。身内だけで、簡単に、済ませるつもりだ」
「それでも、少しくらいは、形にしたいな」
葵が、そう言うと、拓也は、小さく、笑った。
「ああ、そうだな」
テーブルの上には、二人で選んだ、指輪のカタログが、広げられていた。
激動の日々の中にも、こうした、ささやかな時間が、確かに、流れていた。
ーーー
式の当日は、拓也の会社の会議ホールを借りて、身内だけの、ささやかな集まりとなった。
葵の父・浩一と母、姉の雪乃——といっても、雪乃は、こちら側には来られない。大型モニターを通じて、異世界から、中継が繋がれていた。
「聞こえますか、緒方さん」
拓也が、そう声をかけると、画面の向こうで、緒方が、小さく手を挙げた。
「ああ、聞こえてる。おめでとう、拓也、葵ちゃん」
その隣に、もう一人、画面へと映り込んでくる。
「せっかくだから、雪乃さんにも、こっちまで、来てもらったんだ」
緒方の傍らに立っていたのは、東條雪乃だった。わざわざ、緒方の屋敷まで、足を運んでくれたらしい。
「葵、おめでとう。……こっちからで、ごめんね」
「お姉ちゃん!」
葵が、思わず、声を上げる。画面越しでも、その声には、確かな喜びが、滲んでいた。
式が進む中、一通のメッセージが、届いた。
「総理から、お祝いのメッセージです」
神崎が、そう言って、書面を読み上げる。
「中野拓也くん、東條葵さん、ご結婚、誠におめでとう。二人のこれからの日々に、幸多からんことを——鷲尾」
拍手が起こる。
「もう一通、届いています。……アメリカ大統領から、だそうです」
その場に、小さなどよめきが広がった。
「congratulations on your marriage. I wish you both a lifetime of happiness.」
——ご結婚おめでとう。二人の人生に、生涯にわたる幸福があらんことを。
英語のメッセージに、拓也は、少し照れくさそうに、頭をかいた。
「大袈裟だよな……」
それでも、その一言には、これまで積み重ねてきたものの重みが、確かに込められていた。
ーーー
式を終えた後、拓也は、宮下にも、電話で結婚の報告をした。
「え、マジか! 先を越されたと思ったら、今度は結婚かよ!」
宮下は、電話越しに、驚いた声を上げた。
「めでたいことだな、うん。おめでとう」
「宮下さんも、実家に戻るって、言ってたよな。あれから、どうなったんだ」
「ああ……結局、継ぐことにした。今は、こっちと向こうを、行ったり来たりの生活だ」
「そうか」
「紫苑も、一緒に、向こうで暮らし始めたよ。あいつ、田舎の空気が、案外、合ってるみたいでな」
電話の向こうから、氷室の声が、微かに聞こえてくる。
「言っておくけど、私は、あんたに、ついていったわけじゃないから!」
「はいはい」
宮下が、笑いながら、そう受け流す声も聞こえた。
「また、こっちに来たら、顔出せよ」
「ああ。そっちも、なかなか会えなくなるかもな」
電話を切った後、拓也は、少しの間、画面を、見つめていた。
賑やかだった、あの部屋での時間は、もう、そう頻繁には、訪れないのかもしれない。
それでも——それぞれが、それぞれの場所で、歩き出している。それも、悪くないと、拓也は、思っていた。




