第100話 積み重ねの先に
城の一室で、オーレス侯爵は、机に広げた地図を、じっと見下ろしていた。
「王都だけでは、終わらせん」
侯爵は、そう言い切った。
「次は、主要な街と、街道沿いだ。予算も、人員も、こちらで揃える」
「かなりの規模になりますね」
「当然だ。これは、国そのものの在り方を変える話だぞ」
侯爵は、地図の上に指を這わせながら、続けた。
「それに——」
侯爵の目が、わずかに、鋭くなった。
「これが完成すれば、いずれ、国境の外にも、応用が利くはずだ」
「国境の、外……」
「表立っては、動かせん。だが、こちらには、いくつか、使える筋がある」
侯爵は、それ以上、多くを語らなかった。だが、緒方には、その言葉の意味が、何となく伝わっていた。この国が飼っている、非公式な人間たち——工作員のような存在を使い、いずれは、隣国の情報や地形すらも、この技術で塗り替えていく。侯爵の頭の中には、すでに、そこまでの構想があるらしかった。
「まずは、国内からだ。焦る必要はない」
侯爵は、そう言って、話を締めくくった。緒方は、その野心の大きさに、内心、少しだけ気圧されていた。
―――
最初の拡張先として選ばれたのは、王都から一番近い、街道沿いの関所だった。
緒方は、レナートと共に、現地へ向かった。護衛には、バロンの部隊から数名が同行する。
「ここに、発電機と、ルーターを設置します」
緒方は、事前に何度も見返した、大塚の動画の手順を思い出しながら、機材を組み上げていった。関所の詰所の屋根に、小型のアンテナを固定する作業は、力自慢の兵士の一人が、買って出てくれた。
設置が終わると、緒方は、侯爵の指令書を、関所の役人に差し出した。
「地図データの操作は、然るべき者が、追って派遣されます。皆さんには、ひとまず、発電機の電源維持を、徹底していただければと」
「承知しました。日々の点検、欠かさず行います」
役人は、指令書に目を通し、丁寧に頭を下げた。地図そのものを扱う権限は、まだ、末端の役人には与えられていない。それでも、この関所が、王国の新しい仕組みの一部になったことは、確かだった。
二つ目の拠点が、こうして、静かに動き出した。
―――
地球側では、大塚が、届いた報告に、軽く口笛を吹いていた。
「へえ、もう、二か所目か。早いな」
大塚は、軽く伸びをしただけで、それ以上、深くは触れなかった。淡々と、次のセットの準備を進めるだけだった。
一方、その報告を受けた政府側では、また別の思惑が、静かに動き始めていた。
「地図の整備が進めば、地形だけでなく、地下資源の分布も、把握しやすくなるな」
倉持が、報告書を見ながら、そう呟いた。
「地質学者に見せれば、3D地形データや、植物の分布だけで、かなりのことが分かるようです」
佐伯が、資料を整理しながら、補足する。
「『この地形の歪み方なら、あそこに何かが埋まっているぞ』と、一発で見抜く専門家もいるとか」
「エテリムやクラニウム以外にも、まだ見ぬ資源が、埋まっているかもしれません」
倉持は、報告書の一点を、指で軽く叩いた。
地図というものが、単なる利便性の道具ではなく、国家戦略の材料としても、静かに価値を増しつつあった。
―――
その夜、緒方は、屋敷の窓辺で、これまでの道のりを、ふと振り返っていた。
使えないはずのスキルが、偶然、動き出したあの日。フリマアプリを通じて、拓也と再び繋がったこと。伯爵との駆け引き、勇者パーティーの拡大、そして今の、この異世界マップ。
積み重ねてきたものは、決して派手ではなかった。それでも、確かに、形になってきている。
ふと、緒方の頭に、この王国を取り巻く、より大きな世界の話がよぎった。
この王国、グレーカレコ王国は、二つの大国に挟まれた、いわば小国に過ぎない。
北には、魔族との国境を接する、軍事色の強い大国——ノルデンガルド王国。東には、もう一つの大国、アルデナ帝国が控えている。どちらも、それぞれ独自に、勇者召喚の儀を行っていると聞いたことがあった。
——あの二つの国でも、召喚は、負債を伴ったんだろうか。
この国で起きたこと——第三王子の死、皇太子の幽閉、爵位剥奪——それが、召喚の代償の一端なのだとしたら、より大きな召喚を行ってきたはずの、あの二つの大国は、いったい、どれほどの犠牲を払ってきたのだろうか。
異世界マップの技術が、いずれ、国境の外にまで及ぶとしたら——その先で、緒方は、その答えの一端を、目にすることになるのかもしれない。
緒方は、そんな漠然とした予感を抱きながら、静かに、夜空を見上げた。




