第132話 読まれやすい男
拓也は、週に一度ほどの頻度で、東京に足を運ぶようになっていた。
その日も、目当ての喫茶店へ向かう道すがら、路地の先で、ちょっとした揉め事が起きているのが目に入った。
女性と、その連れらしき男に、詰め寄られている一人の男がいる。年上に見えるその男は、しきりに頭を下げながら、何かを弁解していた。
揉め事の当人と、ふと、目が合う。
助けるつもりはなかったが、そのまま通り過ぎるのも、どうにも据わりが悪い。拓也は、軽く声をかけた。
「大丈夫ですか」
その一言をきっかけに、女性たちは、渋々といった様子で、その場を離れていった。
「……いや、助かった。ありがとう」
男は、大きく息を吐き、それから、拍子抜けするほど、あっさりと笑ってみせた。
成り行きで、そのまま、目当ての喫茶店に、二人で入ることになった。
カウンター席に座り、話してみると、男は、存外、話しやすい人間だった。
「俺、宮下。宮下亮。獣医学部の大学生」
「中野拓也です」
「いくつ?」
「十八です」
「若っ!!」
宮下は、驚いた顔をしたまま、隣の椅子を、軽く叩いた。
本の話になると、宮下は、途端に饒舌になった。専門書だけでなく、小説やマンガも幅広く読んでいるらしく、拓也が最近手に取った本の話を振ると、食い気味に食いついてきた。
「え、それ読んだんだ! いいよね、あの終わり方」
「はい。予想と違う方向に転がって、面白かったです」
「分かる分かる。俺なんかさ、逆に、先読みしすぎて、大体外すんだよね」
その言葉通り、宮下は、話しているうちに、次から次へと、墓穴を掘っていった。
「今度、就活も兼ねて、動物園でボランティアやろうと思っててさ。上手くいけば、コネで就職まで狙えるっしょ」
「その動物園、倍率高いって聞きましたけど」
「え、そうなの? ……あ、じゃあ、他の動物病院にも、応募しとくか」
「そっちも、この間、閉院したって聞きました」
「マジで!? ……なんで、そんなに詳しいの」
「さっき、宮下さんが読んでた雑誌に、載ってましたよ」
宮下は、手元の雑誌を、慌てて確認し、がっくりと肩を落とした。
「……あー、詰んだ」
考えなしに動いては、あっさり読まれて、すぐに手詰まりになる——そういうところが、どうやら、宮下という人間の、素のようだった。
気は弱いくせに、時々、妙に野心的なことを言い出す。かと思えば、ものの数分で、その野心があっさり崩れ落ちる。危なっかしいのに、なぜか、放っておけない。
「拓也くん、だっけ。俺、年上だし、色々教えてやるからさ。困ったことあったら、いつでも言いなよ」
宮下は、そう言って、胸を張った。
その頼もしさが、数分前の失態と、まるで釣り合っていないことに、拓也は、内心、苦笑した。
それでも——なぜか、気が合う相手だった。
次の週、拓也が同じ道を歩いていると、今度は、若い少年に、胸ぐらを掴まれている宮下の姿があった。
——また、か。
拓也は、小さく息を吐きながら、その場へと歩み寄っていった。
少年たちに向け、静かに、覇気を纏わせる。
言葉は、何も発していない。それでも、少年たちは、びくりと肩を震わせ、みるみるうちに、顔から血の気を引かせていった。
「……な、なんだよ、こいつ」
誰からともなく、後ずさりが始まる。拓也は、それ以上は何もせず、ただ、静かに立っているだけだった。
少年たちが、蜘蛛の子を散らすように、路地の奥へと消えていくのを見届けてから、拓也は、覇気を収め、宮下に、優しく声をかけた。
「大丈夫ですか」
「……あ、うん。ありがとう、また助けられた」
宮下は、乱れた襟元を直しながら、力なく笑った。
二人は、そのまま、いつもの喫茶店へと入る。
カウンター席に落ち着いたところで、拓也は、改めて、事情を尋ねた。
「今回は、何があったんですか」
「いや……道端に、ゴミが散らかっててさ。ちょうど、あの子たちが、缶を放り投げるところを、見ちゃって」
宮下は、コーヒーを一口すすってから、ため息交じりに続けた。
「つい、『路上にゴミを捨てないでくれる?』って、声をかけちゃったんだよね。柄にもなく」
「それだけで、胸ぐらを?」
「向こうも、虫の居所が悪かったんだろうね。言い方も、もう少し、考えればよかったんだけど」
宮下は、そう言って、力なく笑った。
正義感がないわけではない。ただ、その正義感の発揮の仕方が、決定的に不器用なだけなのだと、拓也は、改めて実感していた。
―――
官邸の東門を、定期的に出入りするようになった、その若い青年——大野のことも、警備の面々には、すっかり顔なじみになっていた。
今回の話題は、日本と異世界との交易を、公に発表することについての、意見交換だった。
もちろん、拓也個人の存在を公表するという話ではない。あくまで、国と国との交易という、大枠での発表を指していた。
「現状のままでは、隠し通すことが、いよいよ厳しくなってきています」
そう切り出したのは、神崎だった。
近い将来、時期を見極めた上で、正式に発表する——そういう方針が、大筋で固まりつつあった。それに関連して、交易品についても、あわせて公表することになる。




