第180話 布石
緒方は、拓也に、二つの品を託した。
一つは、『神の憂いと誓約の世界 ――傲慢なる人類に刻まれし契約の魔法――』。もう一つは、「日本への契約魔法伝授に関する提案書」。
「国内外、問題点は、山ほどある。それでも——公的な分野や、犯罪捜査に関わることなら、いずれ必要になる話だと思う」
緒方の言葉に、拓也は、二冊を、大事そうに受け取った。
「分かった。とりあえず、神崎さんに渡してみる」
拓也は、早速、神崎に資料を渡した。それは今、鷲尾総理の元で、検討されている。
ーーー
法務省から役人を交え、練り直しに入った。
これまでは、あくまで、実験的な運用に留まっていた。だが今回は、国会での証人喚問における宣誓の代わりとしての活用や、犯罪捜査における法的な運用も含め、しっかりとした形にする——それが、目標だった。
「うまく形になれば、そこから、民間への普及も、図りたいところだな」
鷲尾は、報告書に目を通しながら、そう漏らした。
ーーー
数か月後、法務省から、関連資料が鷲尾の元に送られてきた。
「これなら、内外に通用する内容だ。しかし——運用となると、法務省だけで、できるか?」
鷲尾は、資料をめくりながら、眉根を寄せた。
「新しい部署を作らんと、本格運用は、厳しいな」
こうして、新たに「契約認証庁」の設立に向けての、方向が決まった。
ーーー
資料の一部は、アメリカにも共有された。
数日後、取り入れるとの返事があった。内容は——国と国の条約に関わる、より踏み込んだ契約と、移民国家としての国籍——帰化の際の宣誓にも、この仕組みを取り入れる方向でいる、というものだった。
「最近は、約束をしても、平気で破る国があるからな」
というのが、アメリカ側の弁だった。
尤も、それを言うなら、アメリカ自身にも、過去に約束を反故にしてきた前科は、幾つもある。お互い様ではあるのだが——そこは、あえて、誰も触れなかった。
日本もまた、帰化に関する審査へ採用する法体系を、今国会に通すことを織り込みながら、国会議員の宣誓にも取り入れる方向で、動き始めた。
「議員の宣誓にまで、か……」
法務省の担当者の一人が、思わず、そう呟いた。
誰もが、賛成するとは、限らなかった。
ーーー
法案の内容が伝わるにつれ、水面下では、反対派の動きも、活発になっていた。
日本国憲法第九十九条には、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う、と定められている。就任の手続きや式典の有無にかかわらず、当選し、あるいは任命された時点で、法律上当然に負う義務——それを、より具体的な誓いとして、契約魔法によって裏付けようというのが、今回の狙いだった。国会議員の就任にとどまらず、国家公務員、地方公務員の宣誓義務にも、同じ仕組みを用いる方向で、検討が進められている。
「これが通れば……我々の誓いが、ただの言葉では、済まなくなる、ということか」
複数の議員が、非公式に、顔を突き合わせていた。
「憲法を守ると誓っておいて、実際には破っても、これまでは、何も起きなかった。だが、この仕組みが入れば——そうはいかなくなる」
「潰すなら、今のうちだ」
誰からともなく、そんな声が上がる。
「正面から反対では、角が立つ。『思想及び良心の自由』——憲法十九条を盾に、違憲訴訟の準備を進めるべきだろう」
「世論も、味方につけたい。『魔法で、内心まで支配するつもりか』——そう煽っておけば、不安に思う者も、少なくないはずだ」
法案は、まだ、国会に提出されてすらいない。それでも、水面下の攻防は、すでに、静かに始まっていた。
ーーー
この動きを受け、鷲尾は、記者会見で、こう述べた。
「公僕が、日本国のために働く——ただ、それだけの、当たり前のことを、日本国に誓う。それだけの、簡単な儀式です」
だが、記者の一人が、すかさず、切り込んだ。
「単なる儀式であれば、なぜ、わざわざ契約魔法を用いる必要があるのですか? これまでの宣誓と、何が違うのでしょう」
鷲尾は、一瞬、間を置いてから、答えた。
「違うのは——誓いを破ろうとした、その時に、初めて、意味を持つという点です。これは、内心を縛るものではありません。契約魔法は、本人が心から拒めば、そもそも発動しないように、作られている。つまり——後ろめたいことがなければ、何も変わらない。変わるとすれば、それは、誓いを破ろうとした、その一瞬だけです」
その一言に、記者席は、しんと静まり返った。
ーーー
この会見の影響は、大きかった。
これまで、表向きは「国のため」と言いながら、実際には、どこか某国の代弁者めいた発言を繰り返してきた——そんな議員も、少なくなかった。だが、鷲尾のあの説明の後では、表立って反対することが、難しくなっていた。反対すれば、「後ろめたいことでも、あるのか」と、勘繰られかねない。
法案は、まず、与党の法務部会での審査に付された。ここで了承を得ると、政調審議会、そして総務会へと上がっていく。党内の異論は、思いのほか少なかった。
閣議決定を経て、法案は、正式に国会へと提出される。委員会での審議を経て、本会議での採決——賛成多数で、可決・成立した。
ーーー
施行にあたっては、まず、公務員全般が対象となった。
問題のある人物の抑制につながる——そう見込んでのことだった。
だが、蓋を開けてみると、地方から国家公務員に至るまで、かなりの数の退職者が出た。
「獅子身中の虫を、飼いならすつもりだったんだがな……」
鷲尾は、報告書に目を通しながら、苦笑気味に、そう漏らした。
「飼いならす前に、外へ、逃げ出した——というわけですか」
側近の一人が、そう返す。
「そうらしい。おかげで、臨時の求人には、忙しくなったがな」
それでも、鷲尾は、この流れが、悪いものだとは思っていなかった。
むしろ——これは、良い方向に向かっている。そう、確信していた。
ーーー
一方、契約認証庁は、民間の資格者制度の構築にも、乗り出していた。
最近、仕事が減っていた弁護士を中心に、司法書士や、行政書士にも、新たな資格を取得してもらい、新しいビジネス展開へと導いていく。
「今までの仕事が減った分、これで、食っていけるようになるのか」
説明会に集まった弁護士の一人が、そう呟く声が、聞こえた。
「ええ。契約魔法の運用には、専門知識を持った人材が、どうしても必要になりますから」
担当者は、そう答えながら、資料を配っていく。
契約認証庁は、いずれ、独立した省になる予定だという。その時、「魔法省」と呼ばれるようになるのかどうかは、まだ、誰にも分からない。だが——異世界関連の統括を担う省庁になることだけは、間違いなかった。




