第114話 窓口という名の器
鷲尾は、悩んだ末、エテリム鋼材のサンプルを、アメリカ側に渡すことを決めた。
手渡した後、鷲尾は、側近たちを集め、手元の資料を基に、今後の方針について、改めて話し合いの場を持った。
「サンプルを渡した以上、向こうも、簡単には退けまい」
「ただ、これで終わりとは、思えません。次の要求が、必ず来ます」
資料に目を通しながら、鷲尾は、小さく頷いた。犠牲を払った分だけ、確実に、こちらの手札を増やしていく——その方針に、変わりはなかった。
同時に、沢田を巡る内偵も、静かに進められていた。
脱税の疑い、そして、某国の関係者からの違法な献金——これまで水面下で集められてきた証拠が、少しずつ、形になりつつあった。
以前、拘束されたスパイ容疑者たちについても、取り調べの結果を踏まえた検証が進み、起訴に向けた手続きが、着実に進められていた。
沢田本人を追い詰めるまでには、まだ、時間がかかりそうだった。だが、包囲網は、確実に狭まりつつあった。
―――
翻訳済みのゲラが、大量に、拓也の元へ送られてきた。
同じ頃、大野が、拓也の暮らす小山の施設まで、面会にやってきた。名目上は、ゲラについての説明だったが、大野は、拓也のことを、それなりに調べてきていた。
高校一年生の時の失踪と帰還、その後、急に成し遂げた剣道の個人優勝、圧倒的な勝利ぶり、そして現在の環境——。
もっとも、大野が繰り出したのは、取材めいた質問ではなかった。純粋に、個人的な好奇心からの、質問攻めだった。
「勇者って、本当にいるんですか」「職業とか、スキルとか、あるんですよね」「王国の様子は」「魔法は、どこまで使えるんですか」「ギルドって、実在するんですか」「獣人とかエルフとか、本当にいるんですか」「魔王は……」
興味は、尽きる様子がなかった。
その日は、拓也の部屋に泊めてもらい、翌日には、斥候としての身体能力を見せてもらった大野は、すっかり感動した様子で、帰っていった。
―――
拓也からの連絡を受け、緒方は、翻訳済みのゲラを受け取った。
運び込まれた木箱の数に、緒方自身、思わず声を上げそうになった。想像していた以上の量だった。
大量に積まれたゲラを目にした瞬間、エレーナの目が、輝いた。
「こんなに……ありがとうございます、旦那様」
感謝の言葉を口にしたのも束の間、エレーナは、早速、箱を開けて中身を確認し始めていた。
一冊、また一冊と、丁寧にページをめくっていくその横顔は、これまで見た中で、一番、生き生きとしていた。
「これは、面白い本の方に。こちらは……この国の信仰に触れる箇所がありますね。読んではいけない本に」
声に出しながら、迷いのない手つきで、次々と仕分けていく。
数日のうちに、その作業は、すべて終わっていた。
その仕事ぶりには、緒方も、驚かされた。裏面の空欄に記された「スクリーニング」の評価は、一冊ごとに理由まで添えられており、的確で、丁寧なものだった。
「こんなに早く終わるとは、思わなかったよ」
「本のことでしたら、いくらでも頑張れますから」
エレーナは、少し得意げに、そう答えた。
仕分けを終えたゲラは、早速、拓也の元へと送り返された。あとは、実際の本が届くのを、待つだけだった。
―――
拓也の資産は、緒方から必要に応じて転送される金を、日本国の制度に従って日本円に交換する形で、管理されていた。今回の法人立ち上げについても、同じ制度が使われている。
グレーカレコ商事と、拓也の会社との取引も、その枠組みの中で運営されていた。
もっとも、会社運営を、名ばかりの代表一人に任せるわけにはいかない。神崎の働きかけにより、公務員を退職した人物が、事務員として招かれ、実務にあたることになった。
これにより、今回の法人立ち上げをもって、異世界から流れてくる商材のすべてが、拓也の会社を通じて動く体制が整った。
実際の動き自体は、これまでと変わらない。だが、拓也の会社が、正式な窓口として立つことになった意味は、大きかった。
これで、財務省側の不満も、ひとまず解消されるはずだ。




