第121話 奇跡の理由
会談から、三十分後のことだった。
事前の電話連絡通り、赤坂プレスセンターから、官邸まで、荷物を受け取りに来ることになっていた。待機していた職員が、クーラーボックスを手渡す。
相手は、それを受け取ると、そのまま赤坂へ戻り、ヘリで横田基地へ、そこから米国へと移動していくのだろう。
―――
それから、数日後。一本の電話が入った。
「奇跡が起きた……ありがとう」
「それは何よりです。安心しました」
「検査に時間がかかって、投薬が遅れてしまってな……それでも、何事もなかったかのように、話しかけてきたんだ。嬉しかったよ。ありがとう」
「私も、持病が無くなりましたから。効果は、てきめんです」
「説明書に書いてあったが——下級回復薬より強力で、深い刀傷や内臓のダメージも、半日で治すとあった。上級というのも、あるのか?」
「噂では聞いていますが、現物はありません。効能は……欠損した手足が、生えてくるそうです」
「恐ろしい効能だな。中級回復薬を、前政権ではなく、私が手にしたことを、神に感謝するよ」
「それは、私も同じです」
―――
例の有名作家は、筆の早さで知られた人物だった。今回は、すでに原本がある分、なおさら早い。大野は、予定より前倒しで刊行できるかもしれないと、密かに期待していた。
そんな折、一本の電話が入った。
「あのー、すいません。この、洗濯の魔道具って、どんな感じですかねー。想像はしてみたんですけど、なんというか、どうも、イメージがしっくりこなくて……そんなのがあったら、私には便利だなって!」
「原作を管理している会社に、連絡を取ります。折り返しますので、少しお待ちください」
電話を切ると、大野は、すぐに拓也へ連絡を入れた。
「大野です。拓也くん、洗濯の魔道具って、手に入る?」
「はい、数本持ってます」
「えっ、あるの? 知らなかったよ。実は……」
大野は、事情を説明すると、その足で、深町先生に折り返しの電話を入れた。
「先生、大野です。これから伺ってもよろしいでしょうか。管理会社の者と、私とで」
「はい、いいですよ。これからなら、いつでも構いません」
大野は拓也に連絡を取り、大宮で待ち合わせて、現場へ向かうことになった。
約一時間で、大宮に到着。拓也と合流し、タクシーで二十分ほどの一軒家に到着した。
インターホン越しに、大野が名乗る。
「大野です。お邪魔します」
「はーい、今出ます」
元気な声とともに、玄関が開き、二十代の女性が出迎える。
「あ、あれ、うちの社員さんじゃ」
「あー、詰めているんですね」
「あー、今回の企画だけね」
「お待たせしました、大野さん! そちらは?」
「株式会社中野物産の、中野社長」
「へえ、若……」
「中野拓也です、十八歳です」
「若!」
「先生、中野物産社長と、大野です」
「はーい、どーぞ……って、若!」
奥から出てきた深町先生も、驚きの反応を見せた。
「先生、今日は、拓也くんをお連れしました」
「中野物産の、中野拓也です」
拓也は、そう言って名刺を差し出した。
「あー、本当に社長だ……」
「先生、今回は、先生のイメージを、より鮮明にするお手伝いのために伺いました」
「鮮明に? で、魔道具の話だよね!」
「はい、道具もいいですが、専門家の話も、と思いまして」
「専門家ねー。拓也くんの会社って、原本を翻訳して卸してる会社?」
「はい、仕入れています。貴重な本もあるようなので、貸していただいてスキャンして、返却する形にしています」
「翻訳前の原本、見たけど全然読めなかったな。ただ、雰囲気は伝わったよ」
「あれ、緒方さんの奥さんの、エレーナさんの本だと伺っています。百五十年前の本だとか」
「へえ、百五十年……道理で」
「それで、魔道具なんだけど」
「こちらに、自分用として持っている一本があります。使い方は簡単です。ここの露出した石の部分に、手を添えて、『綺麗になれ』というような気持ちで使います。相手に使う場合は、相手に向けて。自分に使う場合は、こんな具合に……あ、ここでは使用しません」
「刻印には、『汚れを浮かせる』『流す』『乾かす』の三つの魔文字が書かれていて、発動すると、その順番で作動します。部屋の中だと、多少、汚れが下に落ちます」
「へえ、そうなんだ。面白い。じゃあ、ここでやって——『あー、汚れが!』ってやつ、見てみたい」
「そっちですか! 僕の汚れが落ちてもいいんですか?」
「え、私にかけるの、怖いんだけど」
「人にかけているところを、見なくていいんですか?」
「じゃあ、あそこの、庭が見える所に移動して。見本、見せて」
「はい。では、社員のお姉さん、こちらに」
「えー、怖い……私ですか? 危険手当、出ますか?」
大野は、無言で、首を横に振った。
「では、先生、よく観察してください。はい」
微かな発光と同時に、汚れを浮かせる、流す、乾かす、の一連の動作が行われた。
「何これ、気持ちいい……」
女性社員が、そう呟きながら足元を見ると、微かな汚れの残骸が残っていた。
深町先生は、口を開けたまま、しばらく固まっていた。
「先生も、体験しますか?」
「やだよ、人前で、恥ずかしい顔(気持ちよさそうな顔)を見せるの」
「では、社員のお姉さんが、先生にかけてみるのはどうですか?」
「それなら、平気かな。女同士だし」
「綺麗になーれ」
「うわぁ……」
「先生、汚れが……ちょ、あはは」
「うるさいよ、どうせ年増の汚いおばさんだよ」
「先生、何も、そこまで言わなくても……ごめんなさい」
「拓也くん、何か、賑やかだね」
「そうですね」
しばらくして、深町先生が、涙目のまま戻ってきた。
「お待たせしました。感動しました。おまけに、泣いてしまいました」




