第137話 幻級への道
三階まで階段を上がり、目当ての部屋の前まで来たところで、隣の住人が、ドアを開けた。
「勇者の帰還だな」
髪はぼさぼさのロングヘア。タンクトップに、男性用下着のトランクスという格好の、眼鏡の女性だった。
「宮下、友人とは珍しいね」
そう言って、拓也の方を見る。
「隣の氷室先生。将来、偉大な漫画家になる予定の……薄い系で生計を立ててる人物で、たまに本を貸してもらってる」
「うるさい、宮下の分際で」
「中野拓也です」
「宮下、お茶淹れろ」
本だらけの部屋に、ソファーが一つ。宮下が、専用の器具を使い、丁寧に煎茶を淹れてくれた。
「こいつの実家、お茶農家でさ。いつも、いい茶葉飲んでるんだよ。獣医なんか目指さずに、家業を手伝った方が向いてると思うんだけどな」
氷室が、宮下の実家事情を、面白おかしく語る。
「紫苑だって、会社辞めずに続けてたら、良い編集者になってたんじゃないですか?」
「先生って呼べって言ってるだろ。それに関しては、未練はない。夢に向かって、死んでもいい」
「またカッコつけて。毎日『ひもじい』って愚痴ってるの、誰でしたっけ!」
「うるせー。それにしても、よく一階の狂人を躱して、ここまで上がってこれたな。武勇伝、聞かせろよ」
宮下は、これまでの経緯を、順を追って話し始めた。
「中野くんは、魔法使いか?」
氷室が、唐突に、そう問いかけてくる。
「はい、多少は使えます」
拓也は、笑いながら、そう答えた。
「乗りがいいな。して、どんな方法を使ったんだ」
「『今にも殴りますよ』っていう顔で、質問しただけです」
「……体格は、良さそうだしな」
「氷室先生の作品って、どんなものなんですか」
拓也が、そう尋ねると、宮下が、慌てて割って入った。
「拓也、やめとけ。刺激が強いだけで、繊細な男の心理を、ハンマーでズタズタにするような作品だから」
「何て失礼な。……ちょっと、待ってくれ」
氷室は、部屋に戻ると、新作を数点、抱えて戻ってきた。
「あ、これ……知ってます」
「「え」」
拓也の一言に、宮下と氷室が、同時に声を上げた。
「拓也、お前……オタクだったのか?」
「会社で、本を扱う仕事もしているので、その関係で」
「そうか。妙な縁だな。へへ」
氷室は、まんざらでもなさそうに笑った。
「作者さんに、直接会えるなんて……なんだか、奇跡みたいですね」
拓也は、そう言って、素直に笑った。
―――
宮下の部屋での一幕をよそに、拓也は、異世界の緒方にも、連絡を入れていた。
拓也は、緒方に、上級回復薬について、相談を持ちかけた。
「人工衛星? どうやって……いや、そういう感じの話じゃなくて」
内容が内容だけに、緒方も、少なからず驚いた様子だった。
緒方は、早速、ベルン伯爵の管理下にいる錬金術師に、上級回復薬の話を持ちかけた。返ってきた答えは、意外なほど単純なものだった。
過去にも作った実績があり、材料さえ揃えば、いつでも製造できるという。ただし、中級回復薬でほとんどの症例には対応できてしまうため、わざわざ無理をして材料を取りに行く動機がない、というのが実情だった。
そして、話を聞くうちに、判明したことがあった。上級回復薬は、実は、一番上位の薬ではない。
手足が生えてくるほどの効能を持つのは、最高峰——幻級回復薬と呼ばれるものだった。その材料には、世界樹の雫と、マンドラゴラの根が必要になる。
世界樹の雫は、国外、東の森林地帯でしか採れない。マンドラゴラは、国内でも確保できるが、扱う際に精神を病んでしまうため、聖女クラスの癒しの力が不可欠だという。世界樹の雫自体、稀に手に入ることはあっても、本物かどうか怪しい代物も出回っている様子だった。
「現地に赴いて、直接、分けてもらうのが、一番確実な方法でしょう」
錬金術師は、そう教えてくれた。
この話を、勇者パーティーに伝えると、「それは面白そうだ」ということになり、一同で現地へ向かうことが決まった。
今回は、国外への遠征となるため、緒方は、オーレス侯爵に報告した。
返ってきたのは、王妃からの言葉だった。
——幻級回復薬を、献上するように。
その一言と共に、遠征の許可が下りた。




