第161話 取引
謁見の間には、これまでにない緊張が漂っていた。
ヴォルガニア連合からの使者——通された男の顔を見て、侯爵は、わずかに眉を動かした。
「……見覚えのある顔だな」
「かつて、北ガラニア国に仕えた者にございます」
男は、静かに一礼した。国が消え、生き延びるために、征服者の側へ降った——その経緯を、隠すつもりはないようだった。
「本題に入らせていただきます。我が国は、貴国の開発したマジックバッグを、融通していただきたく存じます」
「対価は?」
侯爵が、短く問う。
「二つ、ご用意しております」
男は、指を折りながら、続けた。
「一つは、人です。此度の征服で、多くの者を保護いたしましたが……高齢の者、幼い子ども、体の不自由な者など、労働力として、十分な働きが見込めぬ者たちが、少なからずおります」
その言い回しに、王妃の眉が、わずかに、動いた。
「そして一つは、土地です。北のノルデンガルド王国との国境に位置する一帯。貴国から御覧になれば、本土から切り離された、飛び地となりましょう。ですが——正に、そこが、未知の鉱石の産地にございます。魔力の伝導性に優れる鉱石と聞き及んでおります」
謁見の間は、しばし、静まり返った。
―――
使者が下がった後、王妃と侯爵は、急遽呼び出した宰相を交え、三人だけで、話し合いの席を持った。
「宰相殿は、あの土地と鉱石の件、いかがご覧になる」
侯爵が、宰相に、丁重に尋ねた。
「一見、気前の良い話に見えます」
宰相は、慎重に、言葉を選びながら、王妃へ向けて答える。
「連合の版図とは地続き。つまり、連合にとっては、統治の手を伸ばしやすい場所のはずです。それを、鉱脈ごと、我が国へ差し出す——普通に考えれば、いたしません」
「裏がある、ということか」
王妃が、静かに問う。
「はい。おそらく、狙いはこうかと存じます。我が国に、鉱山開発の投資をさせる。人も金も注ぎ込ませ、軌道に乗ったところで……飛び地ゆえの防衛の甘さを突き、奪い返す。あるいは、開発の実りだけを、後から掠め取る」
「……刈り取り、というわけか」
侯爵が、苦い顔で呟いた。
「まるで、他人の畑を耕させておいて、実った作物だけを、かっさらう魂胆だな」
王妃も、呆れたように、そう付け加える。
「この件は、即答を避け、慎重に調査させるべきかと、愚考いたします」
宰相が、王妃に向けて、そう進言した。王妃も、侯爵も、異論はなかった。
「それでいい。……だが、人の件は、違う」
王妃は、そこで、初めて、はっきりと、声に力を込めた。
「働けぬという理由だけで、見捨てられかけている者たちだ。連合にとっては、厄介払いに過ぎぬのだろう。それでも——救える命があるなら、この国は、それを見過ごすべきではない」
「……財政の負担は、決して小さくないかと」
侯爵が、渋い顔で、王妃に申し上げる。
「分かっている。だからこそ、条件を詰めるのだ。無条件で引き受けるとは、言っていない」
宰相もまた、しばらく、思案するように黙っていたが、やがて、王妃へ向けて、小さく頭を下げた。
「かしこまりました。人道と国益、双方に配慮した受け入れ条件を、詰めてまいりましょう」
侯爵は、しばらく、王妃の顔を見つめていた。それから、小さく、息を吐く。
「……承知いたしました。人については、王妃のご意向を汲む形で、受け入れの条件を詰めましょう」
「感謝する。二人とも、頼りにしている」
王妃は、静かに、そう答えた。
―――
数日後、使者は、再び王城を訪れた。
「人については、受け入れの条件を、追って提示する。土地——並びに、その鉱石については、即答は、いたしかねる。慎重に調査させていただく」
侯爵が、そう伝えると、使者は、表情を変えぬまま、深く一礼した。
「承知いたしました。頭領には、そのように」
男が去った後も、謁見の間には、静けさだけが残っていた。
この国が、何を選び、何を拒むのか——その答えは、まだ、これから先のことだった。




