↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界帰りの俺と、残された四人 ―テラ・マートは知っている―  作者: 山田村


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
182/186

第182話 火種


 深夜、緒方は執務机に向かい、帳簿と睨めっこをしていた。


 数字を指でなぞる。


 ——おかしいな。


 先月と今月とで、食費の欄が明らかに様子が違う。


 ドラヴァスが隣の屋敷に移ってから、まだそう日は経っていない。それなのに、仕入れの量が以前の倍近くに膨れ上がっている。


「肉と、パンと……この麦の量、桁を間違えたか?」


 緒方は帳簿を二度見した。間違いではない。


 ため息をつきながら隣の部屋を覗くと、エレーナが本の整理をしていた。


「エレーナ、ちょっといいか」


「はい、どうされました?」


「これ、見てくれ。食費が、えらいことになってる」


 差し出された帳簿に、エレーナは目を通す。ややあって、小さく頷いた。


「竜人の方々は、魔力量に比例して食が細くならないものですから」


「……それ、もっと早く教えてほしかったな」


「申し訳ございません。あまりに当たり前のことでしたので」


 エレーナはそう言うと、少し困ったように微笑む。


「臣下の方々も、いずれ同じように増えていきますよ。この程度では、まだ序の口かと」


「まだ、序の口……」


 緒方は頭を抱えたくなった。事務職員時代、経費の桁が一つ違うだけで胃が痛くなった感覚が、久しぶりに蘇ってくる。


「あの、緒方様」


 エレーナが静かに切り出す。


「差し出がましいようですが……こういったことは、わたくしの実家では日常のことでした。よろしければ、力にならせてください」


 緒方は思わず、エレーナの顔をまじまじと見た。


 本に詳しい。契約魔法にも詳しい。だが、屋敷の切り盛りという実務の面で、エレーナを頼ったことは、これまでなかった。


「エレーナが? ……いや、頼む。正直、俺には、この規模の家計は想像もつかない」


「畏まりました」


 エレーナは机の上に、真新しい紙を一枚広げた。


「まず、食料は月ごとの契約に切り替えるべきかと。商会とまとめて仕入れの約定を結べば、日々の値の揺れに振り回されずに済みます」


「なるほどな。単発で買うより、まとめ買いか」


「はい。それと——」


 エレーナは一拍置いた。


「臣下の方々への対価の話も、避けては通れません」


「対価……給料、ってことか」


「緒方様の国では、そう呼ぶのですね」


 エレーナは興味深そうにそう呟いてから、続ける。


「ただ、臣下の方々は、お館様に仕えることそのものを当然の誉れと考えています。金銭を渡すという発想は、おそらく、そちらからは出てきません」


「それじゃ、いつまで経っても対価を払う話には、ならないってことか」


「はい。ですから——緒方様の方から、形にして差し出す必要があります」


 エレーナは紙に、簡単な表を書き始めた。


「役目に応じて、住まいと食事と、いくらかの手当てを。ドラヴァス様のように魔石充填で稼げる方は、その分を上乗せする形で。ただの施しではなく、働きに見合った形にすることで、皆様の誇りも守れるかと」


 緒方はその表をじっと見つめる。


 派手さはない。だが、筋の通った地に足のついた案だった。


「……エレーナ、お前、本当に頼りになるな」


「本のことしか能がないと、思われていましたか?」


 エレーナは悪戯っぽくそう言って、微笑んだ。


「いや……そうじゃないが」


 緒方は少し気まずそうに、頭をかく。


「侯爵家で、こういうことを任されてたのか」


「ええ。跡取りではありませんでしたから、その分、屋敷の切り盛りの方を仕込まれておりました」


 その言葉に、緒方は何も言えなかった。


 貴族の娘として生まれ、跡を継げないという立場ゆえに培われた実務の力が、今こうして、異世界に流れ着いた事務職員の窮地を救っている。


 巡り合わせというのは分からないものだと、緒方は改めて思った。


「よし。この案で、まず動いてみよう」


「はい」


 二人はその夜、遅くまで紙の上に、細かな数字を書き連ねていく。


 それでも——緒方の頭の片隅には、小さな不安が残っていた。


 もっとも、金に困っているわけではない。日本からの仕入れという、他の誰にも真似できないアドバンテージがある以上、懐に余裕がないわけではなかった。


 それでも——不安は消えない。


 二十年近く、事務仕事に染みついた性分が、そう簡単に抜けるはずもない。数字が右肩上がりに増えていくのを見ると、それが黒字であっても、条件反射のように身構えてしまう。


「儲かってるのに、なんで、こんなに不安になるんだかな……」


 緒方は誰にともなく、そう呟いた。


 合理的でないことは、自分でも分かっている。それでも、この性分だけは、どうにもならない。


 二人がようやく、表を書き終えた頃だった。


 扉の外で、慌ただしい足音がした。ノックもそこそこに、ガインが部屋に飛び込んでくる。


「お館様がお呼びです。至急、こちらへ」


「こんな時間に? 何かあったのか」


 緒方が腰を上げながら、尋ねる。


「帝国から逃げて来た者がいると。それも……皇族の血を引く方だそうです」


「皇族……ですか」


 エレーナの声が、わずかに固くなる。


「もとは、この国に逃げ延びてきただけだったようですが……市井で、お館様の噂を耳にしたようで。今朝がた、急に面会を申し入れてきたと」


「噂って……そんなに広まってるのか」


 緒方は思わず、額を押さえた。


「馬を扱う商会が、国境を越えて商いをしております。荷と一緒に、話も運ばれていたのでしょう」


 ガインはそう付け加えた。


「受け入れるかどうか、まだ決まってはいないんだろう?」


「ええ。ですが、お館様は……断りきれない様子でした」


 緒方はたった今、書き終えたばかりの表に目を落とした。


 臣下の食費すら、ようやく形にできたばかりだった。そこに一国の皇族が加われば——警備も体裁も、これまでとは桁違いの話になる。


 それだけでは済まない。


 皇族を匿うということは、帝国そのものに対して明確な意思表示をすることになる。もはや屋敷の家計の話では、なくなってしまう。


「……エレーナ」


「はい」


「これ、俺たちの手には負えない話に、なってきたな」


 エレーナは静かに頷いた。


 その表情には、緒方と同じ拭いきれない不安が確かに滲んでいる。


 そしてもう一つ——ガインが声を落として、付け加えた。


「それと……その皇族の御方に随行してきた者の中に、少々動きの怪しい者が一人。ドラヴァス様も気づいておいでのようです」


 間者かもしれない、とは誰も口には出さなかった。だが、その場の空気だけで十分に伝わっていた。


ーーー


 翌朝、緒方とエレーナは隣の屋敷を訪れる。


 応接の間には、旅装のまま疲れ切った顔をした青年が座っていた。名を、レナートと名乗った。帝国の皇族の傍流——先の内戦で粛清の手が及んだ一族の生き残りだという。


 ドラヴァスは、しばらくレナートの話に黙って耳を傾けていた。


「儂を頼ってきた理由は?」


「……ここに、亡命した魔王がいると聞きました。同じ逃げる者同士——分かり合えるのではないかと」


「分かり合える、か」


 ドラヴァスは静かに笑った。だが、その目は笑っていない。


「一つ聞くが——お前は何を望む? 安住の地か。それとも、いずれ帝国に戻り、玉座を取り返すことか」


 レナートは一瞬、言葉に詰まった。


「……分かりません。今はただ、生きたい、それだけです」


 その答えに、ドラヴァスは少しの間、目を閉じた。


 かつての、自分自身の姿と重なって見えたのかもしれない。


「よかろう。客人として迎え入れる」


「ありがとう、ございます……!」


「ただし」


 ドラヴァスの声が、一段低くなる。


「儂は、お前に兵も金も貸さん。玉座を取り戻す手伝いは、しない。ここで守るのは、お前の命だけだ。それ以上を望むなら、他を当たれ」


 その線引きに、レナートは深く頭を下げた。


「重々、承知しております」


 ドラヴァスは緒方の方を見た。


「緒方、済まんな。また世話をかける」


「いえ……ただ」


 緒方は少し考えるように、間を置いた。


「これは、もう俺たちだけで抱えていい話じゃないと思います」


 ドラヴァスは静かに頷いた。


「分かっておる。王妃殿にも、筋を通さねばならん」


ーーー


 その日のうちに、エレーナは実家に使いを出した。


 オーレス侯爵——エレーナの父は、その報せを受けると、すぐに屋敷へと駆けつけてくる。


「皇族の亡命者を匿っただと? エレーナ、お前……分かっているのか、これがどれほどの重みを持つか」


「はい、父上。承知の上です」


 エレーナはまっすぐに、父を見返した。


「ですが、断るという選択肢は、ドラヴァス様にも緒方様にも、ありませんでした。それが、あの方々の性分ですから」


 侯爵はしばし、娘の顔を見つめる。


「……お前は変わったな」


「そうでしょうか」


「昔は、本の陰に隠れて多くを語らぬ子だった。今は、こうしてまっすぐに物を言う」


 侯爵は小さく息をつくと、表情を切り替えた。


「よかろう。この話、私から王妃陛下にお伝えする。だが——」


「だが?」


「王妃陛下が、これをどう判断されるか。私にも、まだ読めん」


 その言葉に、緒方とエレーナは顔を見合わせた。


 家計の心配から始まった小さな綻びは、いつの間にか、国同士の思惑が絡む大きな話へと育ちつつあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。