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異世界帰りの俺と、残された四人 ―テラ・マートは知っている―  作者: 山田村


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第113話 肉を切らせて骨を断つ




 アメリカ大使は、予定通りの日時に、鷲尾の元を訪れた。


 持ち込まれた話の中身は、単刀直入だった。沢田派の情報を、いわば手土産として差し出す代わりに——多少、国益を損なう形になったとしても、こちらの要求を呑んでほしいという趣旨だった。


「沢田氏が総理になれば、あの情報は、いずれ某国側に、そっくり渡ることになるでしょうな」


 大使の言葉には、明確な脅しの色があった。


 鷲尾は、表向き、平静な表情を崩さなかった。だが、内心では、古くから伝わる剣術の極意——「肉を切らせて骨を断つ」という言葉を、静かに噛みしめていた。


 多少の犠牲は、受け入れる。それでも、最後には、こちらが勝ちを拾う——そういう覚悟だった。


―――


 拓也は、緒方に、法人の設立状況と、大野との商談について、改めて報告を入れた。


「役員も揃って、大野さんって人も、かなり乗り気になってくれてます」


「それは、良かったな」


 緒方の声には、素直な安堵が滲んでいた。異世界と地球、双方の事業が、少しずつ形になっていく様子に、手応えを感じているようだった。


―――


 大野のやる気は、口先だけではなかった。


 海外事業部、そしてライセンス管理部の責任者、さらには経営陣にまで、直接のアプローチが進んでいた。印刷についても、提携先の印刷会社との調整まで、話が進んでいる。


 そして今は、おすすめの本を、「翻訳済みのゲラ」として、発注する段階に入っていた。


―――


 その夜、緒方は、書斎でエレーナと二人きりになったところで、折り入って頼みたいことがあると切り出した。


 エレーナは、いつものように、膝の上に本を広げていた。侯爵家から持ち込んだお気に入りの一冊で、もう何度目になるか分からないほど、繰り返し読んでいるものだった。


「これから、無理なお願いをするけど、いいかい」


 その一言に、エレーナは、ぱたりと本を閉じた。表情が、みるみる曇っていく。


「私を、捨てるのですか」


「いや、そうじゃない。ずっと、そばにいてほしいんだ」


「それでしたら、いつまでも、お側に寄り添ってまいります」


 安堵した様子で、エレーナは、ふわりと微笑んだ。緒方は、その様子に、思わず苦笑した。


「いや……エレーナは、本が好きか? 家には、蔵書があまりないからな」


「家から、お気に入りを持ってまいりましたから、平気です」


 エレーナは、膝の上の本を、大事そうに両手で抱え直した。父の屋敷にいた頃から、片時も本を手放さなかったという話は、緒方も、すでに聞き及んでいた。


「そうか! ここからが、お願いなんだが」


「本を、捨てろと……分かりました。旦那様との時間を、優先します」


 エレーナは、大きな瞳を潤ませながら、抱えていた本を、そっと机の端へ寄せた。しずしずと、涙ぐみ始めている。


 良い子ではあるが、少し天然なところがある——緒方は、慌てて言葉を継いだ。


「いや、違うよ、エレーナ。まだ何も言ってないから、落ち着いて聞いてくれる?」


「はい。失礼しました」


 エレーナは、涙を拭いながらも、寄せたばかりの本を、名残惜しそうに、再び引き寄せた。


「実は、日本から、見本の本が届くんだ」


「旦那様の国の本ですか。それは、興味深いです。大変、楽しみにしております」


 先ほどまでの涙は、どこへやら、エレーナの声は、一気に弾んだものに変わっていた。


「歴史、冒険譚、おとぎ話、恋物語、実用書、薬学……魔法はないと伺いましたから、その手の本はないのですね。他に、どのようなものがあるのですか。教えてください」


 矢継ぎ早に問われ、緒方は、思わず苦笑を漏らした。


「実は、どんな本が来るかは、まだ分からないんだ。文字だけじゃなく、絵と文章が組み合わさった本——日本では、マンガと呼ばれる本も、あるかもしれない」


「挿絵の入った本は、想像を、より鮮明にしてくれますから」


「そうだね。それで、お願いというのは——本を読んで、分別してほしいんだ。まず一つ目は、この国で読んでいい本と、読んではいけない本の区別。ここまでは、分かるかな」


「分かります。読んではいけない、とは、どのような意味でしょうか」


「簡単に言えば、この国で禁忌とされている事柄が書かれている本のことだ。ついでに言っておくと、良い本の方も、面白い本と、普通の本に分けてほしい」


「分かりました。三つに、分類いたします」


 エレーナは、そう答えると、早速とばかりに、書棚の隅にある空いた場所を、三つに区切り始めた。よほど楽しみなのか、その動きには、隠しきれない浮き立った様子が見て取れた。


「まだ、本は届いていないよ」


「分かっております。ただ、場所だけは、整えておきませんと」


 その真剣な横顔を眺めながら、緒方は、この縁談を受けて良かったと、改めて思った。


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