第138話 聞き役
遠征の第一目的地は、王国西側、魔鉱石鉱山地帯のさらに奥——ネヴィルの沼森だった。
久しぶりに、パーティーに戻ってきた顔があった。ロイだった。
しばらく、家庭の事情でパーティーを離れていたが、今回の遠征から、復帰することになっていた。
「休んでた分、ここで取り返させてくれ」
ロイは、そう言って、マンドラゴラを引き抜く係を、自ら名乗り出た。
完全な防御態勢を整え、耳の周りには、念入りに強化を施す。さらに、皆川が、防音魔法を、ロイに重ねてかけた。
「これだけやれば、まあ、大丈夫だろう」
ロイは、そう言って、マンドラゴラの根元に、手をかけた。
根を、一本、引き抜いた——だが、その直後、ロイは、その場に崩れ落ちた。
「ロイさん!?」
皆川が、慌てて駆け寄る。
防御は、まるで、効いていなかった。マンドラゴラの悲鳴は、音そのものではなく、毛穴から直接浸透する、音波振動による攻撃だったのだ。耳を塞ごうが、防音魔法をかけようが、意味を成さない。
唯一の救いは、距離だった。二十メートルほど離れれば、攻撃自体が届かなくなる。
皆川が、すぐさま回復魔法をかけたが、一度では、完全には回復しきらなかった。中級回復薬を服用させ、さらに回復魔法を重ねがけして、ようやく、ロイは、いつも通りの様子を取り戻した。
「……もう、二度と、あの根っこには、近づきたくない」
ロイは、青い顔のまま、そう呟いた。その一件は、深く記憶に刻み込まれたらしく、以後、マンドラゴラを目にするたび、嫌な記憶が蘇るようになってしまった。
この失敗を踏まえ、一行は、正攻法での対策を、現地に求めることにした。
一年を通して霧が立ち込め、地面は絶えずぬかるんでいる。昼間でも、薄暗い。
「……こういうところに限って、ろくなものが出てくるんだよな」
結城が、周囲を見回しながら、げんなりした声を漏らした。
森の外縁には、「沼守り」と呼ばれる小さな集落があった。案内役として立ったのは、白髪交じりの初老の男——名を、グレンといった。
「聖女様が、いらっしゃるとは。……これは、何十年ぶりのことか」
グレンは、皆川に、深々と頭を下げた。
「マンドラゴラは、引き抜く時に、耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げます。あれをまともに聞くと、正気を失う者も、少なくありません」
「悲鳴……ですか」
皆川の表情が、わずかに強張った。
「我々の一族には、代々、『聞き役』という者がおります。悲鳴に、多少の耐性を持つ者が、その役を継いできました。とはいえ、完全に平気というわけでは、ありません」
「私の力で、皆さんの心を守れるなら——お手伝いします」
皆川が、そう申し出ると、グレンは、安堵したように、目を細めた。
「聖女様が、傍らで浄化を続けてくださるなら、我々にとって、これほど心強いことはございません」
作業が始まった。
聞き役の男が、マンドラゴラの根元に手をかける。皆川が、その背に、静かに手を添えた。
「引き抜きます」
「……はい」
その瞬間、地の底から突き上げるような、耳をつんざく悲鳴が響いた。
「うっ……!」
聞き役の男の顔が、大きく歪む。それと同時に、皆川の手から、淡い光が広がり、悲鳴の余韻ごと、男の心を、そっと包み込んだ。
数拍後、男は、大きく息を吐き、崩れ落ちそうになる体を、何とか持ちこたえた。
「……今のは、随分と、楽でした」
「良かった……」
皆川が、ほっとしたように、微笑む。
その後も、同じ手順で、必要な数のマンドラゴラが、無事に採取されていった。
「聖女様のおかげで、集落の者を、一人も壊さずに済みました」
グレンは、深く礼を述べ、一行を見送った。
―――
南ガラニア国のさらに東、東の山脈を越えた先——地図にもほとんど記載のない、ラーメルの大森林。
一行は、その奥深くを目指して、進んでいた。
「本当に、こんな場所に、人が住んでるのか?」
隼人が、生い茂る木々を見上げながら、呟く。
「住んでる。私の——」
シルヴィアが、何か言いかけて、言葉を切った。
「シルヴィア?」
「ううん、何でもない」
しばらく進むと、木々の合間から、複数の人影が現れた。弓を構え、明らかな警戒を滲ませている。
「止まれ。何者だ」
先頭に立つ、白髪の女性が、鋭い声を上げる。エルフに似た、しかし、どこか異なる雰囲気を纏っていた。
「私たちは、グレーカレコ王国から来た者です。世界樹の雫を、分けていただきたく——」
結城が、慎重に、言葉を選びながら告げる。
その時、女性の視線が、シルヴィアの方へと向いた。
「……お前」
女性は、シルヴィアに歩み寄り、じっと、その顔を覗き込んだ。
「同じ姿を、しているようだが……血の匂いが、しない」
「……え?」
「一族の記憶に、お前の名は、無い」
女性の声には、驚きよりも、静かな確信があった。
「お前は、私たちの、血を引く者ではないな」
シルヴィアは、しばし、言葉を失っていた。
「……はい。私は、召喚されて、こちらに来ました。元々、別の場所のエルフです。皆さんと、同じ部族ではありません」
「……そうか」
女性は、それだけ言って、視線を外した。落胆とも、納得とも取れない、静かな反応だった。
「血縁でないなら、頼み事も、一から話を聞くしかないな」
女性は、そう言うと、一行を、集落の方へと促した。
交渉は、まだ、始まったばかりだった。




