第164話 型紙
「侯爵、洗浄のワンドの生産、あれをもっと増やせないかと考えているのですが」
緒方は、そう切り出した。
「職人が足りぬのだろう。今の職人を、増やすしかあるまい」
「いえ——木材の加工と、彫刻の部分だけでも、日本で量産できます」
侯爵が、片眉を上げる。
「木材の加工? あの木は、こちらでしか採れんだろう」
「はい。アッシュ——トネリコ自体は、日本にも自生していますが、魔力を吸って育った、こちらの原木とは、性質がまるで違うんです。ですので、まずは、こちらから枝の状態で仕入れさせていただきます。それを、日本の工場で、選別し、形を整え、溝を彫ります」
「枝だけ、こちらから運ぶ、というわけか」
「はい。木を選び、形を整え、溝を彫る——ここまでは、魔力を必要としない、ただの手作業なんです。日本の工場でも、原木さえあれば、精密に、大量に加工できます」
「インクや、魔力通しは、どうする」
「インクの調合そのものは、こちらでしかできません。清流水も魔力草も、この土地のものでなければ、うまく馴染まず、効果が半減してしまうと聞いています。ですので、調合済みのインクを、瓶に詰めて、こちらから仕入れさせていただきます」
「調合したインクを、そのまま運ぶ、ということか」
「はい。溝に流し込んで、乾かすところまでは、日本でできます。魔石の取り付けと、最後の魔力通しだけは、こちらに残していただくしかありません」
「つまり、日本にできるのは、木の加工と、インクを流して乾かすところまで、ということか」
「はい。それだけでも、職人の負担は、大きく減らせるはずです」
―――
侯爵は、しばらく、腕を組んだまま、黙り込んでいた。
「製法が、外に漏れると?」
「型紙が漏れたとしても、問題はないかと思います」
緒方は、はっきりと、そう答えた。
「トネリコ自体は、日本にも自生していますが、魔力を吸って育ったものでなければ、意味がありません。インクの原料となる清流水や魔力草も、日本には存在しないものです。材料そのものを、すべて、こちらから仕入れなければ、始まりません。加えて、魔石の取り付けと、魔力を通す工程は、こちらの土地と、こちらの人間でなければできないことです。型だけ真似したところで、材料も、最後の工程も揃わなければ、何の効果も宿らない、ただの木片にしかなりません」
「……日本人には、材料がなければ、魔道具そのものが、作れぬということか」
「はい。原木もインクも、こちらから運ばせていただく以上、生産の根っこは、常に、この国が握っている形になります」
「ふむ……」
「それに、既存の職人の方々にも、仕事はなくなりません。量産品にはできない、高級なカスタム品や、品質検査、彫刻の型の監修——そういった、付加価値のある仕事に、シフトしていただければと」
侯爵は、なおも、しばらく黙っていた。
「新しい組合でも、作るか。マジックバッグと、同じ形でな」
「はい。国が製法と流通を統括し、収益の一部を、国庫と侯爵様に納める——それで、いかがでしょうか」
「……よかろう。だが、彫刻の型紙は、念のため、厳重に管理せよ」
「承知いたしました」
―――
交渉がまとまると、話は、驚くほどの速さで進んでいった。
小山市の近くに、木材の加工・彫刻から、インクの流し込みと乾燥までを担う、小さな加工施設が新設されることになった。あわせて、無人工場の建設も、あわせて始まっている。
既に稼働している他の無人工場と同じく、内部作業のほとんどは機械化され、少数の管理担当者が、精度を確認しながら見守る体制だった。彫刻の型データは、厳重に管理された専用回線を通じてのみ、機械へ送られる。原木とインクは、定期便で、異世界から仕入れられることになっていた。
数週間後には、最初のラインが動き出す見込みだという。
―――
数日後、日本の工場で仕上げられた「準完成品」——魔石の取り付け前のワンドが、王国へと届けられた。
木目の揃った、均一な仕上がりの品が、木箱に整然と並んでいる。今まで、職人が一本一本、手作業で仕上げていたものとは、比べ物にならない量だった。刻まれた溝には、既にインクが流し込まれ、しっかりと乾いている。
異世界の職人たちは、その一本一本に、魔石を取り付けていく。ここから先は、この土地でなければできない、彼らの領分だった。
そして最後に、魔術師たちが、それを手に取り、次々と、魔力を通していく。
根本から先端へ——一瞬の輝きとともに、刻まれた文字が、ほんのりと、青く灯る。
一本、また一本。作業は、驚くほどの速さで進んでいった。
その光景を、離れた場所から見つめていた侯爵は、しばらく、言葉を失っていた。
「……これが、今までの、何倍になる」
「試算では、十倍以上かと」
緒方が、静かに答える。
「十倍……」
侯爵は、青く灯る光の山を、もう一度、見つめ直した。
「……大した仕組みを、考えるものだな。お前たち、日本人という者は」
その呟きには、呆れと、隠しきれない感嘆とが、半々に混じっていた。




