第16話 百ポイント
その夜、拓也はなかなか眠れなかった。
質問を送ってから、もう数日が経っていた。返事が来るかどうかも分からないまま、なんとなく寝付けない夜が続いている。
ふと、目が覚めたのは、深夜零時を少し過ぎた頃だった。理由もなく、玄関の方が気になって、部屋を出てみる。
玄関には、小さな木箱が一つ、ぽつんと置かれていた。箱の上には、小さな宛名シールが貼られている。「中野拓也様」——見覚えのない筆跡だったが、これは自分宛のものだという確信めいた予感が、なぜかあった。
配達員の気配も、足音も、何も感じなかった。なのに、確かに、さっきまで何もなかった場所に、それがあった。
箱を持って部屋に戻り、蓋を開ける。中には、手紙が一枚だけ入っていた。
「中野くん。元気そうで、何よりです。あなたが帰れたこと、本当に良かった。
賢者たちのことも、伝えたいことがあります。ただ、今は少しだけ時間をください。
また連絡します」
差出人の名前は書かれていなかった。それでも、誰からのものかは、すぐに分かった。
拓也は、何度も同じ文章を読み返した。
生きてる。緒方さんも、たぶん、みんなも。
その実感だけで、しばらく動けなかった。
もっと話したい。だが、この箱と手紙のやり取りだけでは、伝えられることが少なすぎる。
ふと、テラ・マートの話を思い出した。あのスキルは、ポイント制だという話を、ダンジョンの中で聞いたことがある。賢者が、妙に詳しく説明していた。
——なら、何か買えば、緒方さんにポイントが入るんじゃないか。
拓也は、フリマアプリを開き直した。緒方商店——いや、今は「グレーカレコ商事」という名前になっていた出品ページを見つけ、迷わず購入ボタンを押した。
商品は、相変わらず誤変換の多い説明文のままだった。お守りと同じようなものだろう。魔力がなければ、そこから何か現象が起きるわけでもない。届いたところで、たぶん何も起きない。それでも構わなかった。
―――
緒方が、テラ・マートの画面を開いたのは、いつもと同じ時間だった。
ポイントの欄に、見慣れない数字が並んでいた。
……増えてる。
出品していた品が、また一つ売れたらしい。買い手の名前を確認すると、やはり、中野だった。
律儀な子だ、と緒方は小さく笑った。たぶん、ポイントの仕組みを覚えていて、こちらに送ろうとしているのだろう。
数字が、百を超えた瞬間、画面の端に新しい表示が浮かび上がった。
「専用通信機能——解除されました」
説明欄を読むと、対象座標内の特定の購入者一名に限り、音声でのやり取りが可能になる、という内容だった。テラ・マートそのものが、地球と異世界の間で、物だけでなく、情報のやり取りもある程度仲介できる仕組みらしい。詳しい原理は分からないが、少なくとも、もう箱に手紙を入れるだけではなくなった。
緒方は、震える手で、画面に表示された通話ボタンを押した。
しばらくの沈黙の後、画面の向こうから、聞き慣れた声がした。
「……緒方さん?」
拓也の声だった。
「ああ……ああ、中野くんか。聞こえるか」
声を出した瞬間、また涙腺が緩みそうになった。何とか堪えて、言葉を続ける。
「色々、話したいことがある。まず——賢者たちのことだ」
緒方は、一度息を整えてから、続けた。
「結城も、皆川さんも、東條さんも、神崎も——みんな、今はそう呼ばれてる。お前は、ずっと『賢者』とか『聖女』とか、役職の方で考えてたんじゃないか」
拓也は、何も言えなかった。図星だった。
いつからか、自分の中で、彼らを名前で思い出すことを、どこかで避けていた気がする。賢者、聖女、剣聖、勇者——役職のまま留めておく方が、まだ楽だった。名前で呼べば、それだけ「あいつら」が、ちゃんと生きている一人の人間として、重くなる。
結城。皆川さん。東條さん。神崎。
声に出さず、一人ずつ、名前を呼んでみる。それだけで、半年分——いや、向こうの感覚ではもっと短いはずだが——抑えていた何かが、込み上げてきた。
「みんな、無事なんですか」
「ああ。今のところは、皆元気にやっている。詳しいことは、また話す」
その一言だけで、拓也の中で、何かが少しだけ軽くなった気がした。
まだ、知らないことの方が多い。それでも、今は、この声が繋がっていることだけで十分だった。
*「宛名シール」あらかじめ別の紙に宛名を書き、それを糊で箱に貼る仕様




