第156話 嵐の後
拓也は、人を転移させることだけは、自らの意志で禁じていた。
理由は、自分自身の中にある、恐怖からだった。ダンジョンの罠に落ち、訳も分からないまま地球へ引き戻された、あの日の感覚が、今でも、体のどこかに残っている。他人に、あの感覚を味わわせるわけにはいかない。
今日、拓也は、種子島にいた。輸送機で、前日に到着している。空を見上げると、一時間以内には、暴風雨になるという。
今回は、大嵐を消し去る魔法陣の、実験検証だった。記録映像を撮影する職員、気象データの中心を捉える職員——それぞれが、持ち場についている。
雨が降り出したところで、実験が開始された。
今回は、初めて、廃棄物を触媒に用いることにしていた。
「では、始めます」
拓也の体に、触媒特有の、独特の感覚が伝わってくる。魔法陣が、淡く発光した。暗い空に向けて、術式が発動しているような感覚があった直後——雲が、みるみるうちに、霧散していく。
やがて、明るい太陽の光が、地上に届き始めた。
数分後には、雲はすっかり消え、強かった風も、収まっていた。
「成功です!」
職員の一人が、声を張り上げる。
「おおー!」
周囲からも、歓声が上がった。
数日後、廃棄物は完全に消失し、無害であるとの報告が届いた。
そこで、ようやく——拓也は、初めて、心から安堵した。
―――
「池の魔法を、平和のために使いたい。十枚、譲ってくれないか」
そんな要求が、アメリカから、官邸に届いた。
鷲尾は、あえて、使い道を問いただすことはしなかった。聞いたところで、素直に答えるはずもない。それより、貸しを作っておく方が、得策だった。
今月、鷲尾は、アメリカを訪問する予定だった。その手土産として、今回の核廃棄物処理のその後を記録した映像を、持っていくことに決めていた。
衛星の話にも、少しずつ、具体性が増しつつあった。
―――
アメリカへ渡った鷲尾は、大統領との会見で、例の話を切り出した。
「人工衛星の提供についてですが——日本側からは、監視衛星の提供をさせていただきます。その他の細かい取り決めは、日本側が主導する形で進めたく」
大統領は、興味深そうに、頷いた。
話題を変え、鷲尾は、一本の動画を見せる。
「これは、何だ」
大統領が、身を乗り出して尋ねた。
「拓也くんが、天候を操作し、核廃棄物を消去した際の映像です」
大統領は、絶句した。
「……そんなことが、できるのか」
「これが、データです」
「信じられない……」
鷲尾は、続けた。
「異世界では、ロケットを使わずに、地上から六万五千キロメートルの上空まで、転移させる魔法実験に成功しています。彼らは、ロケットなしに、それを成し遂げました。さらに驚くべきことに、上空の物質を、地上へ転移させて回収することも可能です」
鷲尾は、そこで、一度、言葉を切った。
「……もっとも、これは、あくまで異世界の結城くんの成果です。拓也くん自身は、現状、ここまではできません」
そんな話し合いは、予定していた時間を大幅に超過し、終始、大統領を驚かせる結果となった。細かいすり合わせは、事務方の話に委ねられる。
最後に、鷲尾は、マジックバッグを、大統領への贈り物として渡し、会談を締めくくった。
―――
大統領は、側近たちを集め、会議を開いた。
議題は、四つ。核廃棄物問題が片付く可能性。災害級の気象への対応策。星銀という新素材への期待。そして——マジックバッグの活用と、その危険性だった。
ちなみに、鷲尾から贈られたマジックバッグの中身は、夫人への土産だろう、ハーピーの羽毛を使った、派手なコート。魔物素材で織られた、魔法と物理、両方の攻撃を防ぐという生地。赤い石のイヤリングとネックレス——そんな品々だった。
同封されていた説明書には、二メートル四方の収納が可能なこと、生き物は取り込めないこと、数量限定で入手困難な品であることが、書き添えられていた。
「今回もまた……我が国は、後手に回っているな」
大統領は、資料を見つめながら、静かに、そう結論づけた。
「交渉を有利に進めるには、こちらから、軍仕様の静止衛星を提供するべきだ。三基。それと引き換えに、拓也くんの協力を取り付けよう」
側近たちが、頷く。
「あわせて、彼には——準国賓待遇の身分を与えたい。アメリカの友人として、破格の優遇をする」
大統領の一言で、方針は、その場で固まった。
―――
数日後、日本政府の元に、大使館を通じて、一通の極秘文書が届いた。
軍用静止衛星の提供、拓也の招待、そして、その後の予定——アメリカ側の意向が、詳細に、記されていた。




