第184話 罠と刃
ゴドフリーが最初に訪れてから、数日が過ぎていた。
「あの男、また来るでしょうか」
エレーナがそう呟く。
「来るだろうな。あれだけしつこかったんだ」
緒方は少し考えてから、テラ・マートの画面を開いた。
「先手を、打っておく」
「先手、ですか」
「向こうの目的が分からない以上、こっちで追いかける手段を、用意しておいた方がいい」
緒方が取り寄せたのは、小型のGPS発信機だった。地球の技術で、居場所を追跡できる代物だ。
「これを、あの男に気づかれないように付ける。次に来た時にでも」
「私も手伝います」
エレーナが静かに、そう申し出た。
ーーー
数日後、ゴドフリーは再び屋敷を訪れる。
「先日は、突然のご無礼を。改めて、ご検討いただけましたでしょうか」
愛想の良い笑みを浮かべながら、彼は応接間に腰を下ろした。
緒方は世間話を交えながら、それとなく彼の外套の裏地に、小さな発信機を忍ばせる。
「まだ、こちらも立て込んでいるものでして。もう少し、お時間をいただけますか」
「もちろんです。焦らせるつもりはありません」
ゴドフリーは丁重に頭を下げて、帰っていった。
その日から、緒方は神の目とGPSの両方を使い、ゴドフリーの動きを静かに追い続ける。
彼の足取りは、王都の商業区画を忙しなく行き来していた。だが、数日ごとに決まって、ノルデンガルド王国側へと向かう街道を進んでいることが分かる。
「……やっぱり、ただの商人じゃなさそうだな」
緒方は地図上の光点を見つめながら、そう呟いた。
ーーー
そして、三度目の来訪の時。
「本日も、お返事はまだでしょうか」
ゴドフリーがいつも通りの笑みを浮かべて、部屋に入ってきた瞬間——ガインとリエラが両脇から、その腕を取り押さえる。
「な——何のつもりです!」
「こちらが聞きたいことだ」
緒方は静かに、自白の魔道具を差し出した。
「お前が何度も、ノルデンガルド側へ足を運んでいることは、もう分かっている。正直に話すなら、悪いようにはしない」
ゴドフリーの顔から、笑みが消える。
しばらくの沈黙の後、彼は観念したように肩を落とした。
「……分かりました。話します」
「私は、ノルデンガルド王国から依頼を受けておりました。目的は——ドラヴァス様の一行の居場所を、突き止めること」
「やはり、そうか」
ドラヴァスが低く、唸るように言う。
「取引口座の話は口実か」
「はい。ここに出入りする理由が欲しかっただけです。まさか——先に、こちらが仕掛けているとは思いませんでした」
ゴドフリーは自嘲するように笑った。
「依頼主は、ノルデンガルドの誰なんだ」
緒方の問いに、ゴドフリーは首を振る。
「そこまでは……私も、直接の依頼主としか、やり取りしておりません。名も顔も存じません」
この情報に、ドラヴァスの表情が初めて強張った。
「ノルデンガルドが、儂を探しているとなると——」
「息子さんが、まだあちらにいるんですよね」
緒方の言葉に、ドラヴァスは重く頷く。
「ガルドの潜伏先が割れれば……」
その先は、誰も言葉にしなかった。
「一つ、気になることがあります」
エレーナが静かに、口を挟む。
「ノルデンガルドは、なぜ今になって、これほど熱心にドラヴァス様を探しているのでしょうか。これまでは、それほどの動きはなかったはずです」
その一言に、緒方はヴィムの証言を思い出していた。
「……もしかしたら、ノルデンガルドも、あの魔族の影響を受け始めているのかもしれないな」
「帝国と、同じようにですか」
エレーナの声が、わずかに緊張を帯びる。
確証は何もない。それでも、一人の情報屋の背後に、これまでよりもはるかに大きな影が、はっきりと姿を現した瞬間だった。
ーーー
その夜、緒方は隣の屋敷で静養していたレナートにも、ゴドフリーの一件を伝える。
「ノルデンガルドが……ドラヴァス様を?」
レナートはしばらく、言葉を失っていた。
「他人事とは、思えません」
「レナート?」
「私の一族も……最初は、些細な探りのようなものから始まりました。誰かがそれとなく周りを嗅ぎ回って——気づいた時には、もう逃げ場がありませんでした」
その声には、経験した者にしか分からない重みがある。
「もし、ノルデンガルドの動きの裏にも、あの魔族が絡んでいるのなら……同じことが、また繰り返されるかもしれません」
緒方はその言葉に頷いた。
「だから、俺たちは先に動いたんだ」
「私にも……何か、できることはありませんか」
レナートがまっすぐに、緒方を見る。
「これまでは、ただ匿われるだけでした。ですが、帝国の内情なら多少は、心得があります。魔族が、どういう手口で人を動かすのか——その辺りの感覚は、お役に立てるかもしれません」
緒方は少し考えてから答えた。
「ありがたい話だ。だが、まずは体を休めることが先だ。焦らなくていい」
「……はい」
レナートは小さく頷いた。
だが、その目には、これまでにはなかった静かな意志の光が宿っている。
匿われるだけの客人から、自らの意思で動こうとする者へ——レナートの中で、何かが変わり始めていた。
ーーー
翌日、緒方たちは端末を通じて、ガルドと直接連絡を取る。
「ガルド、聞こえるか」
ドラヴァスの声に、端末越しの音声から若い男の声が返ってきた。
「父上……ご無事で、何よりです」
「お前もな。単刀直入に言う。今すぐ、そちらを離れてこちらに合流できないか」
「……何か、あったのですか」
「ノルデンガルドが、儂を探っている。お前の潜伏先も、いつ割れるとも分からん」
しばらく、沈黙が続く。
「……お誘いは、ありがたいのですが」
「ガルド?」
「今動けば、かえって目立ちます。それに——ここには私にしか、掴めない情報もあります。もう少し、ここに留まらせてください」
ドラヴァスはしばし黙り込んだ。
「危険は承知の上か」
「はい」
「……分かった。だが、少しでも危うくなったら、すぐに知らせろ。すぐに飛んでいく」
「父上らしくない、飛躍した言い方ですね」
「儂の勝手を許せ」
通信が切れた後、ドラヴァスはしばらく無言だった。
「息子さん、頑固なんですね」
緒方がそう言うと、ドラヴァスは小さく笑う。
「儂に、似たのだろうよ」
ーーー
その夜、緒方は神の目の定点観測に、違和感を覚えた。
敷地の外周——普段は人の気配などない場所に、不自然な動きがある。
「誰か……いるな」
緒方はすぐに、ガインとリエラに報せた。
物陰に潜んでいたのは、黒ずくめの一人の男だった。気配を殺し、レナートの部屋がある隣の屋敷の方角を、じっと窺っている。
「レナート様の命が、狙われているのか……!」
ガインが声を潜めた。
緒方の指示で、ガインとリエラが先回りする形で動く。
男が屋敷の壁を、越えようとした、その瞬間——
「そこまでだ」
ガインの声とともに、剣が男の首筋に突きつけられる。
捕らえられた男に、自白の魔道具が使われた。
「誰の指示だ」
ガインの問いに、男はしばらく抵抗するように黙っていた。だが、魔道具の効力には逆らえない。
「……仲介屋から話が回ってきた。帝国の生き残りが、竜人の屋敷に匿われていると」
「仲介屋……ゴドフリーか」
緒方が思わず呟く。
「奴が捕らえられる前に、流していた情報が……もう外に出ていたのか」
「私は、ただ依頼を受けただけです。金さえもらえれば、どこの誰でも構わない口です」
男は投げやりに、そう答えた。
「依頼主は?」
「知りません。仲介を何人も、挟んでいるので」
またしても、依頼主の正体には辿り着けない。だが、一つはっきりしたことがある。
「レナート様の存在は、すでに外に漏れている……ということですね」
エレーナの言葉に、緒方は重く頷いた。
ゴドフリーを止めたはずが、彼が既に流していた情報は、もう独り歩きを始めている。
この一件を聞いたレナートは、青ざめながらも静かに拳を握った。
「……やはり、生きて逃げただけでは、済まないのですね」
「命は無事だった。それだけで十分だ」
緒方がそう声をかけると、レナートは小さく頷く。
「ですが、これではっきりしました。私は、ただ守られているだけでは、いずれ皆様にまで危険が及ぶ。……本気で、お力になりたいと思います」
その目には、恐怖とそれを上回る確かな決意が宿っていた。




