第168話 生還
重い話が一段落し、拓也が、ようやく寛いでいた頃——ホワイトハウスのバトラーが、大統領夫人と、数名の人々を連れて、やってきた。
大統領夫人は、拓也の貢献に対して、感謝の言葉を述べた。
その手元に光る、赤い石の宝石に、拓也は、思わず目を奪われる。
「あら」
視線に気づいた夫人が、悪戯っぽく笑った。
「日本政府には、感謝しているの。私も、随分、助けられているのよ。これ、異世界では、庶民の宝石と呼ばれているんですって? グレーカレコの王妃様も、あえて身につけていらっしゃると聞いて……それで私も、身につけるようになったの。それまでは、あまりにも豪華すぎて、嫌味に見えるんじゃないかって、遠慮していたのだけれど」
そんな会話の最後に、紹介されたのは——人質の家族だった。
拓也は、その場で、妻と子どもの話に、耳を傾けることになった。
ーーー
嵌められている、ということは、拓也にも分かっていた。
それでも——夫の生還に、僅かな望みを懸ける家族の気持ちも、痛いほど理解できた。
拓也は、その日のうちに、バトラーを通じて、協力を了承する旨を伝えた。
すると、大統領自らが、わざわざ会いに来て、感謝の言葉と、作戦の成功を祈る言葉を、伝えてきた。
ーーー
そこから先は、話が、秒単位で進んでいった。
危険な触媒と、通信関連の機器が、次々とセッティングされていく。マジックバッグから、転移の魔法陣が取り出された。画面には、施設上空の、リアルタイムの映像が、映し出されている。
「あと一分で、外の運動場に出ます。その時、合図します」
軍関係者が、そう告げる。
拓也は、じっと、合図を待った。
「出ました、今です!」
拓也は、無心で、術を発動する。
芝の上に、その人物が、忽然と現れた。
兵士たちが、警戒しながら、じりじりと近づいていく。
「……ここは、どこだ。一体、俺は……」
その声を聞いた瞬間——周囲から、一斉に、歓声が上がった。
ーーー
男は、精密検査を受けながら、特殊作戦が成功したことで、ここにいるのだと告げられた。
そして——人体転移実験の、記念すべき第一号でもあると、あわせて伝えられる。
「俺の同意は、取ったのか」
男が、そう問うと、返ってきたのは、素っ気ない答えだった。
「特殊事案のため、必要ない」
その一言に、拓也の胸が、小さく痛んだ。あの日、自分が、恐怖の中で味わった、あの感覚——それを、この男もまた、同意なく、味わったのだろうか。
日本であれば、実験を繰り返し、確実な段階を踏んでから臨むところだろう。だが、アメリカのやり方は、違っていた。
「失敗しても、発動しないだけの話だ。それなら、初めから本番でいい。時間も、なかったしな」
そんな、柔軟——というより、大胆な判断だった。
「今回の作戦で、アメリカ側の経費が、どれほど浮いたのかは分かりませんが……かなりの額になるはずですよ」
同行していた外務省の職員が、感心したように、そう呟いた。
ーーー
精密検査を終え、着替えを済ませた人質——男は、拓也の元へやってくると、深々と、頭を下げた。
「家族と、また生きて会えるとは、正直、思っていませんでした」
男は、そう言うと、少し照れくさそうに、笑った。
「この体験、いつか、本にまとめたいと思っています」
それから、人質奪還に沸き立つホワイトハウスでは、作戦成功と帰還を祝う、盛大なパーティーが開かれた。
その場で、大統領は、プレスの前に、拓也を立たせる。
そして——世界に向けて、彼を、紹介した。
「……俺、終わったな」
拓也は、思わず、そう独りごちた。
この先、平穏な生活を送ることは、もう難しいのかもしれない——そんな予感が、静かに、胸をよぎった。




