第176話 継がれるもの
ソニアは、仰天していた。 目の前の人物が魔王であり、その魔王の国が、竜人とダークエルフの集まりであるという事実に。
それでも、研究者としての性分が、勝った。
「向学の為に、教えて下さい。歴史を」
震える声で、それでも、ソニアはそう切り出した。
「儂らは、昔、この国の北側に住んでいた」
ドラヴァスは、静かに、語り始める。
「ラーメルの一族も、かつては同じ地区で、共に暮らしていた。だが、時代が流れ、住みよい場所を求めて人族が増えるにつれ——ラーメルの一族は大森林へ。儂らは、北へと移った」
「最終的に、北の中でも比較的温暖なあの地に、定住した」
「過去にも、何度か、人族が攻めてきたことがある。だが、数代前の長——魔力が強い者を指す、儂らの古い言葉で『英雄』と呼ばれる存在だ——が、人族からあの地を、三度、守り抜いた」
「儂のような、弱い長では……千年の間、守り続けてきた住処を、捨てて、逃げるしかなかった」
ドラヴァスは、淡々と、そう語った。
だが、その声の端に滲む乾いた響きに、ソニアは、掛ける言葉を見つけられなかった。
ーーー
その経緯を、王妃は、妹ソニアから知らされた。
人の都合で書き換えられた伝説をもとに、勇者召喚が行われた。結果として、それが、ドラヴァスを亡命にまで追い込んだ。
ガラニア国の旧・勇者パーティーが、この国に合流したこと。ノルデンガルド王国の勇者の凶行が、魔王の亡命という結果を招いたこと。日本との貿易拠点によって、利益と技術革新がもたらされていること——王妃には、まるでパズルのピースが一つ、また一つと、嵌まっていくように感じられた。
この現状は、時代が変わる転換点なのか、あるいは、神の差配としか、思えなかった。
王妃は、ドラヴァスに、客人としての保護を申し出た。
だが、ドラヴァスは、静かに首を振った。
「儂は、仕事をして暮らす方が、性に合っている。このまま、緒方殿の預かりで、お願いしたい」
その言葉に、王妃も、それ以上は勧めなかった。
傍らで、宰相が、問う。
「閣下。ノルデンガルド王国は、南を攻めるでしょうか」
ドラヴァスは、しばし考え込んでから答えた。
「満足な戦いのできなかったあの国が、南を攻める可能性もある。だが、全ては、帝国の動き次第かと」
その答えは、宰相自身が内心で予想していたものと、ほぼ同じだったらしい。
王妃と宰相、侯爵——三人の話し合いでは、帝国の内戦は王都のみで終結している様子だという。だが、密偵の報告でも王都への侵入は叶わず、内情不明の状態が、なお続いている。
もし、ノルデンガルド王国が帝国に飲み込まれれば、そのまま南下し、弱小国は戦わずして下る運命になる——そんな最悪の結末も、想定しないわけにはいかなかった。
ーーー
一方、緒方は、拓也に一連の経緯を連絡していた。
「え! 魔王ドラヴァス? 何のための召喚だよ」
拓也の困惑した問いに、緒方は、少し考えてから答える。
「多分な——今回の召喚成功には、別の目的があるんじゃないかと、俺は感じている」
拓也との通話を終え、緒方が執務室を出ると——竜人ドラヴァスが、そこで待っていた。
「何か、手伝える事はないか? ただ飯を食らうわけにはいかないからな」
「いろんな仕事がありますから、はじめは見学なさって、興味のある物を手伝って頂きたいと思います」
「分かった。案内、頼む」
ーーー
一方で結城は、イルシャが村へ帰ることになったため、ささやかな送別会を開くことにした。
「これ、長老から。今回の仕事がうまくいったら渡すように、言われてた」
差し出された羊皮紙——中身は、村の秘宝「万物進化の霊薬」のレシピだった。
「いいのか?」
結城が問うと、イルシャは、笑いながら答える。
「あー、長老が『今まで完成したことがないが、レシピは本物だ』って、笑いながら言ってた。わたしは、結城だったら出来るかもって——密かに期待してる。あ、これ材料。もし出来たら、村にも分けてくれ」
早速、緒方の工房を借りて、結城は調合を始めた。
数分後——。
「これって……うまくいった、んだよな?」
半信半疑で問いかける結城に、イルシャは、目を輝かせて答えた。
「多分! すごいよ」
「これ、村に持っていって」
偶然なのか、あるいは、結城の実力ゆえか——霊薬は、あっさりと完成した。
翌日、イルシャは、薬と土産を手に、村へと帰っていった。
ーーー
結城の前に、東條がやって来た。
「あのね……お願いが、有るんだけど」
「なんだよ、お前がそんな事言うの——初めてじゃないか? 怖いな」
「なにも、そんなに構えなくても。私だって、お願いくらいするから」
「わかった。何?」
「あの薬、欲しいの……葵に」
「え、妹さんに? なんで?」
「前から、言われてたの。姉みたいになりたい、って」
「まだ……人に試したことのない薬だぞ? 人が飲んで、大丈夫なのか? 興味はあるが……両親の許可とか、日本は、うるさいだろ。そこの確認と、緒方さんにも相談した方がいいよ」
「わかった」
東條は、緒方に相談し、その話は、拓也にも伝わった。
拓也は、葵、神崎、東條浩一の四人で話し合った。
葵は、単純に、拓也に近づきたいという思いだった。
だが、父親は、体の変化に、慎重だった。
神崎は——人類の進化を前提に、思考していた。
ーーー
東條浩一は、葵の話を聞いていた。
葵は、最初、姉・雪乃に近づきたいという気持ちだけで、剣道を続けていた。身近にいる拓也の存在が、姉に近づく近道になる——そう考えていた時期もあった。だが、あまりにも常識外れの身体能力を目の当たりにして、一度は絶望しかけた。
それでも、拓也が根気強く練習に付き合ってくれたおかげで、諦めずに続けることができた。
「多分……強くなりたいっていう欲求と、強くなれるかもしれないっていう希望があるなら、すがりたい」
葵は、父に、そう伝えた。
その気持ちは、武道家として、浩一にもよく理解できた。だが、理解できるからこそ——心配な気持ちも、拭いきれずにいた。
「私の勘だが……その薬には効果があり、そして、体に悪い影響もないと思う。何があっても後悔しないと約束できるなら、自分の思うようにしなさい」
浩一が、そう告げると、普段は口数の少ない母が、
「そんな!」
と、思わず声を上げた。だが、それ以上は、何も言わず、押し黙った。
ーーー
次の日、葵は、拓也に薬の使用を願い出た。
拓也は、少し驚いたものの、葵の硬い決意に気圧され、それ以上は何も言えないまま、了承した。神崎にも報告した上で、緒方に連絡を入れる。
翌日、万物進化の霊薬が届いた。
拓也は、薄っすらと光る霊薬を見て、思わず、恐怖を覚えた。だが、すぐに鍵付きの保管庫にしまい、その時を待つことにした。
東京から神崎が、昼過ぎに到着する。神崎は、この瞬間に立ち会う責務を感じていた。
録画が始まる。葵は、その霊薬を凝視し、真剣な眼差しを向けていた。
「では、はじめましょうか」
神崎が、そう声をかけた。葵は、瓶のコルクを抜き、ゆっくりと飲み干した。
十秒後、露出した手や顔、首が、淡く光りだした。
「なんか……あったかい」
葵が、そう呟いた。淡い光は、三分ほど続いて、収まった。
「特に体調の変化はありますか?」
神崎が、尋ねる。
「痛みや違和感はありません。何も変わった実感がないです」
「わかりました。何か変化があった時は、知らせて下さい」
「よくわからないが、体に薬効が循環するまで、時間がかかるのでは?」
拓也が、そう言った。
「十分に考えられる。今は激しい運動を避けて、様子を見ましょう」
神崎が、そう答えた。
拓也と葵は、ソファーに腰掛け、お茶を飲みながら、ゆったりと過ごした。夜になっても変化はなく、普段通りのようだった。
その日、葵は、特別眠いわけでもないのに、体が進化することを願いながら、普段より早く床についた。拓也は、床に座り、壁に背中を預け、もしものことがないようにと祈りながら、その様子を見守っていた。
翌朝、何事もなく起床した葵は、拓也が徹夜で見守ってくれたことに感謝し、朝食前に散歩に誘った。
三十分ほど歩きながら、葵が聞いてくる。
「こっちの人には、効果ないのかな?」
「まだ一日も経っていないからね。これからかもしれない」
拓也は、そう伝えた。
そして、迎えた三日目——高校に行き、部活の練習に参加する日になった。
二人は、勝手知ったる母校の道場に入り、先生に挨拶をしてから、練習に参加した。体の具合を確かめるため、まず拓也が葵と向き合う。
速さも強さも、男子並み——それも、高校の上位組と同じくらいの印象だった。
レベルアップしている。
拓也は、葵のそばに行き、
「レベルが上がっているのを、自覚しているか」
と声を掛けた。
「はい!」
元気な返事が、返ってきた。
パワーアップした葵は、その日、絶好調だった。拓也は、神崎に簡単な報告をして、その日を終えた。
ーーー
次の日、拓也から、現段階の身体強化の報告と、引き続き観察を続けることを伝えられた緒方は、結城と雪乃に連絡を入れた。
「便利な魔道具じゃの」
ドラヴァスが、そう言ってきた。
「はい、便利です。——興味がそそられる仕事は、ありましたか?」
「あったぞ。一番は、本の仕事じゃ。本がこれほどあるとは、恐れ入った。この建物だけで、どこぞの国の本の全てを上回りそうだ。ただ、読むだけでは利益が上がらんからな。奥方の様に、本の仕事ができる訳では無いからな。ただ、読むのは好きじゃ。次は、魔石充填かの——あれは、儂向きかもしれん。なんせ、魔力だけは有るからな」
「では、魔力の多い方には個数をまとめて、一気に充填していただいて、短時間で高収入を得た後は、自由に過ごしてもらう——というのは、どうですか?」
「それは良いのー。それにしてもらうか」
「では、そのように整えます」
緒方が、そう言う。
「この国の勇者達は、攻めてきた者達とは、根本的にどこか違うな」
「そのように、見えますか」
緒方が、答えた。
「儂は、武力はからっきしだが……予測する能力がある。この場面で、どうするのが良い判断か、な……」
「それって、予言ですか?」
「予言? 予測だ。情報を元に、判断する」
とんでもないことを、ドラヴァスは、さらりと言ってのけた。
——予測で、俺の所に落ち着いたのか?
緒方は、内心、そう呟かずにはいられなかった。




