第118話 己が試す
開発担当者からの調査報告は、意外な結論だった。
成分は、分析上まったく同じ。それにもかかわらず、効果は半減以下——。
まず疑われたのは、作り手の問題だった。これは、すでに検証済みだ。拓也自身が試作すると、下級回復薬は、元のものに近い効果を発揮した。中級についても、「ピカッ」という反応がきちんと起こり、効果はやや落ちるものの、再現できている。
となると、次に疑われるのは、環境の違いだった。そして、その通りだった。企業の設備・環境では、同じものを作れないことが、判明したのだ。
この劣化版を、高級ドリンクとして発売するかどうかは、まだ分からない。しばらくは、様子を見守るしかなさそうだった。
拓也自身は、自分が使う分には、自作で十分だと割り切ることにした。
一方、神崎は、この回復薬についての報告を、上に上げていた。
国会議員というのは、高齢な者の集まりだ。アメリカとの交渉で神経をすり減らしていた鷲尾は、その頃、持病が再発していた。
そんな中、鷲尾は、回復薬の報告に、強く関心を示した。
国内生産が難しいのは、残念だ。だが、輸入という形であれば、可能性はある——鷲尾は、内心、そう考えていた。
これを、広く売り物にせず、いざという時の切り札として温存するか。それとも、病に苦しむ人々に、広く行き渡らせるか。加えて、既存の医療・製薬業界との兼ね合いという問題もある。業界再編が進めば、大量の失業者が出かねない。
考えれば考えるほど、頭が痛くなる。そのせいか、また、持病が騒ぎ出しそうな気配があった。
鷲尾は、神崎に電話を入れた。
「回復薬の資料を見た。興味がある。サンプルは、あるかね」
「はい、今からお持ちします」
しばらくして、鷲尾は、冷やして飲みやすくした中級回復薬を、一息に飲み干した。
「半日、と書いてあったが」
「報告書では、二名の重症患者が、十二時間以内に回復。その後の検査でも、異常はありませんでした」
「分かった」
鷲尾は、本来、調査の不十分な異世界の薬を、深く考えもせずに口にするような男ではない。それでも、今が正念場だという自覚があった。自らを実験台とすることで、この薬品が、確かな切り札になり得ることを、証明したかったのだ。
―――
地球側でのやり取りをよそに、異世界の王城でも、静かな変化が続いていた。
王妃は、オーレス侯爵のことを、まだ完全には信じ切れていなかった。それでも、あのような技術を提供したという事実だけは、素直に評価していた。
あの侯爵の娘、エレーナは、少し前に、あの召喚者と結婚したと聞いている。王妃自身、以前から面識のある相手でもあった。汚れた世界を知らない、珍しいタイプの貴族の娘だ。彼女の口から、どんな言葉が出てくるのか——王妃は、密かに、それを楽しみにしていた。
数日後、例の機械が、王妃の元にも届けられた。エレーナを先頭に、作業をする者たちの中に、あの緒方の姿もあった。
手際よく設置作業が終わると、エレーナが、説明を始めた。手元の紙に目を落としながら、真剣な面持ちで語っている。
三十分ほどで、ある程度の理解に至り、真新しい手順書を渡されたところで、説明は締めくくられた。
「ご苦労であった……エレーナ、今、幸せか?」
「はい、幸せです」
エレーナは、そう言って笑顔を見せた。それが、社交辞令ではなく、本心からの言葉だと、王妃には、はっきりと分かった。
「王妃様、これを」
エレーナが、一冊の本を差し出した。
「リーゼルで良い。昔のようにな」
王妃は、その本を受け取りながら、目を通した。
「随分と、あっさりとした造りの本だな。紙は、ずいぶん上質だが……これは、日本国の本か? この国の文字で、書かれているようだが」
「これは、旦那様が、本好きの私のために、日本の本を、この国の言葉に訳して作ってくれた本です」
「そんな、大切な本を……私にか?」
「はい。同じものが、何冊もございますから。これは、リーゼル様に、差し上げます」
エレーナは、笑顔で、そう答えた。
「エレーナ……ありがとう」
王妃は、礼を言いながらも、内心では、別のことを考えていた。
この、規則正しく並んだ文字。手書きとはまるで違う、均一な文字が、同じ形で、何冊も存在している——それは、王妃にとって、ある種の恐怖だった。
進んだ技術というものは、こうした、たった一冊の本の作り方にまで、幾段も先を行っている。
救いがあるとすれば、その国が、こちらに攻め入ってくることはないという一点、そして、他国にはない技術が、今、この国の手にあるという事実だった。
それが、この国にとって、どこまで幸運と呼べるものなのか——王妃には、まだ、判断がつかなかった。
技術という名の恵みは、同時に、王国という枠組みそのものを、静かに作り変えていくものかもしれない。エレーナのように、汚れなく育った娘の目に映る世界と、自分が見ている世界とは、すでに、少しずつ違う形をしているのではないか。
王妃は、手の中の本を、そっと閉じた。
この一冊が、これから先、自分の国にとって、何をもたらすのか——それを見通す力は、今の自分には、まだない。ただ、何かが、確実に変わり始めていることだけは、分かっていた。




