第170話 黒滑菌液
結城の元へ、緒方から連絡が入った。
「南ガラニア国の、友好的な貴族の領地に、天然資源の可能性がある——日本から、そんな連絡が入った。詳細な位置データも、送られてきている」
「資源は、原油に近いものではないか、と言っている。調べてみてほしい、とのことだ」
「あの貴族の土地は、大半が荒れ地です。貴族が住んでいる場所だけが、豊かな農地と、美しい湖のある地域でしたね」
結城は、そう、記憶を辿った。
「侯爵からは、既に許可をもらっている。調査と、サンプルの採取を、頼めるか」
ーーー
結城たちは、南ガラニア国の、その友好的な貴族の元を訪ね、侯爵から預かった書状を渡し、荒れ地の調査許可を得た。
「あの地から、利益が上がるというのなら、喜ばしいことだ。しっかりと、調査をお願いする」
貴族は、そう快く応じた。
この貴族の元には、北から彼を頼って流れてきた、遠い親戚が身を寄せていた。家の手伝い程度の仕事を、こなしているという。産業の乏しいこの地では、居候として、いささか持て余されている状態だった。本人にとっても、決して居心地の良い立場とは言えない。だからこそ——新たな産業の芽に、否が応でも、期待をかけずにはいられなかった。
ーーー
途中までは、道があった。だが、その先は、荒れ地を車で進むしかない。おかげで、目的地点への到着には、三日がかりとなった。
結城は、これが原油だとすれば、発火や有毒性のリスクもあると、慎重に、歩みを進めていた。
あたりには、発酵臭が、じわりと漂い始めていた。においに敏感なガルムが、顔を歪める。
「キツそうなら、ここで、周りの警戒をしてくれ」
結城が、そう声をかけると——
「遠慮なく、ここで、待機させてもらう」
即座に、そんな言葉が返ってきた。
現地に到着すると、においは、さらに強烈さを増していた。極限まで濃縮された腐葉土の匂いに、ツンと鼻を突く発酵臭が、混ざり合っている。
ここで、シルヴィアと東條も、リタイアを申し出た。二人は、ガルムのいる場所まで、引き返していく。
においの元には、黒い粘液のようなものが、たまっていた。まるで原油のように、じわじわと、ガスを発生させている。
汗や脂を思わせる、どこか生々しい匂い。無機質な化学物質の匂いとは、明らかに違う。『自然そのものの匂い』をベースにしながら、燃料特有の『刺激臭』が、そこに混ざり込んでいる——そんな、今まで嗅いだことのない、独特のにおいだった。
「結構、キツイな……鼻の奥を、ツンと刺すような刺激臭だ。微かに、アンモニアか、アルコールにも近い」
隼人が、顔をしかめながら、そう言った。
「早く、採取するぞ」
容器に、三つ分を汲み上げると、一行は、即座に、その場を後にした。
ーーー
王都に戻ると、結城は、緒方に二缶を託した。残る一缶は、興味を示していたソニアに、渡すことにした。
ソニアは、泣きそうな顔をしながら、分析を試みる。だが、あまりの悪臭に、早々に心が折れた。
「……可燃性のある、黒い油——それだけ、伝えておこう」
ソニアは、そう言うと、専門の錬金術師に、分析を依頼することにした。
結果、これは、地底に広がる巨大な菌糸の分泌液であることが判明する。
名付けられた名は——「黒滑菌液」。生きている菌類の、代謝物であると判断された。
燃料として、ストーブやボイラー、エンジンで燃やした際の排気は、地球の石油特有の「硫黄や黒煙のツンとした悪臭」とは、少し様子が違った。松脂や香木を焚いたときのような、「焦げた甘さを帯びた、重い煙の匂い」が漂う。その焦げた匂いの奥には、古い獣脂——肉の脂を焦がしたような生臭さが、微かに混じっていた。
「可燃性の強さを活かし、薪を燃やす際の添加剤として使うか。あるいは、生きた菌類の代謝物として、今後、薬効成分の発見に繋がる可能性も高い——そう、記されています」
報告書を読み上げた助手の言葉に、ソニアは、複雑な表情で、頷いた。
「臭いのは、勘弁してほしいものだがな」




