第152話 火種
その日の朝のニュースは、思わぬ形で、世界を駆け巡った。
某国が、国内需要を理由に、一部レアメタルの輸出規制を発動したのだ。
だが、世界の反応は早かった。アメリカやオーストラリアが、すでに本格生産に乗り出していたことで、安定供給の目処が立っていたのだ。各国は、次々と輸入先を切り替える方向で、調整を始めた。
某国依存の構図は、これを機に、完全に崩れていく——皮肉にも、その流れを作ったのは、他ならぬ某国自身だった。
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同じ頃、アメリカでは、大統領自らの意向で、あの魔道具の実地検証が行われていた。
山火事の現場、すぐそこまで火が迫る地点で、魔道具は発動された。中心から、徐々に水が広がり、やがて池となっていく。大きいもので、直径およそ二十メートルの水源になった。
消防隊は、その水を使って消火活動にあたった。大量の水を消費しても、水位は、一定に保たれたままだった。
その光景を見つめながら、大統領は、別のことを考えていた。
中東に問題を抱えるアメリカは、常に、その地域との協力体制強化を念頭に置いていた。石油はあっても、水のない地域には、これが有効かもしれない。例の池の水質は、飲料にも適していると、すでに報告が上がっていた。
だが、軍事関連の側近からは、別の進言が上がっていた。
「地下に潜伏するテロリストに対して、これを使用してはどうでしょうか。地下空間を、核開発施設や基地として利用させない——そういう対策にもなります」
大統領は、しばらく、口を閉ざしたままだった。
災害の復旧に使うか、それとも、封じ込めに使うか——同じ一つの魔道具が、まるで違う顔を見せようとしていた。
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東京での用事を終えた帰り、拓也は、宮下の家へと向かっていた。
あと数百メートルというところで、その方向から、物々しく、けたたましいサイレンの音が響いてきた。
案の定、田和マンの一階に、消防の放水が続いていた。規制線が張られ、その外側で、宮下と氷室が、消火作業を見守っている様子だった。
よく見ると、一階の女が、職務質問を受けているのか、青い顔で、何かに答えている。その近くでは、二階の、あの渋い老人が、放水で窓の割れた自室を、じっと見上げていた。
他の住民たちも、集まっているのかどうかは定かでないが、遠巻きに、鎮火の様子を見守っていた。
拓也は、宮下の側に歩み寄り、声をかけた。
「宮下さん、どんな状況ですか」
「お、拓也。なんか、えらいことになっちゃってさ」
「あまり、燃えていないように見えますけど」
「ん! 小火だとは、思うんだけど……いや、正直、よく分からん!」
消防車のサイレンが遠ざかった頃、田和マンの前に、見覚えのない小太りの男が、息を切らして駆けつけた。
「すみません、大家に代わりまして……近くで管理を任されております、不動産屋の者です」
高齢の大家は、足腰が弱く、現場に出てこられないのだという。代理で説明に来たと、男は、集まった住人たちに、頭を下げた。
「まず、出火元の部屋については、現在、消防の方で原因を調べております。詳しいことは、追って、ご連絡させていただきます」
男は、手元のメモに目を落としながら、一部屋ずつ、状況を説明していく。
「一階の、隣室にお住まいの方は……申し訳ありません、放水の影響で、しばらくお住まいいただける状態ではなくなっています。床と壁の張り替えが必要になりますので、数日ほど、別のお部屋をご用意させてください」
その部屋の住人——夜の仕事をしているという、あの女だった。俯いたまま、小さく頷くだけで、何も言わなかった。
「三階のお二方は、被害はありません。普段通り、お過ごしいただいて大丈夫です」
宮下と氷室が、揃って、ほっと息をつく。
「二階の、こちら側のお部屋も、特に問題はございません」
もう一室の住人——こちらも、夜の仕事をしているという女は、軽く肩をすくめただけで、興味なさそうに、その場を離れていった。
「それと……二階の、出火元の真上にあたるお部屋の方」
男が、そう言いながら、視線を巡らせる。
人垣の隅、誰よりも目立たないところに、その人物は立っていた。六十代ほどの、老いた騎士を思わせる、静かな佇まい。宮下も氷室も、思わず、息を呑んで見つめた。
「あの人が……」
「初めて、まともに見た」
二人が、小声で囁き合う。
「お部屋自体に、目立った損傷はないのですが……念のため、今日一日だけは、様子を見させていただきたいんです。申し訳ありませんが、今夜は、どこか別の場所にお泊まりいただけますか」
不動産屋が、恐る恐る、そう伝える。
男は、しばらく、何も答えなかった。やがて、静かに頷くと、それだけで踵を返し、人垣の外へと歩き去っていった。最後まで、一言も、声を発することはなかった。
「……渋いな」
宮下が、ぽつりと呟く。
「うん。何者なんだろうね、あの人」
氷室も、その背中を、しばらく目で追い続けていた。
結局、この日も、二階の男の正体は、誰にも分からないままだった。
拓也は、そんな三人のやり取りを、少し離れた場所から、静かに見つめていた。世界の資源地図を塗り替えるような出来事も、地下に潜む脅威への対策も、今この瞬間、自分の目の前で起きている、ちっぽけな火事の心配とは、何の関係もない——そんな当たり前のことを、拓也は、妙にはっきりと、実感していた。




